Fight13:ヒーローとヒロイン?
豪華客船『サン=ブレスト号』には、選手たちに割り当てられた下層階の一般客室部分とは別に、彼等の立ち入りを禁ずる上層階部分が存在していた。通常デラックスやスイートなど高級な客室が並ぶセレブリティフロアだ。
現在この最上層の高級フロアは、この船の持ち主であり『ライジング・フィスト』の主催者でもあるグラシアンの『家』となっていた。彼はここで生活しながらネットワークビジネスやリモートワークで巨額の金を動かしているのだった。
その現在の彼の『仕事部屋』となっているロイヤルスイートの一室。グラシアンはそこで、モニター越しに大勢の人間達と対談していた。
「無事にステージ1が終わったようだ。脱落者は無し。全員が5個のメダルを持ち帰ってステージクリアとなった。『アザトース』の皆様、本日の見応えはどうだったかな?」
グラシアンの前には複数のモニターが置かれ、そこにリモート会議形式で大勢の人間の姿が個別に映し出されていた。彼が所属している、世界中の要人や企業家などで構成される闇のネットワーク『アザトース』の会員達だ。そして今回の『ライジング・フィスト』を観戦する観客達でもあった。
島に設置された監視カメラやドローンの映像はグラシアンだけでなく彼等の端末にもリアルタイムで配信されており、観客である彼等は個々にリクエストして好きなカメラの映像を映し出したり、注目している選手の動向を追ったりが出来るようになっていた。この船にいる『従業員』、即ちグラシアンの優秀な専属スタッフ達がそれらの対応を行っている。
『いや、中々見応えがあったよ。流石はグラシアンだ』
『そうね。選手たちの実力も大体見れたし。彼等が人を殺す所もね』
『全くだ。これが見れるから毎回君のイベントは楽しみなんだよ』
モニター越しに会員達が第一ステージの感想を述べ合う。概ね満足しているようだ。選手たちも曰く付きの強者たちばかりであり、自身の技術で思う存分人を殺せるこの機会を各々楽しんでいたようだった。
最初からこの第一ステージは各選手の紹介を兼ねたショーのようなものであった。会員達は好きな選手を追いながらその強さを吟味したり、彼等が『敵』を返り討ちにして殺す所などを見て楽しむのだ。最終的な『優勝者』を選んで賭けるのもこのタイミングになる。だがそれだけに判断の難しい選手がいるのは気になる所だ。
『あの……リディアといったか? 紅一点の選手。あれはどうなんだね? このイベントの主催者である君としては、あれは有りなのかね? 確かメダル集めの方法について明確なルールはなかった気がしたが』
「そうだな……」
丁度今考えていた事を別の会員に聞かれて、グラシアンは顎に手を当てて思案した。あのマーカスという選手の行動は彼としても予想外であった。だが確かに他の選手を助けてはいけないというルールはない。そのルールを態々付け加える必要性を感じていなかったのだ。
『あら? 私は良かったと思うわよ? 素敵じゃない、あのマーカスって男。あんな風に女性を助ける男なんて物語の中にしか存在しないと思ってたもの』
「……!」
だが別の会員の言葉にグラシアンはピクッと眉を上げた。彼女の言葉に他の会員(主に女性の会員)の中からも賛同する声が挙がり始める。
『ふーむ、言われてみればそうだな。ああいうのも存外悪くない。実を言うと私は『ヒーローに助けられるヒロイン』という奴が大好きでねぇ。そういう意味ではあの2人、格好の素材じゃないか』
男性会員の中からも賛同者が出始める。そういう嗜好の者は実際いるらしい。殺人ショーや選手同士の殺し合いだけでも良いが、それも続けば徐々にマンネリ化してくるのも事実だ。新たな刺激に飢えていた連中にとってマーカスとリディアの一幕は格好の新鮮な娯楽であったようだ。
勿論この『ライジング・フィスト』が血沸き肉踊る殺人格闘大会であるという主旨は変わらないが、そこにもう一捻り『スパイス』を加えてみてもいいかも知れない。グラシアンは会員達の反応を見てそのように考えた。
会員達との懇談が終わると、彼は部屋に備え付けのインターコムで人を呼ぶ。数分後に部屋の扉がノックされた。
『グラシアン様、ドミニクです』
「入れ」
短く応えると部屋のドアが開いて、メガネを掛けたスーツ姿の女性……ドミニクが入ってきた。
「お呼びでしょうか、グラシアン様」
