Fight23:白面のサディスト
「ぐ……」
「マーカス!? マーカス、大丈夫!?」
苦痛に呻いてしゃがみ込むマーカスの姿にリディアが悲鳴を上げる。腕や脇腹を刃物で斬り裂かれたのだ。骨や組織にまで達するような深手ではなかったのが不幸中の幸いだが、それでも斬られた箇所からは出血が続いている。打撃の痛みとはまた異なる苦痛がマーカスを苛む。だが……戦いはまだ終わってはいなかった。
「ふ、くく……優勝賞金の代わりに『特別報酬』で釣った奴等だが、まあこんなものか。でもそれなりにいい仕事はしてくれたねぇ!」
「……っ!」
ロベールは嗤いながら、抱えていたリディアを荷物のように後ろの床に放る。後ろ手錠で受け身も取れないリディアは床に転がって呻く。それを一顧だにせずロベールは、ナイフも捨ててこちらに近づいてくる。
「さあ、テイラー氏。第2ラウンドといこうじゃないか! 精々苦痛の内にボロ屑のように死んで、ボスや観客の皆さまを楽しませるんだね!」
「ち……屑が!」
マーカスは苦痛を押し殺して立ち上がると、迎撃態勢を取る。ロベールはまだかなり距離があるにも関わらず蹴りを繰り出してきた。マーカスは反射的に脚を上げて防御するが、ロベールは構わずその脛目掛けてつま先を蹴り込んできた!
「ぬぐっ!?」
「はは、どうしたテイラー氏!? 僕のサバットを味わうのはこれからだよ!」
ガードしたというのに予想以上の痛打に呻きを漏らすマーカスを嗤うロベール。奴は次々と蹴りを繰り出してくる。全てがつま先を打ち付けてくる、キックやムエタイなどとは異なる打点。しかも靴の先に何か金属が入っているのか、こちらのガードを貫通する重く強い打撃となっている。
それでいてその蹴りの軌道の多彩さは、ステージ2で戦ったテコンドーのパクにも劣らないものだ。
(つま先で蹴る分、リーチは奴の方が上か。距離を詰めるしかないか……!)
こんな蹴りを何度も食らっては身体が持たない。マーカスは強引に踏み込んで距離を詰める。つま先による蹴りが主体なら接近してしまえば使えないはずだ。そのまま首相撲の体勢に持っていこうとするが……
「ふはっ! 甘いよ、テイラー氏!」
ロベールはボクシングのお株を奪うような強烈なワンツーを繰り出してマーカスを牽制する。サバットは蹴り技主体の格闘技のはずだが、拳打による接近戦の技術もあるようだ。マーカスはそれでも強引に踏み込もうとするが、そこに先ほどマヘンドラに切られた傷からの出血や痛みが重なり、その動きが鈍ってしまう。
その間にまんまと距離を離されてしまう。再び重く鋭い爪先蹴りの雨がマーカスを襲う。これまでの連戦によるダメージの蓄積が馬鹿にならないレベルで、万全の状態ならまともに戦えていたはずの相手に防戦一方になってしまうマーカス。
「くっ……!」
「ふぁはは! いいよ、その表情! もっと苦痛と絶望に呻いて、僕と観客を楽しませてくれ!」
ロベールは嗜虐的な笑いを上げながら甚振るような攻勢を強めてくる。それでいて優れた格闘家らしく、マーカスの窮鼠の一撃を警戒する慎重さを併せ持っている。彼は有効な手立てを見出だせずに追い込まれていく。
そんなマーカスの様子をリディアは、後ろ手に手錠を掛けられた姿で床に横たわったまま見ていた。万全の状態であれば決して引けを取らないだろう相手に、連戦の疲れとダメージから思うように戦えずに追い詰められていくマーカス。このままでは彼は負ける。
あのダメージの中にはリディアを守る為に傷ついたものも多い。そんな彼が苦戦しているというのに、自分はここでただ見ているだけ。そんな状況に納得できるはずがなかった。
「くっ……」
不自由な体勢のまま四苦八苦しながら上体を起こし後ろ手をもがかせるが、当然というか手錠を外す事も脱け出す事も出来ない。仕方なくそのままの状態で何とか立ち上がる。ロベールもマーカスも互いの相手に集中しており、リディアの動きには気づいていない。
だがチャンスは一度だけだろう。そしてマーカスなら必ずそのチャンスを活かしてくれるはずだ。リディアは両手を腰の後ろに回した後ろ手錠姿のまま、極力慎重にロベールの背後に近寄っていく。
「やぁっ!!」
