31. 溢れる想い
「わざわざ出向いてもらって悪かったな。先日の衣装の件だ。ちょうどいいと思ったが、やはり少し袖が短い気がしてな。見てくれるか」
「は、はい。承知いたしました……っ」
(……やっぱり素敵だな……)
数日ぶりにお目にかかるアヴァン殿下は相変わらず魅力的で、私は緊張のあまりもう目を合わせることさえできなかった。今日は前回のように側近の方がお部屋にいない。……二人きりだ。
「で、では、お手数ですが袖を通していただけますか?」
「ああ」
「……」
「……手伝ってくれるか」
「っ! しっ! 失礼いたしました……っ」
「ふ……」
仕立て直しなのだから、おそばに行ってきちんとした位置にジャケットを整えて見るべきだと分かっているのだけれど、恥ずかしさと緊張がすさまじくて、離れたところで固まってしまっていた。からくり人形のようにカチンコチンになりながらアヴァン殿下に近づくと、艶めかしいお香のような香りに頭がクラリとする。心臓が口から飛び出しそうだ。
目を見なくてもアヴァン殿下の視線を感じて、火照った頬がチリチリする。
「……えっと……その……、畏れながら、私は、この長さのままがちょうど良いと思うのですが…」
「そうか。……襟元はどうだ?」
「……はい。大丈夫です」
殿下の襟元を整えて確認している間にも間近で視線を感じ、どうしても声が上擦ってしまう。
「似合っているか?」
「は、はい。……とても、素敵でございます」
「そうか。……お前も綺麗だ。我が国の衣装がよく似合っているな。見惚れてしまう」
「……っ!?」
(えっ? な、何て!? 今……何ておっしゃったのですかっ!?)
自分に都合のいい聞き間違いをしてしまったのかもしれないと、私は反射的にアヴァン殿下のお顔を見上げる。深く美しく輝く紫色の瞳は、ただ真っ直ぐに私を捕らえていた。
こんな瞳に射ぬかれたら、動けない……。
「ナルレーヌの女は皆、お前のように美しい肌をしているのか? まるで陶器の人形のようだ」
「い、いえ、そんな……」
「違うだろうな。国中の女たちが皆お前のように美しかったら、男たちは仕事どころではなくなる。お前の美しさは、きっと特別なものなのだろう」
「……っ、……そ……」
夢でも見ているのだろうか。アヴァン殿下の唇から私を賛美する甘い言葉が次々に零れ、その瞳は私だけを映している。胸の奥底から洪水のように湧き上がる歓びに耐えきれず、体が小刻みに震え、火照りと気恥ずかしさに瞳が潤む。
黙って見つめ合っていることにどうしようもなく照れてしまい、私は慌てて口を開き、目を逸らす。
「そっ、そんな、私など……。妹の美しさに比べれば、少しも……」
「そうか。お前には妹がいるんだな。妹は故郷にいるのか?」
「……っ」
咄嗟にフランシスのことを話してしまって後悔する。しまった……。こんなこと、言うんじゃなかった。
でもアヴァン殿下に嘘をつく気にもなれず、私は正直に答えた。
「……いえ、他界いたしました。もう一年以上前のことですわ」
「……そうか。他に家族はいるのか?」
「……い、いいえ」
「……」
「……いるには、いたのですが……。妹以外は、元々縁が薄く……。もう、連絡もとっておりません」
ああ……。一体私は何を話しているのかしら。王子殿下の前で、わざわざこんな暗い話なんかしなくても……。
衣装の仕立て直しに来ただけの娘が、突然こんな身の上話みたいなことを始めて、殿下はお気を悪くされていないだろうか。謝った方がいいだろうかと俯いたまま思案していると、殿下はとても静かな声で言った。
「……そうか。……寂しい思いをしたな。辛かっただろう」
「……っ!」
そう言うとアヴァン殿下は私を優しくそっと抱き寄せ、頭を撫でるようにゆっくりとその大きな手を滑らせた。
(……アヴァン、殿下……)
思いがけない温かな言葉と抱擁に、突然私の目から涙が溢れた。まるで今まで必死で抑えてきていた思いが決壊するかのように。
(やだ……、何をしているの私ったら! 泣き止まなきゃ……早く……っ!)
何てみっともない。そう思い顔を両手で覆って隠しながら必死で呼吸を整えようとするのだけれど、殿下の優しい手が私の背中を抱きしめ頭を撫でるものだから、ますます嗚咽が止まらなくなる。
「もっ……、もうし、わけ、」
「よい。……このままで」
「……ふ……」
(ああ、もう……。王子殿下の腕の中で甘えて泣くなんて……不敬の極みよこれは)
冷静になろうとしてわざと頭の中でそんなことを考えながらも、アヴァン殿下の優しい腕とエキゾチックな甘い香りに包まれたまま、私は束の間の至福の時を味わっていた。




