第一回婚約者会合 あなたが望むもの
「殿下さあ、容赦なさすぎん?」
本日も殿下の執務室に通された。今日私が書類にサインをすれば正式に婚約者となるので、もうこれは当たり前のことかもしれんね。ハハッ、うそでしょ。
「あなたには後回しにしようとする癖があるから手回しが楽だったよ。――こちらにサインを」
「書くよ、書くけどさあ!」
知ってるけどさあ! 伯母様のお小言が脳裏によみがえる。「最小限を目指すから今こんな事態になっているというのに」……本当だよね〜〜〜!!
とはいえ、自覚をしているからといっても、直せるものと直せないものがある。私たぶん一生無理だもんな。ハー……なんとか居心地のいい関係を構築しよ。私は半眼で書類を見つめ、諦めて署名した。
殿下は書類をあらため、うん、と頷き微笑んだ。
「これで正式に、私とあなたの婚約は整う。これからよろしく頼むよ。……カナンと呼んでも?」
「いーよ。私もなんか名前とかで呼んだほうがいい?」
「いや、好きにしてくれて構わない。あなたが呼びたいと思った時に、好きなように呼んでおくれ。――それに」
殿下はこちらを見つめ笑みを深める。ウッワ眩しい。
「あなたから呼ばれる『殿下』は、どこか愛称のように聞こえる。私はそれも好ましいんだ」
まあこんな雑に呼びかけられることないだろうからな。私はとりあえずしばらく殿下呼びでいいか、と思うことにした。そう、後回しだ。
「……お父様びっくりしてなかった?」
「先触れを出してから、と思ったのだが、何分目立ってしまってね。すぐに出迎えてくれたよ。申し訳ないことをしたね」
まあなあ〜、聖鳥飛んできちゃったらなあ〜。泡をくって飛び出すお父様の姿を想像し、目頭を押さえた。お父様かわいそう……大丈夫かな、胃とか、頭髪とか。
「モレ子爵はあなたとの縁談を、と聞いて頭を抱えてしまってね。あなたの話を色々と聞いたよ。――ギルバートに土を投げつけて悲鳴をあげさせたというのは本当?」
「あー……小さいときにそんなこともあったかもしれんね……」
なんかたまたま混ざってたミミズに驚いて叫んでた覚えがある。たぶんマリーちゃんを独占しようとして、すごいむかっ腹が立ったんだと思うよ。まだギルバートがマリーアンヌの婚約者ですらなかった頃だ。
殿下は口元を押さえ俯き、くつくつと笑っている。結構笑い上戸かな。
「あとさあ、『正妃』って言っちゃったけどいいの? 確実に向いてないけど」
「ああ、私は妃を複数迎えるつもりはないんだ」
「……そうなの?」
「今の家族に問題や不満があるわけではないよ。皆仲が良いし、誰一人欠けることは想像できない。だが自分が、と考えると、父のようにはできないと思ってね」
「大国の王妃が私ひとりって不安じゃない?」
だって私だぞ。より低みを目指す感じで生きてるぞ。
「いや。あなたと話して、モレ子爵からあなたの話を聞いて、確信したよ。あなたはきっと、私が一番欲している支えとなってくれる」
私が何の支えになるというのか。胡乱げな私の視線に、殿下は真剣な顔で口を開いた。
「私は、私が道を間違えた時に、『それは違う』と止めてくれる人に隣にいて欲しい」
あなたはきっとそうしてくれる、と告げる殿下は表情を和らげ私を見つめる。ええ、どうだろ。まあすごく嫌だと思ったら、相手が殿下でもきっぱり言っちゃいそうだけど。婚約者とか配偶者っていう立場になるわけだし。
「母は3人とも、父を心の底から愛している。彼女たちにとって一番優先することは、何においても父だ。きっと、父が間違えても彼女たちは父の望みを叶えるために力を尽くす。…………私は、それが少し怖かった」
重い愛を、少し怖いと殿下は言う。それは少し理解できるものな気がした。ギルバートとマリーアンヌも、きっとそういう愛し方をしている。伯父様にもそういうところがある。今は亡きお母様にも。いやメルクール家の愛し方重くない? 私自分がってなるとちょっと無理なんだけど。
「父はその愛を3人分、平然と受け止める。だが私は……そうだな、崇拝のような、盲目的な愛を恐ろしく感じる。私が力尽くで叶えられないものは、およそ存在しないから」
殿下の場合はもっと重いのだろう。何せ彼はこの世に並ぶものはない大国の王となる人で、勇者だ。世界で一番の富と権力と、武力を持つ人だ。――無条件に信じ、止めてもらえないのは、きっととても恐ろしい。
「もちろん、道を違えずに国を治めたいと思っているし、妻となった人とは互いに尊重し、慈しみ合いたいと思っている。愛情を育みたいと。私は、あなたとそうなりたいと思っているよ」
なるほど、ちょっとわかった。殿下みたいな真面目でしっかりしてて、暗躍ができるタイプの人には、私みたいな適当で気の抜けたのが隣にいるくらいがもしかしたら丁度いいのかもしれない。
「私も居心地いい関係を築きたいと思う。だから嫌だったらちゃんと言うね。正直愛はまだあんまわかんないけど、まあ、殿下とだったらなんとなくやってけそうな気がする。王太子妃は自信ないけど」
よろしくね、と差し出した私の手を握り、うん、と頷いて、殿下は嬉しそうに笑みを浮かべた。









