第一回報酬会合 償いと責任
まずくないかこれ。私は誤魔化すようにティーカップに手を伸ばし、口をつけた。おいしいね、きっと良い茶葉だ。草とか花とか果物とか言われてもわからんけど。
「カナン・ド・モレ。モレ子爵家の一人娘。5歳のときに母親と死別、6歳のときに父親の赴任先に同伴し、メルクール領東部で9年間を過ごす。15の年に父親の任務が終了。以後はメルクール領首都に戻り、侯爵邸にて過ごす。現在18歳」
ワ……ワアー、これはちゃんと調べられてますね。
「婚約者はおらず、恋人や近しい男性もいない。間違いはないね?」
「はい、間違いございません」
9年間。その9年間を押さえられてるかが問題なんだよなあ……私は曖昧な笑顔のまま、そっと目を閉じた。
メルクール領東部での9年間。私はそこで、とても自由だった。
きっかけは、東部で大掛かりな河川工事を執り行うことになり、現地の責任者として父が長期間赴任すると決まったことだ。だが始まりは、母が儚くなったことだったと思う。
母の親友だった伯母様はたいそう嘆き、そして決意した。伯母として、残された姪を立派な淑女に育て上げてみせる、と。――そう、私をだ。
愛はあれども厳しくなる教育。赴任地へと赴く父。私はごねにごねて父の足にしがみついた。「お父様と離れたくない」と。「一緒に行くの」と。哀れっぽく泣いても見せた。母親を亡くしたばかりで父親とも離れなければならないなんて不憫だと、私の言い分が通るように。私は逃げ出したのだ、淑女教育めっちゃ嫌すぎて。
それからは自由だった。最低限の勉学は課されたが、父は私に甘かった。元気が良くて花丸だった。母が元気な子供だったらこうして過ごしたかったのだろうな、と、にこにこと見守られた。お母様、深窓の令嬢とか妖精とか言われてたけど実際は結構ないたずらっこだったもんね。たぶん父は諦観もしていたのだと思う。こいつ子爵も貴族の奥さまも向いてないぞ、と。
当時熱かったのは『勇者と魔王ごっこ』だ。私は手頃な棒を振り回し、河川工事を請け負う腕自慢を親に持つ子供たちと辺りを駆け回った。魔王として。
当然私には騎士がつけられていて、彼の役割は『魔王の右腕』だった。彼はわんぱく坊主たちに立ちはだかり、日々切られ役を堂々と演じきった。めっちゃ付き合いよかった。最後は勇者が私に向かって『封印!』と叫んでごっこ遊びは終了だ。毎日楽しかった。
そんな楽しい日々も年齢があがるとまた変わってくる。遊び方も変わるし、年頃らしい男女差も芽生えてくる。地位の違いへの理解なんかも。
仲が悪くなったり、排他されるわけではなかったが、彼ら彼女らの人間関係にはどうしてもね。貴族が口を出してはいけないことくらいは理解していた。淡い恋を、かき回してしまうから。
それでなんとなく家の中でだらっと過ごすようになった。本とか読んで、お菓子摘んで。そして気付いてしまった。『アレ、これ最高じゃない?』と。
見事に、活発さを使い切ったやる気のない引きこもりが発生したのだ。
「公衆の面前で、あの異形に口付けを送ったのだ。今後あなたの縁談に差し支えがあるかもしれない」
真剣にこちらを見つめる殿下に、淡く微笑んだまま視線を返す。セーフ? これセーフ? 貴族子女としてやばいとこバレてない?
「私はそれを危惧しているし、責任を感じている。あなたの行動は称えられるべきものだが、呪いを受けた私の姿は、到底人に受け入れられるものではなかった」
殿下は真面目な顔つきで言葉を続ける。セーフっぽいな!?
「その責任をとり、許しを得られるのであればあなたを妃に求めたいと考えている」
「――――は」
「もちろん、責任感だけではないよ。あなたが国益のために即座に下した決断と行動。私はそんな女性に隣に立って欲しいと、常々思っていた」
3食おやつと昼寝付き生活のために即座に下した決断と行動で!? 私は想像だにしていなかった殿下の言葉に絶句した。いつそんな話になったんだっけ!?
「この会合を非公式とした理由でもある。もちろんあなたに謝罪したかったのも理由ではあるが、私はあなたに、あなたが望む償いをさせてもらいたいと考えている」
王家からの下賜ではなくね、と殿下は肩をすくめる。待って、待って、ちょっと手前からやり直して。結婚!?
「私がこの考えを公にすれば、あなたに逃げ場はなくなってしまうだろう。だから、まずあなたが望むものを教えてもらいたい。非公式の場だ、遠慮はしないで欲しい。私はまずそれを叶えたいと考えているのだから」
「それ、は。その」
正直、この展開は考えていなかった。今の流れで『離宮に住まわせてください』っていったらもうそれは王太子妃になりたいっていう意味にならん……? 詰んだ……殿下いきなりお金の話とかしてくれないかな。報奨金あげるよー! ヤッター! 一生に亘る定額払いでー! とかならん……?
冷や汗をかき視線をうろつかせる私に、殿下はふっと息を吐いて微笑みかけてくれた。
「突然の申し出だ、驚かせてしまったようだね。日を置こう。2日後、また迎えを送る。それまで考えていて欲しい」
「わかりました」
持ち帰り検討。素晴らしい言葉だ。マリーアンヌにも相談できる。私は即座に頷いた。
再び殿下のエスコートを受け、扉の前まで送られる。退室の挨拶をすると、殿下は艷やかに笑って私を見つめた。
「私があなたを妃に求めているのは本心だ。覚えていて欲しい」
別れ際の圧倒的顔がいい殿下の追撃に、私は呆然としながら帰宅するのだった。