そして不自由な体勢ながら精一杯踏ん張って、身体ごと捻るようにしてロベールの右脚の膝を狙ってローキックを仕掛ける。
「おがっ!?」
マーカスにだけ意識を集中して彼を甚振る事に気を取られていたロベールは、歯牙にも掛けていなかったリディアの不意打ちに対処できずにローをまともに受けた。奴の体勢が崩れて片膝を付いた姿勢になる。
リディアはそのまま今度はロベールの側頭部目掛けて蹴りを放つが、それは敢無く奴の腕でガードされてしまう。ロベールが凄まじい目つきで彼女を睨んできた。
「この、アマぁ……!! 『賞品』の分際で僕の邪魔をするなぁ!」
「……っ!」
訳の分からない事を宣って怒り狂うロベールに気圧されるリディア。彼女は後ろ手に手錠を掛けられているので、襲われたら殆ど抵抗も出来ない。だが……奴の注意が一瞬だが完全にリディアに逸れた瞬間を、彼が見逃すはずがない。
「ふんっ!!」
それまでのダメージが一時的に全て沈黙したかのように、凄まじい勢いで跳び出したマーカス。ロベールが己の失態に気づいて慌てて距離を取ろうとするが、マーカスの方が遥かに速かった。
マーカスのミドルキックがロベールの脇腹に突き刺さる。リディアのそれとは比較にならない威力の蹴りをまともに食らったロベールは血反吐を吐いて、反射的に前かがみの姿勢になる。
マーカスはその頭を掴んで、間髪を入れず下から全力の膝蹴りを顔面に叩き込んだ。これまで多くの敵をKOしてきた彼の必殺のコンボだ。
「――っ!!!」
果たしてロベールは、その端正とさえ言えた顔面を見るも無惨に破壊されて、吹っ飛ぶようにして倒れ込んだ。当然起き上がってくる気配はなく、完全KOだ。
「ふぅぅ……! はぁぁ……! く……」
「マーカス!?」
ロベールの撃破を確認すると、荒い息を吐いていたマーカスは崩れるように片膝を付いてしまう。リディアは慌てて彼のもとに駆け寄って屈み込むが、後ろ手錠のために彼を介抱する事が出来ない。
「大丈夫だ。すまん、お陰で助かった。ちょっと待っていろ」
マーカスはそう言って立ち上がり、死に体のロベールの服をまさぐって手錠の鍵を探し当てた。そしてリディアの手錠を外してくれる。
「あ、ありがとう。でも、酷い怪我……。本当に大丈夫なの?」
リディアは自由になった手首を擦りながらマーカスを気遣う。彼女が未だ無傷で済んでいるのは、全て彼が殆どの敵の矢面に立ってくれたお陰だ。どうしても罪悪感や心苦しさを覚えてしまう。
「まあ何とかな……。お前が責任を感じるような事じゃない。それより……こいつらは一体何だったんだ?」
マーカスは倒れているロベールやマヘンドラを見渡しながら呟く。それはリディアも疑問に感じていた。
「最初から私達を待ち伏せてる様子だったし、こいつは私の事を『賞品』って呼んでたわ」
「ああ、どうもキナ臭いな。あのルーカノスという男の言っていた事が気になる」
リディアとマーカスが会員達の興味を惹いただの、グラシアンが仕掛けてくるだのという警告。当初は何のことか分からなかったが、こうなってくるとその警告が現実味を帯びてきている気がしないでもない。
もしそれが事実だとすると、彼女が考えているよりも時間的猶予は無い可能性が高い。こんなステージを何回も繰り返されたら、リディアは勿論だがマーカスもすぐに限界が来るだろう。
「リディア、どうした? 何か気になる事でもあるのか?」
「……! あ、い、いえ、何でも無いわ。それより流石にもう敵はいないみたいだから、先に進みましょう」
マーカスが訝しげな視線を向けてきたので慌てて取り繕うリディア。彼女の個人的事情にまで彼を巻き込む訳にはいかない。打ち明ければもしかすると彼なら協力してくれる可能性さえあったが、だからこそ余計に打ち明ける訳には行かないのだ。
彼には病気の娘を助けるという崇高な目的がある。リディアがそれを妨げるような事は絶対にあってはならないのだ。
フロアを抜けて先に進むと小さな部屋に到達し、そこにこれ見よがしにプラチナ製のメダルが安置されていた。一応これでステージ3『クリア』という扱いにはなるはずだ。
「…………」
ホッと胸を撫で下ろすマーカスを見つめながら、リディアは内心で今夜にも決行する事を決意していた……




