32. 近づく距離
それからおよそ半年。『ラモンとサディーの店』はますます繁盛し、私たちは多忙を極めていた。
貴族から平民まで、今では多くの人々の間で、私たちが作りはじめたナルレーヌ風のデザインの衣装が大流行していた。店頭の在庫だけでは全然足りず、予約注文は日々途切れることなく入ってくるし、従業員は増やしても増やしても足りない状態。ラモンさんとサディーさんは人員と作業場の確保に明け暮れていた。さらにもう一店舗を新たに出店し、店の規模は大きくなる一方だった。
そんな中で、ある日王都の家の居間に二人きりでいる時に、ふいにサディーさんが私に言った。
「ねぇ、リアちゃん……。あんた、独立したい?」
「……えっ!?」
急にそんなことを言われた私は、驚いてサディーさんの顔を見る。サディーさんはいたって真剣な眼差しだ。
「いや、もとはと言えばあんたのアイデアから始まったこの売り上げの絶好調ぶりだろ? ラモンとも話してたんだよ。リアちゃんはあたしらの下で働くよりも、そろそろ自分の名前で店出したいんじゃないかってさ」
「そっ! そんなこと、考えたこともありませんわっ! 私は今までどおり、サディーさんたちのもとでずっと働いていたいです!」
考えるより先に私の口からそんな言葉が飛び出していた。
「……そうかい?」
「そうですよっ! どっ、独立なんて……恐ろしくてできませんわ! 私は世間知らずで、衣装を作る以外何もできない女ですもの。それに、私がここで生き方を確立できたのは、ラモンさんとサディーさんのおかげなのですから。まだまだ全然、ご恩返しできたとは思っておりませんもの!」
「リアちゃん……」
「もっとサディーさんたちのお店で、ずっと働いていたいです。イブティさんたちと一緒に……。ナルレーヌで野垂れ死ぬ寸前だった私をここまで連れてきて、今の人生をくださったお二人のために一生懸命働くことが、私の今の生き甲斐ですわ!」
「……あんたって子は、本当に……」
サディーさんは珍しく少し涙ぐんで、それをごまかすように私の頭をわしわしと撫でた。
「……そうか。独立には全く興味がないのか、お前は」
「は、はい。本当に考えたこともなくて……。私、今が一番幸せなんです。国で困っていた私のことを助けてくれたお二人と、お店で出会った仲間たちと、忙しさを一緒に乗り越えながら頭を悩ませて、働いて……。ずっとこのままでいたいですわ。それがとても楽しいのです」
「そしてこうして俺のもとに通い、俺の衣装も世話してくれている」
「え、ええ。そうです」
「……それはどうだ?」
「えっ?」
「それも楽しいと思ってくれているのか? リア」
「……っ、そ、それは、……もちろん、そうですわ」
「……ふ。ならばよかった」
そう言うとアヴァン殿下は、お召しになった新しい衣装のサイズ調整をしていた私の頬をするりと撫でた。
「……っ」
その親しみを込めた仕草に、私の胸はまた疼き、鼓動が速くなってしまう。
半年前。
私がアヴァン殿下の前で突然涙を見せてしまったあの日以来、私と殿下はこうしてたびたび会うようになっていた。
と言ってもその名目は、いつも殿下が私を指名して、衣装の仕立て直しや新しい品物の注文をしたりするぐらいだ。そうして私がアヴァン殿下の私室に上がり、そのたびにただの衣装選びや仕立て直しとは思えないぐらいの時間をかけて、互いのことをいろいろと語り合った。私はどんな些細なことでも殿下のことをたくさん知りたかったし、殿下もまた興味深げに私の生活についていろいろな質問をしては、何でも真剣に聞いてくれた。
なぜアヴァン殿下が、私にここまで親切にしてくださるのかは分からない。ただの仕立て屋にしては、あまりにも殿下のもとへ通う回数が多すぎることも分かっていたのだけれど、呼んでくださればそのたびに天にも昇るような心地で、私は王宮へ向かった。
忙しい日々の中、私にとってアヴァン殿下にお会いしているこの時間が、何よりも幸せなひとときになっていた。
「……終わりましたわ、殿下。ではお仕立てしてまいりますので、出来上がりましたらまたお持ちいたします」
(ああ。今日も終わっちゃったな……)
もうアヴァン殿下の衣装のサイズはすべて知り尽くしているので、調整の手間などそんなにかからない。ここで殿下の方にお時間がある時は私を引き留めてくださって、一緒にお茶をしたりすることもあるのだけれど、私の方から「もっと一緒にいたいです」なんて口が裂けても言うわけにはいかない。それはあまりにも分を弁えてなさすぎる。
「リア、少し待ってくれ」
荷物を片付けていると、アヴァン殿下が私を呼び止める。鼓動が高鳴り、少し期待してしまう。もう少しだけでも一緒にいられる理由があるなら、それがどんな理由でも構わない。
こうしてお会いすればするほどに、私は殿下に心惹かれていっていた。
「こっちへ来い」
「は、はい」
アヴァン殿下はご自分が座っているソファーの横を指し示し、私を呼び寄せた。私はドキドキしながらおそばに近付く。深く輝く紫色の瞳は、じっと私のことだけを見つめている。
「……座れ」
「……はい」
私が隣に座ると、殿下はいつの間にか手に持っていた小箱を開けながら、私に一層近づいてきた。心臓がさらに大きく脈打ちはじめる。
「これを、お前に」
「……え? ……まぁ…っ!」
殿下が小箱から取り出したのは、イェスタルアらしいデザインの、とても美しいイヤリングだった。様々な大きさの宝石が繊細に埋め込まれたそのイヤリングは三日月型で、下の部分にはラインストーンが何本も付けられキラキラと流れている。ボリュームがあり華やかなのに、とても細かな細工が施されており、一目見て高価な品物だと分かるものだった。あまりの美しさに私はしばし見とれた。なんて神秘的なのだろう……。
「気に入ったか?」
「は、はい。とても……。こんなに美しいイヤリングは見たことがありませんわ。それに、この宝石の紫……」
「そうだ。俺の瞳と同じ色の宝石で作らせた。お前のために」
「え……っ!?」
心臓が痛いほど高鳴り、私はとっさに殿下のお顔を見る。情熱を秘めたその美しい紫色の瞳は真剣そのもので、胸がいっぱいになり言葉が出ない。
「……もっとこっちへ。向こうを向け」
「で、殿下……っ」
有無を言わせぬ独特の迫力に逆らえず、私は前を向き、されるがままになった。殿下の指が私の耳に触れる。思わずびくりと肩が震え、恥ずかしくて消えてしまいたくなる。耳まで真っ赤になって火照っているからだろう。殿下の指がひんやりと冷たい。
「……美しいな」
反対側の耳に腕を伸ばして器用にイヤリングを付けた殿下が、私の耳元で囁いた。
「リア。……本当に、綺麗だ」
「……あ……ありがとう、ございます……」
殿下、こんな高価な物をいただくわけには……、そう言いたいのに、言葉が出ない。すぐそばに、殿下の唇がある。今にも私の頬に触れそうな場所に。
ご自分の瞳の色と同じ輝きを持つ高価な宝石を使い、こんなにも繊細で美しいアクセサリーを作らせ、それを贈られる。
その意味が分からないほど、鈍感な子どもではない。
真っ赤になって俯いてしまった私の体を、アヴァン殿下はそっと優しく抱きしめた。
こめかみに触れる殿下の唇は柔らかく、ひんやりとして心地良かった。




