37. 偽物の女(※sideジャレット)
「皆さぁーん! ありがとーー! うふふふふふ」
「……チッ」
王宮のバルコニーから広場に集まった国民たちに向かって、下品にぶんぶんと手を振り回している隣の馬鹿女に舌打ちをした俺は、引き攣った微笑を浮かべたまま低い声で女を脅す。
「よせ。俺に殴り殺されたいのか、エスメラルダ・ブリューよ。仮にも王太子妃となった女のする仕草ではない。弁えろ」
「ひ……っ!」
自分にしか聞こえないドスのきいた声色にビビったのか、エスメラルダは体を硬直させると瞬時に手を下ろした。
広場から俺たちに向かって手を振っている国民には、今の光景がどう見えただろう。俺が愛しい新妻に秘かに愛を囁いたようにでも見えただろうか。
笑える。
ようやく迎えたこの日。ナルレーヌ王国の王太子である俺の隣に立っているのは、今日王太子妃となったばかりのこの女、エスメラルダ・ブリュー子爵令嬢。臣下共が国中探してようやく見つけ出してきたのが、このピンクブロンド風のくすんだ髪色の女だった。こうして近くに立って直視すると、少しもフランシスには似ていない。髪色はあんなに艶やかではなく灰色がかってくすんでいる上に、毛先は傷んでパサパサだ。瞳の色もフランシスの澄んだ空色とは比べものにもならない。ただの濁った青だ。肌もやたら日に焼け荒れていて、化粧が粉を吹いている。フランシスのあの陶器のような滑らかで美しい肌とはまるで違う。見れば見るほど不愉快だ。
だがもう、この女を妻にするしかなかった。俺が軒並みケチをつけて縁談を蹴ったせいで、国内の良い年頃の高位貴族の令嬢たちは皆結婚してしまっていた。まるで後から気が変わって、やはり嫁いでくるようにと言われるのを恐れ、俺から逃げ出すかのように。婚約寸前だった侯爵令嬢を蹴り飛ばした話が広まっていたからだろう。
エスメラルダは見た目がフランシスに少しも似ていないばかりか、愚鈍な女だった。子爵家の出身ではあるらしいが、教養のレベルも高位貴族の女たちとはまるで違う。立ち居振る舞いのすべてが美しくない。品のない笑い方。汚い食事作法。下手クソなダンス。会話にならない知識の浅さ。この女の何もかもが、不快の極みだった。
それでも椅子に縛り付ける勢いで小さな脳みそに無理矢理妃教育を施し、この短期間ではとても納得いくレベルの仕上がりではないが、強引に結婚に持ち込んだのだった。ついに父上から「結婚しないのならば廃嫡する」と宣告され、もう後がなかったからだ。
今日からはこの女が、俺の名目上の妻なのだ。
(フランシス、すまない……。君を裏切っているわけでは決してないんだ。俺の心は今でも君だけのものだよ。生涯君だけを愛し続ける。だからどうか、悲しまないでおくれ)
冷めた目で国民たちを見下ろしながら、心の中でフランシスに詫びる。もはや俺の誠意も慈悲も、亡きフランシスだけのものだった。皆が噂しているのは分かっている。王太子殿下は変わってしまった、まるで別人のようだと。だが別に何と言われようがどうでもいい。国も国民も、どうでもいい。俺はもう自分の命が尽きるまで、寝ぼけたように、酩酊したように、ただぼんやりとそれなりの暮らしをしていければいいのだ。
俺は王太子の椅子に座ったまま、いつか彼女のもとに召される日まで、彼女のことだけを想い続けながら息をする。それだけだ。
(……この女をできるだけ視界に入れたくないな。フランシスに似た女がそばにいれば、ほんの少しの慰みにでもなるかと思っていたが、甘かった。そもそもこの世にフランシスに似た女など存在するはずがないのだからな)
その日の夜。
本来ならばこの偽物の女と初夜を過ごさなくてはいけないのだが、とてもそんな気にはなれない。むしろその辺の女たちで体の欲を発散させることはあったとしても、この女にだけは指一本触れたくもなかった。
愛する女に微妙に似た髪や目の色味が、余計に不快感を煽る。フランシスを抱いている錯覚など、起こせるはずもなかった。
「いいか、エスメラルダ。俺はお前を抱くことはない。お前の器量じゃ、とてもその気になれないからだ。寝室は当然別だ。俺の私室に入ってくることは禁じる。分かったな」
胸元の大きく開いた真っ白なネグリジェに身を包み、期待した目で俺を見つめていた女にそう告げると、女は露骨に傷付いた表情をした。
そのことにますます苛立ち、俺は夫婦の寝室のドアを乱暴に閉めて、その場から立ち去った。




