46. 愛は憎しみに変わった(※side✕✕)
私はずっとジャレット殿下をお慕い申し上げておりました。
バーネット公爵家でお勤めを始めた頃から、私はフランシスお嬢様とは、まるで本当の姉妹のように親しくさせていただいておりました。歳も同じで、好きなものも考え方も似ていて、私はあのお方が本当に大好きだったのです。お美しくて、優しいフランシスお嬢様。いつしか私は、時折自分が本当にあの方の双子の妹でもあるかのように錯覚することがありました。
まるで、私たちは二人で一つ。
畏れ多いことですが、そのように感じていたのです。
学園に通いはじめしばらく経った頃、フランシスお嬢様はあの地味なお姉様、セレリアお嬢様についてジャレット殿下とのお茶会に同行するようになりました。私はいつもお供しておりました。
ジャレット殿下の熱のこもった瞳が、セレリアお嬢様ではなく私のフランシスお嬢様の方に向いていることはすぐに気が付きました。それはそうでしょう。私のフランシスお嬢様は、本当に、本当に愛らしいのですから。誰よりも美しく整ったお顔立ちに、輝く艶やかなピンクブロンドの長い髪。晴れた日の青空をそのまま写しとったような明るい瞳。天使の囁くような澄んだお声。誰もがあの地味な姉よりも、フランシスお嬢様の方に魅了されて当然なのです。
ジャレット殿下、そうなのですね。フランシスお嬢様のことがお好きなのでしょう? よく分かりますわ。殿下のその瞳。その麗しく温かい瞳。ああ、羨ましい。私も殿下にそんな目で見つめられたい。堪えきれない恋情を溢れさせ、今すぐにでも腕の中に抱きしめてしまいたいと思っていらっしゃるのがありありと分かる、その目で。
でも。
そんな中、ある日のお茶会でのことでした。私はお三方が座って談笑していらっしゃるところから少し離れて立ち、静かに見守っておりました。
ジャレット殿下を。
胸のときめきが抑えきれなくなっていたのは、私もです。フランシスお嬢様について王宮へ行き、毎回お茶会の間ずっと、あのお方の低く包み込むような優しいお声を聞いておりました。いつしか私の殿下への想いもまた、自分ではコントロールできないほどに大きく大きく膨れ上がっておりました。
そんな中、ふと、本当にふと、お話が途切れた時に、ジャレット殿下はフランシスお嬢様へ向けていたその微笑みを浮かべたまま、私の方をちらりと見たのです。
(……っ!! ……ああ、……そうか)
その瞳に射ぬかれた瞬間、私は全てを理解しました。
そうです。私とフランシスお嬢様は、二人で一つ。どちらもフランシスお嬢様であって、どちらも私、マイアなのです。そういうことなのですよね? 殿下。
フランシスお嬢様を愛しておられるあなた様は、つまり、……この私のことを……!
……ああ……何という喜びでしょうか!!
殿下。殿下。
熱い想いを向けていたのは、私の一方通行ではなかったのですね? あなた様はたしかに、私のことも愛してくださっているのですね!? ああ……!!
愛しております、殿下。私もあなた様を、心からお慕い申し上げております……。
そしてついに、その日はやって来ました。
ジャレット殿下はついに地味姉との婚約を解消し、私のフランシスお嬢様と婚約するとおっしゃったそうです。
「…………。……え?」
……あら。どうしましょう。
私、なんだかとても、嫌な気持ちがするのですが。
フランシスお嬢様は、私。
私は、フランシスお嬢様。
殿下はフランシスお嬢様を愛しておられる。
つまり、私のことも愛しておられる。
だからフランシスお嬢様を選んだ。
……私は、ついて行く? フランシスお嬢様に?
でも……、それだと、殿下との夜を過ごすのは誰ですの? 殿下の御子を産むのは?
フランシスお嬢様、だけ?
あの女だけ?
「……ダメよ。絶対、ダメ」
そんなの、受け入れられない。ジャレット殿下の愛を受けるのは、この私。
私だけでいいの。もう。
あの女はもういらないわ。もう二人で一つじゃなくていい。私だけを愛してほしい。殿下には私だけがいればいいはず。
私はよくよく考えました。学園を卒業してしまえば、女は私のジャレット殿下に嫁いでいってしまう。嫌だ。冗談じゃない。殿下に私以外の女と、一晩たりとも過ごしてほしくない。
(……では、もういなくなってもらいましょう、あの女には)
二人の純愛の邪魔になるあの女は私たちの前から、……この世から、消えるべき。
私は苦心して、異国の密売人から毒薬を手に入れました。何度も怪しげな界隈に足を踏み入れ、随分危険な目にも遭いました。それでも諦めなかった。全ては愛のためです。
機会をうかがい続けました。あの女が一人になる時を狙わなくては。
女の学園卒業の日がどんどん近付き、私は焦りました。チャンスがやって来ない。もう無理なのか。嫌だ。ジャレット殿下と生涯を共にするのは、この私だ。
そして女が学園を卒業してしまった、その翌日。ついにあつらえたような完璧な決行の日がやって来たのです。バーネット公爵夫妻はよその侯爵家にお出かけに、ダニエル様は領地視察に、地味姉は公爵夫人から用事を頼まれて留守に。
心臓が今にも口から飛び出しそうです。失敗するわけにはいかない。唾も飲み込めないほど、緊張で体中がカチコチでした。
