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41. 男爵家の兄妹

 その日は朝から雲行きが怪しかった。


「うわー。降ってきたよ! どしゃぶりだわこりゃ」

「うひゃあ! ひどい雨だねぇ」


 お昼過ぎ頃、ザァァッという大きな音とともに、突然の大雨が降りはじめた。表の通りを歩いていた人々が皆、一様に慌てた様子で通っていく。


「にわか雨かしらー。早く止むといいけどねぇ」


 イブティさんが眉をひそめて表通りを見ている。


 それからほどなくして、びしょ濡れになった若い男の人と女の人の二人が、店の中に入ってきた。

「もうっ! だから真っ直ぐに向かうべきだったのよ! わざわざ通りの前で馬車を降りるからこんなことになるんだわ、お兄様ったら!」

「はぁー。参ったなぁ。まさかこんなにすぐに降ってくるとは……。もう少し天気がもつと思ったんだけどなぁ。悪かったよエリーゼ」


 プリプリと怒っている可愛い女の人に向かって、優しそうな若い男性が謝っている。ご兄妹なのだろうか。


「いらっしゃいませ。よかったらこちらをお使いくださいませ」

「ああ、すまない。……ありがとう」


 私がタオルを差し出すと、男性が顔をパッと輝かせる。そして深くベールを被った私を不思議そうに見た。


「君はなぜそんなベールを?」

「すみません、私は肌が弱くて……、日光に当たるとかぶれてしまいますのでこのようにベールで覆っております」

「へぇ、大変だね」


 ここへ来てすでに何十回もした会話を繰り返す。


「わぁ! 素敵だわ! お兄様、ご覧になってこのドレス! 私こちらでドレスを買って着替えてから行きたいわ。ねぇ、いいでしょう? お兄様」


 ふと見ると、妹さんと思われる可愛い女性が、店に置いてあったドレスの一枚に目を留めていた。水色から深い青へとグラデーションする色味の布地を重ねて作ったドレスがお気に召したようだ。イェスタルアでお店に置いていたように、ここの店でも奥のブースには数枚のドレスや男性用の正装を並べてあった。貴族階級は今のところ販売のターゲット層でないとはいえ、何がきっかけで突然売れるとも限らない。万が一売れたら儲けものだ。もしかしたらそこから貴族階級の人々にも、うちのデザインの衣装が広まっていくかもしれないし。


「うーん……。そうだなぁ。ま、このびしょ濡れのままで行くわけにもいかないしなぁ。しかし……、た、高いな……」


 男性の方が値札を見て顔を引き攣らせる。


「もうちょっと安価なものはないのかな? ……あ、ほらエリーゼ、こっちのドレスなんかどうだい? シンプルだけど手頃な価格だ。これなら……」

「嫌よ! 私絶対にこれがいいわ! このドレスに一目惚れしたんだもの。見てよこの鮮やかな蝶の柄……。なんて可愛いのかしら! それに今日はケイティ嬢のお屋敷でのパーティーなのよ!? きっとたくさんのご令嬢が集まっているわ。……久しぶりの、パーティーなのに……。楽しみにしてたのよ、私……。それなのに、お兄様が通りで買い物したいから手前で馬車を降りよう、なんて言い出したから、こんなにずぶ濡れになっちゃったっていうのに……!」

「わ、分かったよ! 分かったから! ……君、このドレスを彼女に合わせてみてくれるかな」


 お兄様の方は、妹さんが気に入ったブルーのドレスよりも安価なドレスを勧めたかったようだ。けれど上目遣いで目に涙をいっぱい溜めて自分を睨んでいる妹さんに負けてしまったらしい。


「承知いたしました。ありがとうございます。おそらく丈はお客様に合うとは思いますが、見てみましょう。……どうぞ、こちらへ」


 結局ご兄妹は、妹さんがブルーのドレスを、お兄様もサイズの合う黒地のジャケットを購入して、そのまま着ていかれることになった。

 

