60. 母の懇願
「……ぜひ妻たちが作っている衣装をあなたにも着ていただきたい。きっとあなたの美しさをますます際立たせますよ」
「ま、まぁ……。お上手ですこと、アヴァン王太子殿下は」
「私はお世辞などは言いませんよ。ただ、あなたのような美しい方にはもっと鮮やかで軽やかな、その妖精のような魅力を引き立てるドレスもあるとお伝えしたかったのです」
「そっ、そんな……、まぁ……っ」
(……殿下……、やり過ぎではないですか……?)
食事が終わり賑やかなダンスタイムになると、アヴァン殿下はますます本領を発揮しはじめた。バーネット製のドレスを着ているご令嬢やご婦人に次々声をかけては、会話をしたり、ダンスをしたり。そのたびにその妖艶な笑みを浮かべては歯の浮くようなセリフでもって、こっちのドレスを着ろよと洗脳していっている。
殿下の魅力に抗える女性も、そうそういないだろう。褐色の肌に紫色の瞳でニッコリと微笑みかける殿下に、皆が頬を染めてうっとりしている。今日の衣装がまた一際艶やかに殿下の魅力を引き立てているものだから、見慣れている私でさえ一緒になってポーッとしてしまいそうだ。
「今時シンプルで重たいドレスはもう時代遅れなのかもしれませんね。あなたは何を着ていても元がお美しいからいいけれど、……でも妻たちの作るドレスを売っている店に、ぜひ一度足を運んでみてください。きっと誰もがそれを着ているあなたに見とれてしまうほど、素敵な逸品に出会えると思いますよ」
「まぁ……、殿下ったら。そんなにまでおっしゃるのでしたら、明日にでも行ってみようかしら。うふふふ」
アヴァン殿下がこれでもかと『ラモンとサディーの店』を宣伝し、バーネット製のドレスを遠回しに貶しまくった後、晩餐会は終わった。国内の貴族たちからの視線をたっぷりと浴びたが、誰も私にセレリア嬢よね? とは声をかけてこなかった。アヴァン殿下の様子を見て、それを言ってはいけない雰囲気を皆察したのだろう。明日からきっと、社交界は今夜の晩餐会の話題で持ちきりだろうな。どこかで生き延びていてイェスタルア王国の王太子妃となっていた私、その私に掴みかかる勢いで怒鳴りつけてきた母の錯乱、バーネット公爵家の衰退ぶり、アヴァン殿下のバーネット公爵家への冷たい対応……。
「疲れただろう、リア。また帰路は長旅になるが、良い宿に泊まりながらゆっくりと帰ろう」
「はい、殿下。殿下こそ……お疲れ様でございました」
「ああ。……その前に、どこか寄りたいところはないか? お前が行っておきたいところがあれば、連れて行こう。それと、一度俺を妹君の眠る場所へ案内してくれるか。帰国する前に挨拶をしておきたい」
「……殿下……。はい、ぜひ。ありがとうございます」
殿下の優しい心遣いに、胸が熱くなる。その後アヴァン殿下のご両親である両陛下に挨拶をして、別の馬車に乗り込もうとしていると、
「待って!! セレリア!!」
母が後ろから追ってきた。
(……っ!?)
私が驚いて振り向くと、殿下の側近や護衛たちが殺気立ち、母を取り押さえようとする。私はとっさにそれを制した。
「待ってください!」
「下がれ、リア」
母が私に何かすると思っているのだろう、アヴァン殿下も手で私を制し自分の背後に隠すようにする。母は殿下の後ろから体を覗かせる私に向かって険しい表情で言った。
「セレリア……。あ、あなた……、何とも思わないわけ? 本当にこれでいいの? わ、私たちの生活を、こんなにも追いつめて……。育ててもらった恩を感じないの!? このまま行くつもりなの!?」
「……は……?」
何が言いたいのだろう。どう返事をするべきか迷っていると、母は重ねて言った。
「……支援しなさいよ、私たちを。王太子妃の権限を使って。それぐらいするべきでしょう。スポンサーになってちょうだい、バーネットの商売を守るために」
「……な……」
この人は何を言い出すのか。背中しか見えないアヴァン殿下の気配がすうっと冷えたのを感じる。
「馬鹿馬鹿しい。何故我が妻が他国の会社のスポンサーになる必要があるのか。常識で物を考えろ。そろそろ本当にそちらの国王陛下に直訴するぞ。態度を改めよ」
アヴァン殿下の表情を見た母の顔が凍り付く。きっとものすごく怖い顔をしているのだろう。怒った殿下の顔は本当に怖い。
「……セレリア、いえ、……妃殿下、お願いよ……」
母は今度は途端に切なげな表情を浮かべ、眉をへの字に曲げると、涙ながらに私に懇願する。
「もう私たち、充分に苦しんでいるわ。お願いだから、救いの手を差し伸べてちょうだい。……もう、このままでは私たちは……全てを失ってしまうわ……。家族の情が残っているでしょう? 今の私たちを見たら、フランシスがどんなに悲しむか……!」
……家族の情? あなたがそれを言うの?
さんざんこの私だけをないがしろにして、蔑み、嫌っていたくせに。兄や妹のことはあんなに可愛がり、私だけを差別し続けたくせに。
自分たちが追いつめられたら、途端にそんなことを言い出すの? まるで私が悪いかのように。フランシスの名前まで使って。
悔しさで、思わず涙がこみ上げそうになる。
「カミーユ!」
ようやく父が現れた。姿を消した母を捜しまわっていたのだろうか、髪も呼吸も乱れている。
「もっ、申し訳ない! どうかご容赦を……! お前は一体何をやっているんだ!行くぞ!」
「嫌よ! 離して! セレリア! セレリアーッ!!」
父はついに羽交い締めにして、母を連れ去っていった。その後ろで兄はおろおろしている。アヴァン殿下は怒りが収まらぬようだが、私が目で訴えると、どうにか気持ちを静めてくれたらしい。
「……行くぞ」
「はい」
馬車に乗り込んだ後、私は殿下にお礼を言った。
「……今日はありがとうございました、殿下。何度も庇っていただきました」
「……お前を守るのは俺の責務だ」
そう答えてくださったアヴァン殿下だけれど、まるで不貞腐れた子どものような表情をしている。
……なんだか、すごく機嫌が悪い。




