40. お墓参り
(……よかったわ。誰もいない……)
バーネット公爵領に近づくにつれ、すごくドキドキしながらどうにかここまでやって来たけれど、知り合いには会わずに済んだ。……と、思う。ベールで深く顔を覆いできるだけ周囲の人々と目線を合わせないように俯いて歩いたから、実際には誰かとすれ違っているのかもしれない。でもまぁ、声はかけられなかった。きっと大丈夫。
「……遅くなってごめんね、フランシス……」
まるでいつもあの子がそばにいるかのように、心の中で話しかけていたけれど、やっぱりこうしてお墓の前まで来ると込み上げてくるものがある。あの子は、ここに眠っているのだ。
明るい日差しが当たるフランシスのお墓は、とても綺麗にされていた。磨かれていて、たくさんの美しい花が飾ってある。両親かジャレット殿下の使いの人か、誰かがこまめにここへ来て手入れをしてくれているのだろう。
(……無念でならないわよね。こんなことになってしまって……。あなたは何も悪くないのに。ただ愛した人のもとに嫁ぐために、妃教育に打ち込んで、ひたむきに一生懸命準備していた。……それなのに……)
あれから何か進展はあったのだろうか。フランシスを殺めた人間は見つかったのか。私のところへは、この国の情報はもうほとんど何も入ってこないから、どうなっているのかは分からない。……ジャレット殿下は、お元気でいらっしゃるのだろうか。フランシスもきっと、あの方のことが心配でならないだろう。
(……フランシス……)
人気のない彼女のお墓の前で、私は手を組み、目を閉じた。こうしてあの子のことだけを想うと、二人で過ごした楽しかった時間が次々に思い出される。いつも私に優しくて、笑顔が可愛かった妹。ギスギスした雰囲気を漂わせる家族の中で息苦しい思いをすることもたくさんあっただろうに、あの子だけがずっと、私を気遣ってくれていた。
大切なあの子が、どうか今安らかな眠りの中にありますように。
外れてしまわないよう、被ったベールの口元を慎重に押さえながら、私は俯き来た道を戻る。長居するわけにはいかない。できるだけ早く、この辺りから離れなくては。ここはバーネット公爵家に近すぎる。
ドキドキしながら馬車に乗れるところまで早足で向かう。細い通りだけれど、身なりの良い人たちが数人通り過ぎていき、そのたびに心臓がバクバクする。ど、どうか……誰にも気付かれませんように……!
きっと大丈夫だとは思うけれど、やっぱり怖い。私がこの国を去ってから、もう二年ほどが経つ。もう誰もあの地味な“呪われた公爵令嬢”のことなんて覚えてもいないだろうけれど…。
その時だった。
「ブリュー子爵令嬢という方、あなたご存知だった?」
「よくは知らないのよ。領地も遠いし、学園も違っていたもの。……だけど王太子殿下の元婚約者の、ほら、バーネット公爵家のあのご令嬢の面影があるとか……」
(────っ!!)
歩いていく年若い二人の女性の会話が耳に飛び込んできて、息を呑む。
(王太子殿下……、バーネット公爵家の、令嬢……)
話している二人がこちらのことは気にも留めていないことを確認しつつ、私は歩みを止めて、その会話に聞き耳を立てる。
「殿下とその方の結婚式の日、王宮前の広場に見に行った人から聞いたの。遠目にはまるであのバーネット公爵令嬢を思わせるピンクブロンドのような髪色だったそうよ。でもなんだか……変わったお方みたい。小さな子どものように大きく手を振って、集まった民に向かって叫んでいたらしいわ」
「まぁ……。王太子殿下が国中探しまわって決めたお相手だとは聞いているけれど。よほど忘れられないのでしょうね。きっとバーネット公爵令嬢に似た方を選んだんじゃないかしら。……それにしても、そのお相手の方って大丈夫なの? 教養が足りないんじゃ……」
「しーっ! ダ、ダメよ、声が大きいわ」
(……っ!)
女性たちが会話を止めて辺りをうかがいはじめた様子に気がつき、私は急いで背を向けその場を離れた。
(……そう……。ご結婚なさったのね、ジャレット殿下……)
それはそうよね。将来の国王となるはずの王太子殿下が、いつまでも独身でいられるはずがないのだから。
ピンクブロンド風の、フランシスの面影のあるご令嬢……。殿下はいまだあの子のことを忘れられずに、苦しんでおられるのか。
(そして今でもまだ、私のことを恨んでいるのでしょうね。“呪われた公爵令嬢”のことを……)
フランシスの葬儀の時の、ジャレット殿下の怒りに燃える瞳を、投げつけられた酷い言葉を、そして誰からも信じてもらえなかった苦しさをふいに思い出す。
「……っ」
ズキリと刺すような胸の痛みを覚え、それを振り払うように、私は早足で大通りを目指したのだった。