「ああ。お前が最後に連れてきたあの男……マーカスは、中々の逸材だな。強さは勿論だが、その行動が予想外で……会員の多くはあの男をいたく気に入ったようだ」
「……!!」
ドミニクは目を見開いた。彼がステージ1で取った行動が理由で、船に戻ってきた彼に冷たい態度を取って(リディアの事は完全に無視した)、あなた達は失格になるかもしれないと脅すような事を言ってしまったのだ。
「なのでステージ2はとりあえず予定通りに行くが、もしマーカスがステージ1と同様の行動を取った場合は、ステージ3以降はそれを前提に会員の希望を取り入れた形に変更する可能性が高い。お前もあの男を気に入っているようだが、奴の行動は基本的に全て容認しろ。いいな?」
「……っ! は、はい、了解しました」
ドミニクは顔を歪めながらも頷いた。それ以外にどうしようもなかった。
「マーカス達にはお前から伝えておけ。下がっていいぞ」
「……はい。失礼致します」
グラシアンがモニターに向き直りこちらを見もせずに、退室しろと手を振る。ドミニクは一礼してから扉へと向かうが、その際にグラシアンに憎しみともつかない感情を込めた視線を投げかけるのだった。
*****
マーカスは船の中にあるレストランで1人、食事を摂っていた。ビュッフェ形式でいつでも好きな時に好きな物を取って食事ができる形式だ。この食事で料金を請求される事は無いらしく、参加選手の中にはここぞとばかりに食い溜めしている者もいた。先程まで同席していたケニア人ボクサーのムビンガもその1人だ。
当然と言うかあのステージ1で脱落した選手は誰もいなかったようだ。彼が『開会式』で読んだ通り、例え凶器を持っていようがあの程度の『敵』に殺されるような者はいないという事だ。ムビンガも危なげなくメダルを5個集め、しかも最初に襲ってきた『敵』は加減が分からず多分殺したと言っていた。
マーカスも似たようなものだ。恐らく遊歩道で戦った『敵』は入院治療しないと命に関わるレベルだったが、グラシアンがそのような手配をしたとは思えない。自分もまた人殺しであった。
(今更な話だな。俺は既に『人殺し』だ。ニーナを救うためなら他人の命を犠牲にする事を厭うような良心はとうに捨て去った)
彼が『表』の格闘技界を追放される要因となった試合を思い返す。相手はキャリアの浅いルーキーであった。だがそれだけに恐れを知らず向かってきた。そして彼にとって不幸な事に、中々の才能に恵まれていた。
いつしか手加減する余裕の無くなったマーカスの全力で放ったストレートが、折り悪く相手選手のガードを潜り抜けて直撃してしまった。気づいた時には白目を剥いて動かなくなった相手が沈んでおり、スタッフが大勢詰めかけて救命措置を行っていた。
大勢の観客やスタッフ、そしてメディアのカメラが見守る前での殺人。勿論事故という事で実刑は受けずに済んだものの、流石に人を殺した選手を華々しい舞台に登場させる訳にはいかない。彼は協会から追放処分を受け、表のあらゆる試合を組んでもらえなくなった。
その頃にはニーナの病気が顕在化して入退院を繰り返すようになっていたので、大金が必要なマーカスは自身の技能を活かして『裏』に流れるしかなかった。そして現在に至る。
「…………」
食事を摂りながら彼はスマホの中に保存されたニーナの写真を眺めていた。この船は一般の電波は遮断されているので、ニーナに電話は出来ない。写真は珍しく退院できていた時に公園で撮った物だ。ブランコに座って楽しそうに笑っている。手術が成功すればこれが『日常』になるのだ。その為にも絶対に『優勝』しなければならなかった。
しかしそうなると一つ、頭の痛い問題が浮上する事になる。
「……可愛い女の子ね。その子が娘さん?」
「……! ああ……まあな。ニーナだ」
丁度その時、その問題が向こうから声をかけてきた。リディアだ。食事の乗ったトレーを持っている。
「相席してもいいかしら?」
「……どこに座るのも自由だ。お前の好きにしたらいい」
マーカスは肩をすくめた。リディアは「じゃあお言葉に甘えて」と断ってトレーを置くと、彼の向かいの席に座った。正面から見ると尚更その瑞々しい美貌が目に付く。やはり彼女は亡き妻にどことなく似ている雰囲気があった。
「その……改めてお礼を言わせて。あなたがどういうつもりにせよ、お陰でステージ1がクリア出来たわ。1人では正直どうなっていたか分からないもの」
