52. 初めての夜
その夜、私は王宮のアヴァン殿下の私室に泊まるように言われた。私は必死で抵抗する。畏れ多すぎてとても素直には頷けない。
「い、いえっ! いいえっ! 結構でございます殿下! 一庶民の私が王宮の一室に泊めていただくことなど、でっ、できるはずがござ……」
「話しているうちにこんなに遅くなってしまった。外はもう真っ暗だぞ。こんな時間にお前を一人帰せると思うか」
「……いえ、ですが、いつも馬車で家のすぐそばまで送っ……」
「何も気を遣う必要はない。誰かが見に来るようなことはないし、ドアの外には最低限の護衛の者しかいない。俺とお前の、二人きりだ」
「……え?」
「さぁ、食事を運ばせよう。食事も今夜は俺の部屋で二人きりだ。何も心配はいらない」
「でっ、殿下……」
(二人きりだ、って。ま、まさか……。一緒に寝るのですかっ!?)
そんな、いきなり……っ! 急展開すぎて、まるっきり心の準備が……っ。
「明日からはかなり忙しくなる。今夜はちゃんと食べて、ゆっくり眠るんだ。分かったな、リア」
「……は、……はい……」
この人から「分かったな」と言われると、もうそれ以上は反論できなくなる。有無を言わせぬ威圧感というか、やはり迫力が違う。
殿下のお部屋に次々に運ばれてくる食事は、どれもとても美しく盛られ、高級食材を惜しみなく使った素晴らしいものばかりだった。けれどこの後のことを思うと、緊張のあまり全然味がしない。心臓はずっと激しく脈打ち続けており、殿下が私に優しく話しかけてくださっているその内容さえ、ほとんど頭に入ってこない。
「……口に合わないか、リア。何か別なものを持ってこさせよう」
「い、いえ。大丈夫です、殿下。口に合わないなんてことございませんので……」
「しかし全く進んでいないではないか。さっきから手が止まっている」
「……そ、それは、……だって……」
「……緊張しているのか?」
頬を染めて俯いてしまっている私の姿を見て、殿下は気遣わしげに微笑む。その笑みすらも妖艶に見えてきた。
王太子殿下との食事だというのに、畏れ多くもテーブルを前にして並んで座って食べているこの状況。給仕をしてくれている人たちはどう思っているのだろうか。
そもそも私のことは、ここの人たちにはどう話されているのだろう。そういえば……、さっきは殿下からのプロポーズの喜びがあまりにも大きくて、何もかも頭から吹っ飛んでしまっていたけれど、王太子妃って……、よくよく考えたら、平民の私の立場で一体どうして……。
「リア」
「っ! は、はい、殿下」
「もう食事はいいと言うのなら、湯浴みをして休もう。お前の体を、早くベッドに運んでやりたい」
「っ!!」
ベッ……ベッドに………!
その言葉にますますパニックになった私の頭から、またさっきの疑問がヒュッとすっぽ抜け、どこかへ飛んでいった。
王宮の侍女たちに手伝われながら、私は別室で湯浴みをさせてもらった。誰も何も余計な口をきかない。けれど決して無愛想でもなく、不快なそぶりも表に出さない侍女たちの態度に、私はほっとしていた。さすがに教育が行き届いている。本心はどう思っているのかは分からないけれど。
しかも頬の傷口にまで丹念に薬を塗り込まれ、しっかりと手当てをしてくれる。殿下からそう指示されているのだろう。ありがとうございます……。
その後侍女に導かれるままに、私は殿下の寝室に通された。夜着は清楚で露出の少ないものが準備されていたが、初めてアヴァン殿下の前でこんなくつろいだ姿を見せることが、気恥ずかしくてならない。
「来たか、リア。……さぁ、今夜はもう早く休もう」
「……っ」
すでに照明を落とした部屋の中は薄暗く、そこに佇むガウン姿の殿下もまた、初めて見る姿だった。褐色の胸元がガウンの隙間からチラリと見えており、ドキドキが止まらない。いつもは長めの髪を後ろに流すようにセットされているのだが、湯浴み後の今は前髪が額から頬にかけて色っぽくかかっており、そのお姿を見ているだけで体が熱くなってくる。
(……本当に素敵な方……)
モジモジしている私のそばに歩み寄ってきた殿下は、何の迷いもなく私の体をふわりと抱きかかえると、そのままベッドに向かって真っ直ぐに歩きはじめた。湯浴み後の殿下の体からは石けんとお香のような香りがして、私の鼻腔をくすぐる。
(……ああ、どうしよう……っ。わ、私、今夜このまま、この方と……っ)
緊張で体が強張り、私は無意識に両手の拳をギュッと握っていた。全てを殿下に任せるつもりで瞳も固く閉じ、覚悟を決める。
その瞬間、私の体はシーツの上にそっと降ろされた。




