Fight17:中国拳法の脅威
「……!」
だが帰ろうと踵を返した2人の足が止まる。彼らの視線の先に……こちらに向かってくる2人の男の姿を認めたのだ。どちらも見覚えがある。参加選手だ。
いつの間に……と思ったが、勿論パトリックと戦っている最中に迫ってきていたのだろう。マーカスもリディアもとても端末を確認している余裕などなかったので、誰か他の選手が近づいてきていても察知できなかったのは致し方ない事だ。
2人の男はどちらも主にリディアに向けて下卑た、または嗜虐的な表情を浮かべており、どう見ても友好的な目的で近づいてきてはいなかった。恐らく先に倒したパクと似たような目的であろう。
男の1人は東洋人で腕章に『2』の番号が確認できた。中国人のリー・ファンシーとやらだ。もう1人はアラブ系の容姿で腕章の番号は『12』。オマーン人のハーリド・ビン・ファイサルという男だ。
マーカスは舌打ちした。どちらも女に暴力を振るったり殺したりする事に快感を覚える類いのクズだったはずだ。恐らくどちらもリディア目当てでここに集ってきたのだろうが、パトリックが倒されるのを見て急遽手を組んだという所か。
(マズいな……)
マーカスは自身の右肩の辺りに鈍痛を感じていた。パトリックの寝技に掛かっている時に腕を極められかけたが、恐らくその時に痛めたらしい。一晩きちんと療養すれば回復するだろうが、今この場での連戦はかなりキツい。
しかも相手が1人ならまだ先程のようにリディアとの連携で乗り切れるかも知れないが、2人となるとそれも難しい。マーカスが1人を足止めしても、その間に確実にもう1人がリディアに襲いかかるだろう。
「マ、マーカス……」
リディアも自身が狙われているという自覚はあるのだろう。青ざめた顔で声を震わせる。
「大丈夫だ、落ち着け。必ず乗り切れる」
彼女を落ち着かせるための言葉だが、それは自分に言い聞かせるためのものでもあった。リディアが一緒の事を考慮すると逃げるのは現実的ではない。また二手に分かれるというのも、連中の狙いがリディアだけなので悪手だ。
(……やるしかないか!)
こうなったら覚悟を決めて戦う他ない。彼がそう決意した時だった。
――ブンッ!!
「……!!」
敵2人とマーカス達の間に廃材のようなものが投げ込まれた。それによって思わず飛び退って距離を取る両者。
「よう、ハンター。なんだか面白そうな状況になってるな。お前さえ良ければ手を貸すぜ?」
「……! ムビンガ……!」
4人が視線を向けた先には1人の背が高い黒人男性が立っていた。ノースリーブのシャツから剥き出しの腕は極限まで鍛え抜かれているのが分かる。腕章の番号は『3』。ケニア人のボクサー、サムエル・ムビンガであった。
「……どういう風の吹き回しだ?」
「なぁに、ただの気紛れさ。メダルより女を甚振る事を優先するクズどもが気に食わんのと、そんな奴等にお前がやられるのも面白くないってだけさ。俺のリベンジの機会も無くなっちまう」
ムビンガはそう言って拳の骨を鳴らす。こちらの加勢をしたいというのは嘘ではないようだ。完全に信用はできないが今は贅沢を言っていられる状況ではない。
「すまん。そっちの空手使いを任せていいか」
「勿論だ。そろそろ雑魚の相手は飽き飽きしてた所だしな!」
ムビンガは嬉々としてハーリドの方に向かっていく。一方でリー達の方もムビンガが自分達に敵対するつもりだと悟ったようだ。しかし一対一でも勝てる自信があるのか、ハーリドは逃げずにムビンガを迎え撃った。リーはマーカス達の方に向かってくる。
「どうやらもう一仕事しなきゃならんようだ。お前は――」
「――下がってろとか逃げろって話なら無しよ。あいつらがここに現れたのは私のせいなんだから、あなただけを戦わせる訳にはいかないわ」
マーカスが何を言っても退くつもりはないらしい。だが先程までならともかく今はムビンガがいる。無理にリディアをこの獣共と戦わせる気はない。マーカスは彼女の腕を掴むと強引に引っ張った。
「……!? マーカス!?」
リディアは本能的に抵抗しようとするがそれを許さず強引に彼女を連れて走ると、フロアの隅にある事務所と思しき小さな部屋の、開きっぱなしになっていたドアの向こうにリディアを放り込んだ。そして素早くドアを締めると近くにあった廃材やコンテナを蹴倒してドアを塞いだ。幸いにして外開きのドアだったので、これで中からは開けられない。
「マーカス、何をするの!? 開けて!! 私も戦うわ!」
リディアは必死にドアを叩いたり蹴ったりして開けようとするが、彼女の力ではドアを塞いだ廃材を動かす事はできない。結果として狭い事務室に閉じ込められたリディアは、声だけは届くものの透明な分厚いアクリルの窓から男達の戦いを見ている事しか出来なくなる。
