あなたが望んでくださるのなら
早い時間からマリーアンヌと同じコースでぴかぴかに磨き上げられた。軽食を挟み、休憩。コルセットをつける。ぐええ。昔はもっと締め上げたらしいけど、いや今でも十分苦しいし。正装するからやむなしだね……
殿下から贈られたドレスに袖を通す。サイズはぴったりだ。ダンスのレッスン中に一度採寸されたから、あれがきっとそうだったのだろう。
「とても美しいね、カナン。似合っているよ」
そう言って差し出された伯父様の手をとり、王宮へ向かう。王宮のエントランスホール、大階段の前で、殿下が私を出迎えた。
「待っていたよ、カナン嬢。さあ、どうぞ手を」
伯父様の元から殿下のところへ。脳裏をよぎったのは、「売られる子牛」という言葉だ。いや別に売られてないんだけど。はあー……ダンスめちゃめちゃ気が重い……私は気力を振り絞り、曖昧な笑顔で背筋を伸ばした。
「あなたがそのドレスを着てくれることが嬉しい。とても似合っている」
盛装した殿下はもはや神々しい。ドレスと共布のポケットチーフが胸元を飾っている。
「殿下よく2週間でこんなすごいドレス用意できたよね」
「最後まで私が誰かを連れ帰ると思われていてね。布やデザイン画、調整の効くところまで仕上げたドレスが用意されていたんだ」
ああ〜、皆てっきり誰か引っ掛けてくると思ってたもんね。王太子妃受け入れ体制が整ってたんだね。
「その中から、一番似合いそうなドレスを選んだ。次は全てあなたのために選んだものを贈らせておくれ」
「まあ……機会があれば……」
機会はまあありそうなんだけど、いやほんと、首と耳からぶら下げてるのとか値段考えたら怖すぎるんだよなあ……
遠い目をする私をエスコートしながら、殿下は楽しげに笑っていた。
§
「魔王の封印を祝して!」
陛下の号令で祝賀会が始まった。ファーストダンスは殿下と、私だ。
「カナン嬢、私と踊ってくださいますか?」
差し出された殿下の手に、笑みを深めて手を乗せる。
「よろこんで」
よろこんで、と言うしかない。大丈夫だ。きっと殿下の足は丈夫だと思う。
大広間の中央に導かれ、曲が始まる。私は殿下と手を取り合い、ステップを踏み始めた。
「イチニイサン……イチニイサン……」
周囲に聞こえないように、小声でリズムを刻み続ける。殿下には聞こえているが、もういいよ、殿下もう私の性格知ってるし。
「――カナン嬢」
「今話しかけんで。足踏むから」
なんとか笑顔を作りながら必死に足を動かす私の言葉に、殿下はふふと笑い「踏んでいいから、そのまま聞いて」とこたえた。言ったな? 本当に踏むぞ。
「先日、あなたのお父上にお会いしてきた。婚約の了承を頂いたよ。陛下からも、メルクール侯爵からも許可を貰った」
殿下のとんでもない発言に、度肝を抜かれて足がもつれた。ぐらりと傾ぐ体に、アッこけるな、と思った瞬間、殿下が私を支えくるりと回る。体が浮いて回転する。後ろの裾が靡いて広がる。
「あとはあなたの許可だけだ」
音もなく私を地に下ろし、殿下は艶やかな笑みを浮かべる。音楽が止んだ。踊りを止めた私達に、何事か、と人々の視線が集まる。殿下が静かに膝を折った。
私は今大広間の中央で、王太子殿下にひざまずかれている。
「私の運命の『清らかな乙女』、どうか私の正妃となってください」
あまりに詰めが早い。気軽に往復できる距離じゃないぞ、と思ったところで、眼前の御方の立場に気付く。
ああー! 真なる勇者だもんね! なるほど聖鳥ね!! いやそんな私用で気軽に使うことある!?
私は詰みを痛感した。勝てんじゃんこんなの。こんな人前でなければ側妃交渉あったのに……
私は渾身の猫を被り恥ずかしげに微笑んだ。
「殿下が望んでくださるのなら……」
もうこうなったら腹くくって居心地いい巣作りに挑も……まあいけるでしょ……たぶん……
割れんばかりの歓声を浴びながら、私は遠い目をして殿下との関係構築に思いを巡らせた。
「あなたのその」
立ち上がった殿下が顔を寄せ小さくささやいた。
「自分の利をなるべく得ようとする姿勢が好きだよ」
私は驚いて目をしばたたかせ殿下を見つめた。
「かわいい」
美しい顔をほころばせそう告げる殿下に、私の顔は茹だるように赤らんだ。
いやあ……いいように負けそうですねこれ……