情報を持った客人
「マリー、私の天使。会いたかったよ」
どちゃくそ甘い空気を漂わせ、ギルバートが現れた。ワー、一気に重苦しい。
「まあ、ギルバート様。わたくしもお会いしたかったわ」
「君に会えない時間は一日が千年のようだ。長い孤独を耐えた哀れな私に女神の微笑みを与えておくれ」
「ギルバート様ったら……今日はどうなさったの?」
「耳に入れた方がいいと思うことがあってね。そこでアホ面を晒している君の従姉妹殿に関することだよ。――君に会うための口実のようなものだ」
「あら、意地悪をおっしゃらないで。ぜひお話を聞かせてくださいな」
「もちろんだよ、私の大切な人」
ハアーー! このくだりいるーーー!? 私はアホ面と言われた顔面をギルバートに向け白目をむいてみせた。ほら見ろよ! とくと見ろ!
私とギルバートは、昔からマリーアンヌを挟んでバチバチにやり合う仲だ。休暇などで父と共にメルクール侯爵邸に帰るたび、そして15歳で赴任地を引き上げてから。ずっとマリーアンヌに付いてくるこのクソ厄介と腐れ縁なのだ。こいつマリーアンヌをひとり占めしたすぎて敵視してきたからな。言い返してヌググらせたけど。心底、いい所は顔しかない。
あんなのやめときなよ……と言いたいところだが、マリーアンヌは心から彼を愛している。あのクソ重い独占欲を喜んで受け入れているのだ。マリーアンヌはおっとりとしているようで内面は結構な女傑だ。ギルバートの愛を受け入れ、わりと良いように手玉に取っている。そして彼のためにと社交界の頂点を目指し続けている。
合わぬ蓋あれば合う蓋あり……なんだろうな……まあマリーアンヌが喜んでるんだからこれでいいんだろう。目の前でいちゃつくふたりを眺め、私は溜息をついた。
「殿下にお前について尋ねられた」
席につくなり、ギルバートは私に向かって開口一番そう切り出した。
「うへえ……人選が正解すぎる……」
「殿下は『求めたいものがあるが言い出せないようだった。理由はわからないが、どう思うか』とおっしゃった」
ギルバートはティーカップを優雅に傾け、紅茶を一口飲んでから鷹揚に言葉を続ける。
「あれに大した理由などない、どうせ食事や昼寝を保証された堕落生活を欲しているだけだ、という旨をお答えしておいた」
「正解すぎるんだよな!!!」
終わったわ終わりましたわありがとうございました!! 令嬢の仮面が知らぬうちに剥がされていたことに私は頭を抱えてのけぞり――そしてはたと気付く。
「……それで引かれたら、それはそれでいいんじゃあ?」
ついでに希望の自堕落生活を与えようと思ってもらえたらお得なのでは?
「いや、殿下は私の言葉を聞いて楽しげに笑っておられたぞ。珍獣を見つけた気分でいらっしゃるのだろう」
「珍獣だなんて。カナンはとても優しくてかわいいわ」
マリーアンヌの言葉を受け、ギルバートがちらりと胡乱げな視線をよこす。マリーちゃん、こいつきっとマリーちゃん以外案山子に見えてるよ。私はギルバートに向かって真顔でイっと歯を剥いてみせた。希望に水を差しやがって。
「それにわたくしは、カナンなら王太子妃が勤まると思うの」
マリーアンヌが私に微笑みかける。わあマリーちゃん無茶言うじゃん。
「…………まあ、これが王太子妃になればマリーが将来やりやすくなるとは思うが」
「あら、大事なカナンを利用するつもりなんてないわ。――わたくし、将来仰ぐのならばカナンが良いと、本当に思ったのよ」
マリーアンヌの好意と純粋な期待がくすぐったい。でも王太子妃はやめといたほうがいいと思うよ。私はお菓子を口に放り込みながら、しみじみとそう考えていた。
ギルバートがひとしきりマリーアンヌとの逢瀬を楽しみ帰っていく。去り際に、彼は私に向かって「お前のその、人として普通とは思えない精神構造に救われた。礼を言う」と礼を……礼か? これ。
まあ彼にしては精一杯でなかなか聞けない感謝の言葉だった。私は遠ざかる彼の後ろ姿に向かって「小指を強かに打ち付けろ」と念を飛ばした。そんな私に、マリーアンヌが声をかけてくる。
「カナン、もし明日お会いして、殿下の御心が変わっておられなかったらどうするの?」
「いやあ、変わったんじゃないかなあ……」
流石に自堕落生活希望者に王太子妃は荷が重いと思われたんじゃないかな……根拠はないけど。
「旅に出られる前のことしかわからないけれど、殿下はとても敏いお方よ。きっとカナンが変わっていると見透かして、それでギルバート様に確認をとられたのだわ。もう大凡を察しておられるのじゃないかしら」
マリーアンヌは視線を落とし、顎に手を添えて言葉を選ぶ。悩ましげなマリーアンヌは目の保養だが、発言内容が穏やかでない。
「それにあの方は、恩や恋といったものだけで伴侶をお決めになる方ではないと思うの。きっと、何か理由がお有りなのよ」
マリーアンヌは視線をあげて、私をじっと見つめる。
「殿下は駆け引きにも秀でたお方よ。明日、殿下の御心が変わっていなければ、カナン。あなた殿下に太刀打ちできるかしら……」
ふ、不安なこと言う〜〜〜〜〜。私の社交力は地の底を這っている。諦めた方がいいと言いたげなマリーアンヌの視線に、私は明日殿下に何と言われるのだろうかと思い天を仰いだ。
そして迎えた約束の日。王家の馬車に乗り込もうとして――
「今日、もしフェリクス殿下に王太子妃にと求められたら、カナン。そのお話をお受けなさい」
2日間悩み抜いた伯母様に、据わった目でそう見送られた。