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18. 苦しみと憎悪(※sideジャレット)

「……ジャレット殿下。あなた様には責務がございます。フランシス嬢を失われた悲しみは、察して余りあるほどでございますが、こうなってしまった以上は一刻も早く、次の王太子妃候補を選出せねばなりません」

「……」

「国王陛下と王妃陛下も、ジャレット殿下のお心を汲み、これまでお待ちなさっておいででした。ですが、これ以上引き伸ばすことは……」

「もうよせ。分かっていると何度も言っているだろう」


 まだ何か言いたげな顔をしてこちらを見ている宰相の言葉を、俺は苛立ちをあらわに遮る。


 呪われた公爵令嬢が姿を消した。

 セレリア・バーネット。俺の元婚約者であり、俺の最愛の恋人、フランシスの実姉。

 あの女を妻とすることは、幼い頃から分かっていた。バーネット公爵家の長女は、あの代々華やかな一家の中で驚くほど平凡な容姿ではあったが、王太子妃に必要なものはきらびやかな容姿ではない。賢く勤勉であり、民を思う公平な心こそが何よりも大切なのだ。そしてセレリアは、そういった意味において王国内の誰よりも、王太子妃に相応しい人間であった。だから俺は淡々と受け入れた。あの女を妻とする自分の運命を。


 しかし、俺は恋に落ちた。

 自分の意志ではどうにもならない、突如熱風のように吹き荒れ、俺の心を一瞬で天まで高く突き上げるほどの、激しい恋だった。


 それは、王家主催のある日の晩餐会でのことだった。デビュタントを終えたフランシスが参加し、両親に連れられて、俺の前に挨拶に来た。


「────っ!」


 緊張の面持ちで恭しくカーテシーを披露するフランシスの一挙手一投足から、目が逸らせなかった。可愛らしくて、頼りなげで、……そしてとても美しい。フランシスの動きに合わせてサラリと流れる、艶やかなピンクブロンドの長い髪。鈴を振ったような透き通る声。ドレスをつまみ上げる、細く白い指先。

 顔を上げ、こちらを見たフランシスと目が合った。


「……」

「……」


 時が止まったように、互いに見つめあった俺たち。

 あの瞬間、俺たちはもう互いの中に芽生えた感情に気付いていた。




「やあ! 来たね。会いたかったよフランシス」


 間を置かず、俺はセレリアとの婚約者同士の茶会に、フランシスを同行させるよう命じた。

 セレリアに対して罪悪感が一切なかったわけではないが、そんな微々たる後ろめたさよりも、フランシスへの恋慕の情がはるかに勝ったのだ。会いたい。顔が見たい。フランシスの声が聞きたい。彼女と毎日言葉を交わし、その笑顔を見ることができたならどんなに幸せだろうか。会えば会うほどに俺はフランシスへの想いを募らせ、そして見つめあうフランシスの美しい空色の瞳の中にもまた、俺と同じ熱い想いが確かにあることを感じ取り、俺は高揚した。

 すぐにセレリアの存在を鬱陶しく思うようになった。

 こいつさえいなければ、俺は堂々とこの可愛いフランシスに愛を囁くことができるのに。二人きりで会いたい。婚約者の妹としてではなく、恋人同士として。俺がどんなに深く想っているか、抱きしめて耳元で伝え、その滑らかな頬に口づけたい。あの艶やかな髪に触れ、その肌の温もりを感じられたなら……。

 フランシスもまた、恋する者の瞳で俺と言葉を交わし、しかし大抵その後すぐに姉の様子をうかがっては、口をつぐむ。遠慮しているのだ、セレリアに。


(……邪魔だ、この女)


 焦りと苛立ちが、日に日に俺の中で大きく膨らんでいった。このまま時が過ぎれば、俺は近い将来セレリアと結婚することになるだろうし、フランシスは……どこぞの貴族家の令息の妻となるのだろう。


(……いや、駄目だ。フランシスがよその男のものになるなど。俺には絶対に耐えられない)


 一世一代の恋なのだ。どうしてもフランシスが欲しい。彼女の心も、それを望んでいる。


 俺は国王陛下である父に直談判した。セレリアの妹であるバーネット公爵家の次女フランシスと、愛し合っていると。どうしても彼女を妻に迎えたいと。


「今さらそのようなこと、バーネット公爵にどのように話せと言うのだ。……諦めろ。お前も王家の人間ならば分かるだろう。自分の欲求を満たすことよりも先に、考えなくてはならないことが多くあるのだ、我々には」


