Fight4:『サン=ブレスト号』
件の『島』はパプアニューギニアの北部に広がるビスマルク海の只中にあるらしい。かの国は経済的な困窮から入植や開発が進んでいないほぼ手つかずの無人島が大量にある。先進国ではまず考えられないような広さの島がほぼ手つかずで、『自然公園』という名目で放置されているのだ。
そこに目をつけたグラシアン・ドレという大富豪(ドミニク達の『ボス』だ)が、そんな島の一つを買い取り、自らの『遊び場』へと作り変えた。彼はその遊技場でこれまでにも様々なゲームを催してきたらしい。勿論その裏では今のマーカスと同じように賞金目当てでそうしたゲームに参加し、脱落していった数多くの『プレイヤー』達の存在があるのだろう。
世の中は善意だけで回っている訳では無い。マーカス自身とある事情で『表』の格闘技界を追放され、非合法のストリートファイトを渡り歩いている身だ。そのグラシアンという男がやっている事の是非を問う立場にはなかったし、問うつもりもない。彼にとって重要なのは『優勝者』には確実に賞金が支払われてきたという事実のみだ。
それでニーナを助けられるのであれば、地獄の悪魔とだって契約するだろう。
マーカス達の乗る飛行機がパプアニューギニアの首都ポートモレスビー内にある唯一の国際空港に到着する。そこから空港を出ずに国内便に乗り換えて、ビスマルク海に面した北の街マダンに飛ぶ。ここにある小規模の港にグラシアンの私有船が停泊しているらしい。
マダンの空港から出ると赤道に近い熱帯特有のジメついた空気がマーカス達を包み込んだ。発着場に行くとそこでスーツ姿の男たちが何人かマーカスとドミニクを出迎えた。
「ご苦労さま。彼がマーカス・ハンターよ。ナンバー16での登録をお願い」
ドミニクが男たちに伝達している。登録はマーカスが最後らしいので、彼自身を含めて選手は16人いるという事か。丁度トーナメントが出来る人数だ。
(だが主催者やスポンサー側がそれじゃ物足りないって話だったな)
非合法の格闘トーナメントでは刺激が足りないとは、一体その連中はこれまでにどんなゲームで目を肥やしてきたというのか。
ドミニクと一緒に男たちの送迎の車に乗って港まで移動する。マダンの粗末な街並みを抜けて港まで着くと、小さな町や港には不釣り合いなほどの豪華客船の威容が彼等を出迎えた。
「さあ、どうぞ。あれがグラシアン様の現在の住まいであり、このゲーム中はあなた方の仮拠点も兼ねる『サン=ブレスト号』です」
「……!」
大きさとしては中規模ほどの客船だが、これを何と個人で所有しているというグラシアン。改めてその常識外れの富豪ぶりを認識させられる。だがこれなら確かに『優勝賞金』をケチったりする心配は無さそうだ。
タラップを伝って直接船内へと入る。船に入るとそこは客室のエントランスのような場所であった。船の従業員のような人間が待っていてマーカスにカードキーを渡してくる。
「それがあなたの部屋です。ゲームは『ステージ』ごとにインターバルを挟んで翌日に持ち越しになるので、基本はステージクリアごとにこの船に戻ってくる形になります。その間はその部屋があなたの休む場所になりますので荷物などはその部屋に置いておいて下さい」
どうやら何日か日を跨いだ長丁場の戦いになるようだ。とはいえニーナの手術費納入期日までにはまだ日があるので焦りは禁物だ。
「私はグラシアン様への報告に向かいます。この後現地時間の夜7時からパーティーホールにて『開会式』があります。グラシアン様より直接、大会の概要説明と皆様への激励のメッセージがありますので必ずご臨席下さい」
「そりゃありがたいこった。じゃあそれまでは部屋で休ませてもらうよ」
ドミニクの説明にマーカスは皮肉げに鼻を鳴らす。彼女と別れたマーカスは船内の案内板に従って自分の割り当てられた部屋に向かう。
中規模とは言え2万トン以上はあるように思える船だ。客室も数え切れないくらいに並んでいる。マーカス達だけに1人一室割り当てたとしても当然部屋は余りまくっている。はっきり言えば完全な赤字のはずだが、それが問題にならないくらいの資産があるのだろう。
(あるいは……この『ゲーム』では他にも金持ちのギャラリーが大勢いるようだから、そっちで元を取るのかもな)
まあ彼としては知った事ではなかった。ちゃんと運営されて最終的に優勝賞金が支払われるなら他はどうでも良い。そう思って割り当てた部屋まで歩いていると……
「……!」
居並ぶ部屋の一室から誰かが出てくるのが目に入った。若い女性だ。マーカスよりも年下だろう。なんとはなしに視線を向けたマーカスは、何故かその女性から目を離せなくなった。
まず目に付いたのはセミロングの輝くような金髪だ。薄っすら日に焼けた健康的な白い肌、青い瞳、そしてマーカスの目も思わず惹いた意志の強そうな美貌。モスグリーンのタンクトップに黒のショートパンツという軽装から露出した腕や脚は程よく鍛えられて引き締まり、それでいて女性特有のシルエットと魅力を少しも損なわないどころかむしろ美しさを際立たせていた。タンクトップを押し上げる胸の膨らみも目を惹く。
足は脹脛丈の黒いコンバットブーツに覆われ、両手にも黒の指ぬきグローブを装着していた。ギャラリーやコンパニオンというには違和感のある格好だ。
その美貌や衣装に目を奪われたのは事実だが、何故かマーカスはその女性を見た瞬間、今は亡き妻を思い出した。顔だけではない、どことなくだが雰囲気が似ているのだ。
マーカスが無意識的にその女性に目を奪われていると、彼女の方も当然こちらに気づいて視線を向けてきた。女性も何故かマーカスを見て若干その大きな目を瞠った。
「あなたは……最後に到着した選手ね?」
マーカスの持っているナップサックを見て女性が声をかけてくる。見た目通りに美しく澄んだ声であった。
「ああ……マーカスだ。マーカス・ハンター」
「そう……あなたもグラシアンの金目当ての1人という訳? あの男がこれまで何をしてきたか解ってて参加したの?」
「俺には関係ない。どうしても金を手に入れなきゃならん理由があるんでな。それ以外の事はどうでもいい」
マーカスは半ば自分に言い聞かせるために断言する。女性はそんな彼の様子に目を細める。
「そうなのね。あなたは他の選手たちと違うように見えたけど……余程の理由である事を願うわ」
「そいつはどうも。で、あんたこそ誰だ? この船のスタッフ……には見えないな。雇われたコンパニオンか何かか?」
マーカスが問い返すと女性は意味深な笑みを浮かべた。
「コンパニオン? ふふ、そうね。私はリディア。リディア・ブレイズよ。あなたとはまたすぐに会う事になるわ。そこで私が何者かは解るはずよ」
「何だと? どういう意味だ?」
マーカスは眉をひそめるが、女性……リディアはそれ以上は答えず、笑みを浮かべたまま手を振って立ち去っていった。
(妙な女だったな……。まあいい。あの女が誰であれゲームの内容には関わるまい。だったら俺には関係ない事だ)
彼はそう結論を下して、再び個室に向けて歩き出した。だが……彼はその結論が間違っていた事を数時間後に知る事となる……