素直に礼を言ってきた。何か感じる所があったようだ。マーカスは再び肩をすくめる。
「俺がやりたくてやった事だ。お前の気にする事じゃない……と言っても難しいだろうが、ステージ2以降で返してくれればいいさ。まあどういう形式のステージなのかも分からんがな」
「ふふ、そうね。でも、ええ……この借りを返せる事を願っているわ」
リディアは少し柔らかい表情になって微笑んだ。そういう表情になるとその美貌が更に輝く気がした。とはいえゲーム中はどうしても緊張した表情になってしまうのは仕方ないが。
「ねぇ……あなたは、その、娘さんの為に戦っているのよね? 一覧表にそう書いてあったわ」
各選手の部屋に配られていた一覧表だ。ライバルのデータを知れる貴重な資料であったが、同時に自分の宜しくない情報まで勝手に掲載されていたのには困った。マーカスは溜息をついた。
「まあ、な。先天性の心疾患でな。手術のために大金がいるのさ。そういう訳で悪いが優勝まで譲る気はないぞ?」
「別にそんな事は頼んでないわ。私だってどうしても譲れない物があるのよ。優勝は自力で勝ち取るわ」
「金のために参加した訳じゃないと言ってたな? お前こそ女の身でどうしてこんな危険なゲームに参加したんだ? 明日以降も今日のように上手く行くとは限らんぞ?」
「それは……」
リディアが若干心苦しそうな様子になる。話す事は出来ないが、それを後ろめたく感じてはいるようだ。
「まあ無理に聞き出す気はない。だが余程の事情があるんだろう? もし俺に出来る範囲の事なら協力するぞ。優勝を譲るって事以外ならな」
「――協力する? まだそんな事を仰っているんですか、マーカス?」
マーカスの申し出に、しかし答えたのはリディアではなかった。同じ若い女性だが、リディアより少し冷たくて硬質な声。ドミニクだ。
2人が話している間に近づいてきたらしい。相変わらずのメガネにスーツ姿で、リディアと相席で食事を摂るマーカスを声と同じく冷たい視線で見下ろしている。
「この先のゲームは更に厳しさを増します。あなたには遊んでいる余裕などないはずですが?」
「……! ちょっと! またあなた? 私達の会話に割り込んでこないでくれる?」
マーカスが何か言う前に、色めき立ったリディアがテーブルを叩きながら立ち上がってドミニクを睨みつける。ドミニクもまた傲然と胸を張って睨み返す。2人の女の視線が交錯して火花が散った……ように感じた。
「あら? 男に助けてもらわないと何も出来ないお姫様じゃないですか。気づきませんで失礼致しました。次のステージでも助けてもらえるように誘惑の最中ですか?」
「な、何ですって!? この、陰険眼鏡女……!」
ドミニクの痛烈な煽りにリディアが目を吊り上げて掴みかかろうとする。ドミニクは格闘技は素人なのでリディアに暴力を振るわれるのは洒落にならないはずだ。
「落ち着け、リディア! ドミニク、お前もだ! 無駄に挑発的な言動は控えろ!」
仕方なくマーカスが間に入り込んで仲裁する。どうもドミニクはリディアが絡むと挑発的になる傾向がある。自分がスカウトしたマーカスがリディアを構うのが気に入らない様子だ。
「これはあなたの為に言っているんですよ、マーカス。優勝を目指すならこの女に構うべきではありません」
「ゲーム中の行動でお前の指図は受けん。俺は俺のやりたいようにやる。勿論優勝が至上目的だ。言われるまでもない」
マーカスがきっぱり断言すると、ドミニクはこれみよがしに溜息をついた。
「はぁ……まあいいでしょう。忠告はしましたからね。ボスと会員の皆様方の意向であなた方は失格にならずに済みました。次のステージでも期待しているとの事です」
「期待? それはどういう意味だ?」
「さあ、どういう意味でしょうね? ご自分で考えて下さい。それでは失礼致します」
ドミニクはツンと顔を逸らして、そのまま踵を返してしまった。かなりご機嫌斜めのようだ。まあそれも仕方のない事かも知れない。マーカスも溜息をついた。
「ほら……私に構うとあの女に怒られるって言ったでしょ?」
「何度も言わせるな。勝手に怒らせておけ。さあほら、折角だから全部食っちまおう。明日以降のステージに備えてな」
マーカスはかぶりを振ると再び着席して食事の続きを促した。こうして様々な思惑を秘めつつ、『ライジング・フィスト』の最初の夜は更けていった……