 父はそう言って俺の頼みを一蹴したが、俺は決して諦めなかった。何度も何度も懇願した。


「そもそも俺とセレリア嬢の間には、特別な感情はありません。父上、フランシスとて、あのバーネット公爵家の娘なのです。別にバーネット公爵家をないがしろにして、どこぞの男爵家の娘を妻にしたいと言っているわけではございません。俺たちの想いを汲んではもらえませんか。フランシスはあのセレリア嬢以上の才女です。それは会話をしていればよく分かります。賢く勤勉で、公平な女性です。何より、彼女の方がはるかに皆に愛されている。人心を掴むのです。簡単には女性に心を動かされることがないこの俺でさえ、ここまで心奪われました。いわんや国民をや。フランシス・バーネットこそ、まさに王太子妃の器を持つ人間なのです」


 父がげんなりするほどに、俺は手を替え品を替え、しつこく説得を繰り返した。そしてついに、それは成功した。


 初めてフランシスが婚約者として一人で王宮に参内した日、現れた彼女の姿を見た瞬間、俺は何を考える間もなくその細い体を抱きしめた。


「……やっと君を得た。……大切にするよ、フランシス」

「……殿下……」


 フランシスはされるがままに、俺の腕の中で大人しく頬を染めていた。可愛くて可愛くて、抑えきれない愛おしさが俺の胸を満たした。俺が生涯守り抜く。安心しておくれ、フランシス。決して君を裏切ることはしない。君を泣かせたりはしない。俺の心は生涯君だけのものだ。共に歳を重ねていこう、ずっと。


 だが、彼女は逝ってしまった。


 何の前触れもなく、ある日、突然に。


 その知らせを聞いた時、体中の力が抜けた。目の前が真っ暗になり、息もできないほどの衝撃を受けた。まさか。何故。何故だ。もうすぐ……ついにあと数日で、俺のところへ嫁いでくるはずだったのだ。何故。何故。何故だ!!


 時の流れが分からない。次に気がついた時、俺は彼女の美しい寝顔を見つめていた。

 いや、寝顔ではない。……亡骸だ。フランシスは棺の中で桃色の花々に囲まれ、その綺麗な空色の瞳を閉じていた。

 まるで精巧に作られた人形のように、美しく整った真っ白な顔。


「フランシス……。あ、……あぁぁ……嘘だ……! 何故……何故だ! 何故こんな……!!」


 その瞬間、耐えがたい苦しみが俺に襲いかかる。無理だ。受け止めきれない。助けを求めるように俺は愛するフランシスの亡骸に縋りつく。しかし彼女は目を覚まさない。お願いだ。起きておくれフランシス。これがもしもたちの悪い冗談だったとしても、俺は決して怒らないから。俺の愛を確かめたかったんだろう? 大丈夫だ。俺は今こんなにも絶望し、苦しんでいる。君への愛が、俺のすべてだからだ。

 だから、お願いだフランシス。どうか……どうか……!!

 しかしいくら泣こうが叫ぼうが、愛するフランシスは決して目覚めてはくれない。

 何故。俺はまた自問する。何故こんなことになったのだ? 毒を盛られただと? そんなはずがない。こんなにも愛らしく優しいフランシスが。誰もを魅了して、皆から慕われていたフランシスが。


 一体、誰が──


(……っ!! ……そうだ、あいつ……、あの女だ……!!)


 はっと気付いた俺は、葬儀の会場を見渡す。

 そして見つけた。あの茶色の地味な姉を。セレリア・バーネットを。


(こいつ……!! 俺に愛された妹を妬んで……!!)


 俺はセレリアを糾弾した。バーネット公爵夫人も俺に加勢するように、娘を非難する。やはりな。実の母親でさえこう言っているんだ。絶対にこの女がフランシスを手にかけたのだ。

 気弱いふりをしながら、涙ながらに否定する醜いセレリアに向かって、俺は怒鳴りつけた。


「一体どんな手を使ったかは知らんが、……俺はお前を絶対に許さんぞ、セレリア・バーネット! バーネット公爵家の異端者め! お前のせいでフランシスは死んだのだ! お前は呪われた公爵令嬢だ!!」

「────っ!!」


 ショックを受けたと言わんばかりの顔で、セレリアは硬直する。わざとらしい。誰が騙されるものか。許さない。許さない。絶対に許さんぞ……!!


 どんな制裁を加えてやるべきか。フランシスの無念を晴らし、俺の絶望を味わわせてやらねば気が済まない。

 しかしあの女は、あの呪われた公爵令嬢は、姿を消したのだ。唐突に。


(……罪が露見することを恐れたか。愚かな女だ。どこへなりとも逃げ続ければいい)


 やがて死体となって発見されるか。それともどこぞの貧民街で、物乞いでもしている姿が見つかるか。いずれにせよ、貴族の家でぬくぬくと育った娘が、そこを出てたった一人でまともに暮らしていけるはずがないのだ。

 せいぜい惨めな末路を見せろ。まだ息の根がある状態で見つかれば、この俺が直々に手を下してやる。


 俺は消えた公爵令嬢を呪い続けた。

 そうすることで自分の苦しみから目を逸らし、逃れようとしていたのだった。







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