「ほらぁ! お兄様も素敵じゃないの! とても似合っているわ」

「そ、そうかい? なんだか軽くて着心地がいいな。不思議な感覚だ」

「うふふ。嬉しいわ。最近街の人たちがやけに可愛い柄の入ったワンピースを着ているなぁって、ずっと気になっていたのよね。ここのお店で購入したものだったのね。どれも本当に素敵よ」

「ありがとうございます。うちの衣装はどれもあたしらの国イェスタルアから持ってきた生地を使って作っているんですよ。こちらのお国のドレスも高級感があって素敵ですがね、あたしらの国の布もいいもんでしょう? なんせ軽くて色柄が鮮やかなのが売りなんでね」


 サディーさんの言葉に、妹さんはコクコク頷きながら同意している。


「ええ! 目新しくて可愛いし、それに本当に軽いわ! なんだか空に浮かんでしまいそうなくらい歩くのが楽なんだもの。うふふ。ここのお店に飛び込んでみてよかった。気に入ったドレスがあつらえたようにピッタリだったし、運命の出会いだったわ! ね? お兄様」

「ははは。お前がそんなに喜んでくれたなら、ま、まぁ良かったよ。はは……あはは……。貧乏男爵家の我が家にとっては、すごい出費になってしまったけどね……ふふ……」


 遠い目をしたお兄様の笑顔は少し引き攣っていたけれど、満足そうな妹さんを連れて「じゃあこのままパーティーに出席してきますよ。どうもありがとう」と爽やかに笑って、雨上がりとともに帰っていかれたのだった。


「……男爵家かぁ。いやぁ~、ついに貴族階級の人にも売れちまったねぇ。ガハハ。イェスタルアの時みたいに、今のがきっかけになって、こっちでもドレスがジャンジャン売れはじめるかもしれないよ。覚悟しとかないとね」

「うふふ。どうでしょうね。でも売れてよかったですわ」


 サディーさんの言葉に合わせて微笑みつつも、私はそうは上手くいかないだろうと高をくくっていた。こちらの国ではもうずっと長い間、私の実家であるバーネット公爵家で製産している衣装が貴族階級の間では主流なのだ。上流階級の者ならば、公式の場ではバーネット製の衣装を身につけるべき。そんな固定観念のような風習にはそう簡単に抗えないだろうと。


 ところが。


 イェスタルアの生地で作った私たちのドレスは、徐々に貴族階級に浸透しはじめたのだった。まるでイェスタルア王国で私が海と珊瑚をイメージして作ったドレスをトリアナ嬢に買ってもらえた時のように、あの大雨の日にやって来た男爵家のご兄妹がきっかけとなったのか、男爵家や子爵家のご令嬢、ご婦人方がポツポツとお店にやって来るようになった。


(……そうよね。下位貴族の方々は、必ずしも常にバーネット製の衣装ばかりを愛用されていたわけじゃない。何と言ってもバーネット製は値段が張るもの。……うん。このまま上手くいけば、下位貴族の方々の間で私たちの衣装が人気になるかも! ふふ)




 ……などと思っている間に、だんだんと私たちの作る鮮やかな色柄のふんわりと軽いドレスやジャケットは、流行の兆しを見せはじめた。この機を逃してはならないと、私たちは頭をフル回転させ、ナルレーヌの貴族階級の人々に好まれそうな新しいデザインの衣装を次々と考案していった。

 日々忙しくなる一方だった。イェスタルア王国にいた時と同じように、多くの従業員を募集し、作業場を別に借りて、日夜衣装の製産に明け暮れた。


 そうしてゆっくりと時間をかけながら、二年近くの年月が過ぎた頃。


 ついにラモンさんとサディーさんは、このナルレーヌ王国でも王都の中心街に二店舗目をオープンさせ、いつの間にか私たちの衣装は、上流階級の人々の間でも広く愛用されるようになっていったのだった。




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