59. アヴァンの仕返し
「……っ」
心臓がより大きく脈打ちはじめる。王家への挨拶の時とは比べものにもならないほどに緊張し、手が汗ばんでくる。私はアヴァン殿下の腕に通したその手で、彼をギュッと強く掴んだ。
「……セレリア……お前……っ!!」
母は血走った目で私を睨んでいる。後ろの兄は呆けたような顔をし、その隣のロクサーヌ嬢はようやく気付いたのか、驚きを隠しきれずに目を見開いた。
「……誰だ? あなたは。イェスタルア王国王太子妃である俺の妻に、無礼を働く気か」
アヴァン殿下が氷のような冷たい目で母を見据えると、父が慌てて母を制し、アヴァン殿下に挨拶をする。
「……大変失礼いたしました、王太子殿下。イワン・バーネット公爵とその妻カミーユでございます。こちらは息子夫婦でございます」
「そうか。バーネット公爵。奥方は我々に一体何の用があるのか。道を開けてもらいたい」
「そっ! その子はうちの娘ですわ! 一体どうなっているのです! 何なの? セレリア。あなた今度は一体何を企んでいるのよ!!」
母はジャレット殿下と同じようなことを言いはじめた。アヴァン殿下にスイッチが入ってしまったのが、その目を見て分かった。
「誰も彼も誤解するらしいな。ふ……。これは俺の妻、リアだ。セレリアという女性ではない」
「そっ! そんなはずがありません!! たしかに私が産んだ子ですわ!! ねぇ、セレリア! 何とか言いなさいよ! うちの家業を潰そうとし、今度は……、お、王太子妃ですって……!? イェスタルア王国の? まさか……そんなはずがない!! 何の茶番なのこれは。あんたなんかが他国の王太子殿下に見初められるはずがないわ! フランシスじゃあるまいし……!」
「カミーユ! 黙りなさい! ……誠に失礼をいたしました、王太子殿下。我々はこれで……」
父は激昂する母をどうにか宥めて自分たちの席に下がろうとするが、錯乱した母は簡単には言うことをきかない。
「いいえ! いいえ! こんなのおかしいわ! 何でこの娘だけが幸せになってるのよ!! う、うちは……あんたのせいで大打撃なのよ!! 誰も彼もがあんたの作ったケバケバしい低俗なドレスに惹かれて、うちの売り上げは下がる一方よ! 挙げ句の果てに……王太子妃……!? ふざけないで!! 許さないわよそんなの!!」
「……さっきから不敬にも程があるぞ。国際問題にしたいのか? バーネット公爵夫人よ。自分の行いがどのような影響を及ぼすのか、当然理解しているのだろうな」
「……く……っ!!」
「カミーユ!!」
父は必死の形相で母の体を押さえ、止めようとしている。
「分かるか? バーネット公爵夫人よ。……イェスタルア王国王太子妃に、俺の愛する妻に害を為すということは、ただでは済まされないということだ。例えば……頬に傷をつけるとかな。万が一貴女がそのようなことをすれば、潰すまでだ。徹底的にな」
「……。……あ……っ!」
何を言っているの? とでも言わんばかりの顔をしていた母は、ふとあの日のことを思い出したのだろう。突然顔面蒼白になった。父も呆然としている。
「失礼する。……そこをどけ」
私たちが通り過ぎていく時にちらりと見ると、兄は気まずそうに視線を逸らした。そして隣のロクサーヌ嬢は……とろーんとした目でアヴァン殿下を目で追っていた。……そうね、たしかに兄もすごく格好いいけれど、アヴァン殿下の麗しさには敵わないわよね。分かる。
そしてその時ようやく気付いた。大広間にいるすべての人がこちらに注目していることに。きっと今のやり取りを見ていただろうし、近くにいた人たちの中には会話が聞こえた人もいただろう。
(……私は決して、バーネット公爵家を潰してやろうなんて、微塵も考えたわけではなかったのだけどね……)
ただ好きなことを見つけただけ。優しい人たちのおかげで自分の生きる道を見つけて、そこをがむしゃらに歩いてきただけだ。そして愛する人と出会って、結婚した。その愛に報いるために、イェスタルア王国と民たちのために頑張ろうと思った。それだけ。でもきっとそれを言っても、あの両親は信じないだろう。
遠く離れたバーネット公爵家の席から刺すような視線を感じながらも、晩餐会は粛々と進んでいく。食事を楽しみながら、アヴァン殿下は近くの席の方々に私たちの衣装をプレゼンしている。普段の(私と話す時以外は)どちらかといえばツーンと無愛想な雰囲気の殿下とは、まるで別人のようだ。
「やはり衣装は軽いに限る。今日着ているものは、妻が元々働いていた店でオーダーして作ってもらったものなのですが、とても動きやすくて全く疲れを感じませんよ」
「まぁ、いいですわね。それに刺繍もとても美しいわ。デザインも素敵……」
「我が国イェスタルア王国から持ち込んだ布地を使って、こちらのナルレーヌ王国でも販売したところ、たちまち流行したようです。皆様にもお勧めしますよ。きっとご婦人方の美しさを際立たせるでしょう」
「まぁっ、ほほほ……」
「妃殿下は市井で働いていらっしゃったのですね。素晴らしいですわ、その経験を活かして民の暮らしをより良くしようとなさっているのね」
「ええ。ありがとうございます」
「妻は民たちのことを常に考えてくれています。皆の暮らしを良くするための政策案を出してくれたりもしますが、普段の暮らしの中でより豊かに楽しく過ごしてほしいと安価で美しい衣装のデザインを今も変わらず提案し、働いていた『ラモンとサディーの店』に自分の案を渡しているのです。そしてそれはイェスタルア王国に留まらず、こうしてナルレーヌ王国の民たちの心も射止めたのでしょう。この街の様子を見て、皆が妻たちの考案した衣装を着用してくれているのを嬉しく思いましたよ」
どうしても話を衣装の方に持っていこうとしている。ここで意地でも『ラモンとサディーの店』の知名度を上げていって、バーネットをさらに蹴落とそうとしている気がしてならない。気のせいかしら。
こちらの話の内容が向こうのバーネット公爵一家の席にまで聞こえているはずがないけれど、母からの怨念のこもった視線が痛い。




