麗らかな午後
「はあー……やらかした」
翌日の午後、私はティーテーブルに突っ伏して頭を抱えていた。
「カナンは令嬢らしく振る舞おうとすると言葉がでなくなるものね」
向かいの席でマリーアンヌが微笑みながらティーカップを傾ける。
「『3食おやつ昼寝付きで自堕落生活させてほしい』ってどう言ったらいいか、わかんないんだよ……」
「まあ、それは難しいわ」
「ねーマリーちゃん、『離宮のすみっこで、元気に生きてるだけで満点って言われる懐かないペットみたいになりたい』ってなんて言ったらいい?」
「愛玩される気もないのね」
マリーアンヌがくすくすと笑う。彼女は昨晩からずっと堂々巡りする私の嘆きを聞き続けヨシヨシしてくれている。昨日も一緒に寝た。優しい。
「あんなちゃんと責任を取ろうとされるなんて思わなかったんだよ……王太子妃とかそういうのはマリーちゃんみたいな人がいいよ……」
「あら、だめよ。わたくしはギルバート様をお慕いしているもの」
「そーね……溺愛カップルだもんね……」
ギルバート・デ・ヴァルモンは公爵家のご令息、マリーアンヌの婚約者だ。二人はとても仲睦まじい。いや仲睦まじいの一言で終わらせてはいけない。あれは見ているだけで押しつぶされそうな何かだ。
「それにわたくしはあの時一歩も動けなかったわ。それどころか気を失って倒れている間に終わってしまっていた」
マリーアンヌは胸の前でぎゅっと手を握りしめた。
「ギルバート様はそんなわたくしを抱きかかえて支えてくださっていたの……気を取り戻したあとも『大丈夫だ、もう終わった』と励ましてくださって」
「はー! ダシにされた! いちゃつきのダシにされた!!」
「うふふ、カナンも殿下とそういう関係を築けるといいわね」
「嫁にいく前提やめてくれないかな!!」
頭を抱え叫ぶ私に、マリーアンヌはくすくすと笑い続ける。たぶんマリーちゃんもう諦めてる。王太子妃から逃れようないなって諦めてる。
「ねー、マリーちゃんも諦めないで一緒に考えてよ。どうやって王太子妃断ったらいいと思う? 断りつつ自堕落生活確保が理想なんだけど」
「そうね、フェリクス殿下のおっしゃりようなら、王太子妃をお断りするだけなら方法はあるのだけれど」
優雅にティーカップをソーサーに戻すマリーアンヌの言葉に、私は身を乗り出した。ほほう。
「婚約者をたてればよいのよ。うちの弟たちは婚約にのると思うわ」
「ええ……セオくんもオリーくんも8歳じゃん……かわいそうだよ……」
「あら、だから言い訳が立つのよ。10歳を待って婚約を結ぶ予定が元々あったのだと言い張れるでしょう? あの子たちはふたりともモレ子爵家の養子を狙っているし、どちらかを婿に貰ってあげるのはどうかしら」
「だめだよ……私が家に残ったら私が子爵じゃん……」
「カナンなら、なってしまえばどうとでもなると思うのだけど、なりたくないのよねえ」
「やだよ、向いてないもん……」
そうかしら、とマリーアンヌはころころ笑う。この国の爵位継承は直系が基本だ。性別は問われない。セオドアとオリバーはマリーアンヌの双子の弟で、どちらも侯爵家の跡取りではなくモレ子爵家の跡取りを狙っている。うちのお父様が、私を外に嫁に出して血縁から養子を取ると公言しているので。あのふたりが名乗りをあげてしまったのだから、もう近いうちにどちらかに決まるだろう。
侯爵家より子爵家がいいなんて、変わった子たちだなあと思う。まあ、現場に出回りたいのが理由なの知ってるけど。伯父様もふらっとどっか行こうとしてよく伯母様に怒られてるし、この気ままな気質はメルクール家の血だな……
本来であれば私が子爵家を継ぐことになるのだが、私もお父様も「やめとこ」で意見が一致している。うちは下位貴族なので、私が家を出て養子を取ることができる。お父様は私の結婚相手として、メルクール侯爵家の騎士辺りを狙おうと考えていたんだと思う。使用人を雇えて、生活に困らなくて、私の実家が力関係で上になれるような相手をだ。
今から捏造しようにもなあ……調べられちゃったし、「恋人いない」って言っちゃったし。侯爵家のご子息ならまだしもほぼ平民の騎士は、巻き込めないよなあ……私は重い溜息をついた。
「お母様は、カナンが王太子妃に望まれたことについて何とおっしゃっていたの?」
「伯母様見たことない顔で絶句してたよ。初めてみた」
「見てみたかったわ」
いやあ、いつも冷静な淑女の顔を崩さないのに、初めてみたよね。伯母様かわいそう……殿下のせいで……それを思ったら、お父様が知ったら泡ふいて倒れちゃいそうだな……メルクール領にいるまだ何も知らないお父様……お父様かわいそう……殿下のせいで……
「失礼致します。ヴァルモン卿がお見えになられました」
執事が私たちに来客を告げる。そんな予定あったかな?
「お通しして頂戴」
マリーアンヌは姿勢を正してさっと髪を整えながらこたえる。その姿はまるきり恋する乙女だった。