婚約者としての、最後のお茶を
明後日はついに結婚式だ。最終確認を終え、殿下としばしのティータイムが設けられた。今日は趣向を変え、殿下の執務室から繋がる専用の中庭に席が用意された。枝葉を揺らして頬を撫でる風が心地良い。水路を流れる水の音が涼やかだ。
使用人たちはお茶を用意すると執務室に下がっていった。人がおらずとても静かで、美しく整えられた庭園が目を楽しませてくれる。開放的で、やすらぎを感じる素敵な庭だ。
「はー……いいねここ。もっと早く出ればよかった」
「これからずっと、いつでも席を用意できるよ」
「それもそうかあ」
婚約者として会うのは今日が最後で、次に会ったら私達は夫婦となる。明日は1日かけて磨き上げられるんだって……たいへんだね……
「カナン、歴史書の質問を受けていたときも、婚約者として打合せを重ねる間も、私は常々思っていた。あなたは楽になる方法を見つけるのが上手い」
「めんどくさがりだからね」
最小限ですませようと努力するのは得意だ。できるだけ楽に生きていきたい。
「だからねカナン。今後私と共に執務の見直しをしよう。あなたは私の説明を聞いて、面倒だと思う部分を正直に教えていって欲しい」
予想外の殿下の言葉に、私は椅子にもたれ掛かっていた背を起こして彼の顔を凝視した。殿下は冗談を言っているようではない。至って真面目な顔をしていた。
「もちろん、あなたが面倒だと思うところには動かせない重要な部分もあるだろう。それでも、あなたと『当たり前』を見直していければいいと考えている」
「ああ、わかるよ。根回しとか、顔を立てるとか、面目とか。私すぐ面倒だと思っちゃうけど、大事なんだよね?」
「うん、話を通す順番ひとつで拗れることは多い。だが事務手続きの簡略化、書類の書式や管理体制……見直していけるものは多々あるだろう」
「おお……馬鹿とハサミは使いよう……」
心底感心する私を見て、殿下はフッと噴き出して口元を押さえた。
「私見当違いなこと言い出さないかな」
「ふふ、大丈夫だよ、共に見直すんだ。私は細かい性分だから、きっと丁度良い」
共に、皆が少しずつ楽になる方法を考えていこう、と殿下は微笑む。官も民も、皆がちょっと楽になるように。それはとても素晴らしいことで、私が私のまま、ちょっとは役立てそうな気がした。
「……私はこれからも、隙あらばだらけようとすると思う」
「うん」
「楽な道を目指しつづける自信がある」
うん、と、笑いを含みながら殿下は私に同意する。
「私は、あなたに隣にいて欲しい」
――ああ、そうか。
私達はこれから、今までみたいに負けたり折り合ったり、お互いの利になることを考えたり、教えてもらったり、きっとそうやって暮らしていける。
王族なんだから普通に3食出るだろう。おやつも毎日食べてた。めっちゃおいしい。蔵書も読んでたし、たぶん殿下は私があのカウチソファーで寝落ちしても笑ってると思う。いやどうだろ、違う部屋で寝た方がいいよって笑うかもしれないけど。
そっか。うん、すごくいい。
「あのね、殿下と一緒にいるのは面倒じゃないよ、たのしい。あなたの隣は楽に呼吸ができる」
『知ってしまえばもう他を選べない』か。なるほど真理だ。さすがマリーちゃんだ。王太子妃かあ。やっぱりすごい肩書きくっついて来ちゃったなあと思うけど、この人に付いてきちゃったならもう仕方ない。やってやれないことはないだろう。
「ちょっとくらい大変でも、まあしょうがないかって思う。私、フェリクス殿下がすき」
殿下は目を見開いて、それから耳の端を真っ赤に染め上げた。初めて見る反応だな。
「なんで今…………明後日パレードが終わってから知りたかった……」
殿下は両手で顔を覆って天を仰ぎ、大きく息を吐き出してから真っ直ぐに私を見つめた。
「私はもう前からあなたが好きだよ」
「ふひひ、そうかなって思ってた」
これほど大切にされて、義務感でしかないと思うことはない。私はにやりと笑ってみせた。
「伝わっていたようでなによりだよ……」
殿下は手を伸ばし、私の頬をするりと撫でた。
「カナン、口付けてもいい?」
「ヒエッいきなり言うね」
「私たちの口付けはいつも人前だ。解呪のときも、明後日も、何度も」
「それはそうね」
いやまったく、その通りすぎてびっくりするわ。
「だから今、ふたりだけの口付けをしよう」
「いっいいけど!?」
私は頬を真っ赤に染めてその提案を受け入れた。
「やっぱり、今聞いてよかった。明日は曖昧な笑顔を崩さないで」
「まあいけるでしょ……」
殿下の顔がゆっくりと近づく。私は口端を震わせながら瞳を閉じる。
私たちは、ふたりだけの庭園で、秘密の口付けを交わした。