使用人たちが皆女の部屋から遠ざかっていて、近づく用事がない頃合いを見計らいます。私は少し前から屋敷を出ていたことにするために、誰にも姿を見られないよう苦心しました。女の隣の部屋に隠れます。
女が食堂で一人昼食を食べている間に、すばやく女の部屋に移動し、隠れました。そのうち食べ終わった女が部屋に戻ってきました。
今です。
「フランシスお嬢様」
「きゃっ! ……ビ、ビックリしたぁ……。マイア、どうしたの? いつから私の部屋にいたの?」
「うふふ。申し訳ございませんお嬢様。驚かせてみたくて、隠れておりました。お願いがございます。……私の苦労して入手した、こちらのお茶を飲んでくださいませ」
「……え? ……お、お茶?」
「はい」
……チッ。いちいちいいんだよそういう反応は。早く飲めよ、馬鹿女。
「わ、わざわざお茶を持ってここで待っていたの?」
「そうでございますよ。これはとても貴重なお茶なのです。素敵な風味がする、異国のものなのですよ。紅茶のお好きなフランシスお嬢様にどうしてもこれを飲んでいただきたくて、私頑張って手に入れたのです」
「まぁ、マイア……! ふふ、嬉しいわ。ありがとう」
女は私の言葉に嬉しそうに微笑む。ジャレット殿下が愛した笑顔だ。……ふん。もういいのよ。その笑顔はね、もういらないの。
これからは私が殿下にずっと微笑みを贈り続けるのよ。
「喜んでいただけて嬉しゅうございますわ。このお茶はすっかり冷めてしまっておりますが、冷たく飲むのが主流なのだそうです。不思議と紅茶本来の風味が際立っておりますわ。……さ、どうぞ。できるだけ一息に」
「ええ。……まぁ、本当。カップが冷たいわ」
当たり前だろうが。何時間待ってたと思ってるんだよ。早く飲め。……飲め!!
女の美しい唇がカップに触れます。その白い喉がゴクリと嚥下するのを、私は瞬きもせずに見守りました。運命が決まる瞬間です。
「……。……っ!? ぐ……っ」
カッと空色の瞳を見開いた女が、手からカップを滑らせ、床に落としました。みるみる女の顔がどす黒くなっていきます。素晴らしい効果です。女は両手で自分の喉を強く掴み、苦しみ掻きむしります。私は至福の笑みを浮かべて、その瞬間を見届けました。しばらくそうして苦しんだ後、女は血走った目で最期に私の方を見ました。そうよ。気付いたの? あんたはね、もういらないの。
スローモーションのように、女の体が床に崩れ落ちていきました。もう充分でしょう。私は屋敷の二階にあるこの部屋の窓から身を乗り出しました。窓は開けっぱなしになりますが、この女はいつも窓からの風を楽しんでおりましたから、不自然ではありません。何度も頭の中で練習していたとおりに、私は窓から一番近くの木に飛び移りました。体のあちこちに激しい痛みが走りますが、構いません。急いで木を滑り降り、誰にも見られていないことを確認しながら、私は屋敷の裏口から出て走り出しました。あと数時間、姿を隠しておくだけでいいのです。そして頃合いを見計らって、またしれっと屋敷に戻ります。あたかも買い出しからたった今戻ってきたかのように。裏の林にカモフラージュ用の手荷物も、すでに隠して置いてあります。
ああ、ジャレット殿下、もうすぐですわね。あなたはきっと言うのです。フランシスが死んだか。ではマイアを妻に迎えよう、と。
ですが何故か、殿下からのお声がかかりませんでした。どうして? せっかくあの女が死んだのに。私は待ちました。時が来るのを。ひたすらに待ち続けました。殿下は必ず私を求めてこられる。必ず。あの時、あのお茶会の日、私を見つめたあなた様の瞳。私は信じております、殿下。
しかし、殿下は別の女と結婚してしまった。
相手はピンクブロンド風の髪色と青い瞳だけがあの女に似通った、軽薄な馬鹿女らしい。
それでも私は待ち続けました。
どうしようもない事情があったのでしょうから。王族の苦悩など、私のような者には理解できるものではございません。殿下だって、私以外の女に触れたいはずがないのです。仕方がないこと。今は耐えるしかないのでしょう。
私たちの純愛は、真実の愛は、全ての困難を乗り越えるはずです。きっと近いうちに、殿下が私を迎えにきます。
(……もう一年が経った……。だけど、殿下はまだ私の元へ来ない……)
何故だろう。そんなはずがない。私はだんだんと苛立ち、焦りはじめました。まさか……あの女に似通った別の女と日々を過ごすうちに、私のことを忘れてしまった……?
(……ふふ。まさかね。私は待ちます、殿下。……あと、もう少しだけ……)
しかしさらに一年が経つ頃、バーネットのお屋敷で仕事をしていた私に、ある日突然、体の奥底から猛烈な激情が湧き上がったのです。
それは奥様のお部屋のドレスを整理し、片付けていた時でした。我慢がふいに決壊したのです。
必死で抑えつけていた獰猛な生き物が、突如その手を振り払って大声で咆えながら暴れはじめたように。
「……何よ、それ。……ふざけるな……ふざけるなよ……」
ずっと待っていたのに……。信じて待っていたのに!!
心からの愛が、一瞬で憎しみに変わりました。ようやく気付きました。あの男は私を裏切ったのです。
そうですか。私の愛を踏みにじったのですね。なるほどね。……そう。
ならばもういいわ。
最期に苦しみを味わわせ、私を傷付けたことをたっぷりと後悔してもらってから。
あの男にも消えてもらいましょう。