これで後顧の憂いはなくなった。マーカスが振り返ると、リーがすぐ間近まで迫っていた。その顔には嗤いが浮かんでいる。わざわざマーカス自身が獲物を閉じ込めてくれたのだ。後は彼を排除すれば中のご褒美を手に入れられる、とでも思っているのだろう。だがそれは彼を倒せればの話だ。
リーは東洋人らしく体格や体重はそこまででもない。恐らく先に戦ったパクよりも軽いのではなかろうか。このウェイトならそこまで強烈な打撃は出せないはずだ。そう判断して多少の被弾を覚悟で大胆に前に出るマーカス。リーは何と下がったり避けたりする事なく、自身も迎え撃つように前に出てきた。
これだと正面衝突だ。そうなればウェイトのあるマーカスの方が圧倒的に有利だ。リーが何のつもりかは不明だがマーカスに容赦する理由はない。彼はそのまま相手を一撃で殴り倒すかのような強烈なストレートを打ち下ろすが……
「……!」
リーはその小躯を活かしてストレートを躱すとそのままマーカスの懐に入り込んできた。殆ど密着するようなレンジだ。これでは禄に打撃も当たらない。しかしこの男は特にグラップラーではなかったはずだが。
その答えは直後に示された。リーは特殊な構えで体ごとショルダータックルをかましてきた。リーのウェイトから大した威力ではないと、マーカスは構わず反撃のカウンターを食らわせようとして……
「ぐぶっ!?」
腹部から胸部にかけて凄まじい衝撃を感じ、そのまま吹き飛ばされた。辛うじて倒れる事は避けたが大きく後退しながら片膝をついた。それほどの衝撃であった。
「マーカス!?」
密室となった事務所の中から、窓にかじりついて戦いを見ているリディアの悲鳴。だがそれを気にしている余裕はない。リーのウェイトからすると考えられないような強烈な打撃であった。少なくとも西洋の常識では。
(リストには何と書いてあった!? 確か……そう、ハッキョクケンとかなんとか……)
生憎中国武術には詳しくないのでそれがどういう格闘技なのかは知らなかったが、今のような超ショートレンジで重撃を与えてくる武術だと考えた方が良さそうだ。こんな物を何発も受けたら冗談抜きで身体が壊れる。ましてやパトリックとの戦いでダメージを負っているので尚更だ。
(受けに回るのは危険だな……!)
攻撃こそ最大の防御だ。リーはウェイトに比して攻撃力は異常に高いようだが、流石に耐久力まで見た目と乖離しているという事はないだろう。というよりそう願う他ない。
「シュッ!!」
ジャブで牽制する。迂闊に踏み込むと先程の強烈なカウンターの餌食だ。ジャブでリーの意識が上に向いた所で、奴の脛めがけてローを蹴り込む。
「……!」
奴はローに気づいて半歩下がってそれを躱す。だがこれでリーの耐久力は見た目相応だと知れた。耐久力も高いなら被弾を物ともせず強引に攻撃してきていたはずだ。となればこれはどちらが先により強烈な打撃を当てられるかのサドンデスのようなものだ。
マーカスの全力攻撃なら奴を一撃で倒せる可能性は高いが、反面あの衝撃をもう一度受けたら彼の方がKOされかねない。
(……やるしかないか!)
覚悟を決める。長期戦になると相手の方が有利だという事もある。マーカスは姿勢を低く構えて一直線にリーに向かって突進した。リーもこちらの意図を読んだのか、それともムビンガ達の事を気にして決着を急いだのか、逃げずに迎撃してきた。
リーは腰を落とした独特の体勢から、握り拳を縦に構えた特殊な構えで体ごと突っ込んできた。もう見た目で油断はしない。恐らくはまともに食らったらその時点で決着が付くような威力の攻撃と見做すべきだ。
八極拳の事を詳しくは知らないが、体幹の力も加味する事に長けた拳法のようだ。それがあの馬鹿げた威力に繋がっているのだろう。ならば意識するべきはその突き出された拳だけではない。
「ふっ!!」
マーカスはリーの崩拳というよりその体当たりを躱すイメージで、身体を大きく横にスウェーさせた。かなり大胆な挙動。だがその甲斐あってリーの体当たりを躱す事が出来た。
「你说什么!?」
驚愕したリーが母国語で何かを叫んで体勢を立て直そうとするが、そうはさせない。
「ぬぅんっ!!」
気合と共にストレートを奴の顔面に打ち込む。まだ体勢が整っていなかったリーはマーカスの拳を鼻面に受けて大きく仰け反った。そこに間髪を入れずがら空きになった胴体に渾身のミドルキックを叩き込んだ。
「ゲハッ!!」
肋骨が何本も叩き折れる感触と共に、リーが血反吐を吐いて沈んだ。起き上がってくる気配はない。決着だ。
「ふぅぅぅ……。く……流石に、限界か」
KOを確認して構えを解いたマーカスは、苦痛に顔を歪めてその場に片膝をついた。身体に受けたダメージも馬鹿にならない。今日は流石にこれ以上の戦闘は避けたいというのが本音であった。