45. フランシスの遺した物(※sideジャレット)
無気力なままに、日々は過ぎてゆく。
興味の欠片も湧かない公務を淡々とこなし、まわされてくる書類を大して確認もせずに黙々とサインを重ねる。
つまらない一日がようやく終わるとベッドに入り、フランシスの夢を見る。夢の中だけが俺の居場所だった。何年経っても、俺だけは彼女を忘れない。俺の愛する人は、今でもフランシスだけだ。
結婚まであと一歩というところまで来て、それでも得られなかった、彼女だけ。
時を重ねるごとにエスメラルダの醜さが鼻につくようになってきた。あんな女と結婚してしまったなんて、どうかしていたとしか思えない。まぁ、あの時は他に選択肢がなかったからどうしようもないのだが。あの女の姿を見たくなくて、日々極力避けて過ごしていた。それでも王太子夫妻として共に公務をこなす以上は、全く視界に入れないというわけにもいかない。だが結婚以来、あの女には指一本触れてはいなかった。
俺があんな女に触れれば、フランシスがどれほど悲しむか。
そんな空虚な日々の中、突然の来訪者があった。
「……フランシスの、侍女だと……?」
「は。マイアと言う者です。どうしても殿下に取り次いでほしいと、門の前で待っておりまして……」
「……一人でか?」
「はい」
おかしな話だ。何故わざわざフランシスの侍女が一人で、先触れもなく俺のもとを訪れる……?
「何でも、ジャレット殿下に直接お渡ししたいものがあると言い張っているそうです。フランシス嬢から、時が来たら殿下に渡すようにと言われていた形見の品だとか……」
「……っ! フランシスから、俺に……? 何故それを早く言わない! 通せ」
「で、ですが……」
「早くしろ!!」
フランシスからの形見の品と聞いて、俺の心はざわめき立つ。俺のために、彼女が何かを遺してくれていたのだ。俺のために……!
立ち上がりそわそわしながら、侍女の訪れを待つ。ようやくその侍女が姿を現すやいなや、俺は畳みかけるように言った。
「お前がフランシスの侍女か」
「……ええ、そうですわ、殿下。マイアでございます。まさか、お忘れですか……?」
「あ? ……それで、フランシスが俺に遺した物とは何だ。早く見せてくれ」
「……」
マイアと名乗ったその赤毛の侍女の様子が少しおかしい気はしたが、どうでもよかった。とにかく俺はフランシスから授けられたものが何なのか、そこにしか関心がなかった。
「……ここで今、お見せするわけにはまいりません。フランシスお嬢様からは、決して他の人に見られることなく、ジャレット殿下ただお一人だけにひそかにお渡ししてほしいと、そのように言われておりましたので」
「……っ、……全員下がれ」
部屋の中に控えていた者たちを、一人残らず外に追いやる。皆気遣わしげな目をしていたが、俺はこの侍女が持つフランシスからの贈り物を、とにかく早く確認したかった。
「……さぁ、これでいいだろう。で? それは何なのだ。フランシスは俺に何を遺しているのだ」
「は……。では、お目にかけますわ」
二人きりになった部屋の中で、侍女が布で巻かれた何かを、懐からゆっくりと取り出した。
「どうぞ、殿下。こちらへ……」
「……っ」
胸が高鳴る。ああ、フランシス……。君は自分の死を予感していたと言うのか……? だから万が一に備えて、俺に何かを託していたと……? 一体何故……。
……まさか、君の死の真相が、そこにあると……?
侍女の言葉に吸い寄せられるように、俺は一歩一歩、震える足で近づく。侍女がゆっくりと布を開いていく。
その中から現れたものは、短剣だった。
「それは……?」
「こちらで、ご覧くださいませ、殿下。フランシスお嬢様は、ご自分の死後にこれを殿下に差し上げるように、と」
「……その短剣をか? だが、何故……。一体何の意味があるというのだ。何故こんな、二年以上もの時が経った今になって、それを……?」
「……それは……、待っていたからでございますわ、殿下」
「……? ……何だと?」
侍女は下を向き短剣を見つめたまま、低い声できっぱりとそう言った。
……待っていたから……?
「ちゃんと話してくれ。俺に分かるように。フランシスが、何かを待っていたのか? いつ?」
俺は侍女の目の前に立った。フランシスの託した言葉ならば、一言たりとも聞き逃すわけにはいかない。侍女はまた口を開く。
「待っていたのは、私でございますよ、殿下。……この二年間、あなた様を信じてお待ち申し上げておりました。何か、よほどの事情があったのだろうと。……どうしようもない事情のために、仕方なくこうなってしまったのだろうと……。ですが、何故? 何故ですか? 殿下……。あなた様と視線が触れあったあの瞬間から、私たちの想いは一つに重なったはずですわ。たしかに一つに、重なったはず、……だったのに……、信じておりましたのに……!!」
「あ……? ──っ!! ぐ……っ、」
目の前の侍女の言葉を必死に聞き取ろうとしているうちに、徐々にその様子が尋常ではないことに気がついた。しかし、すでに手遅れだった。
ゆっくりと顔を上げ俺を睨みつける侍女の血走った眼球に狂気を感じた瞬間、避ける間もなく腹部に激しい痛みを感じた。あまりの痛みの鋭さに息ができない。しまった。助けを呼ばなければ……! 誰か……!
しかし呻くような低い声が喉から漏れるばかりだ。
「っ!! ぐ、あぁぁ……っ!!」
刺された箇所から、さらなる激しい痛みがゴリゴリと押し寄せる。目の前の女の背や肩を必死で掴みどうにか引き剥がそうとするが、女は突き刺した短剣で俺の腹をねじるように抉り続けている。
「信じていたのに……! 私は、ずっと! 待っていたのにぃ……っ!!」
一体何が起こっているのか。俺は何故……この女にこんな目に遭わされている……?
何も分からぬままに視界が暗転し、永遠に続くかのように思われた耐えがたい痛みの感覚さえ、徐々に遠ざかっていった。




