(5)突然の別れ
9月になっても、男の子はおばあちゃんのお使いにやって来た。
その子がレジかごを抱えて店を回る間、宏美がつぶやくように言った。
「おばあちゃん、あの子が来るようになってからお店に来なくなっちゃったね」
「あの子がお使いしているから、外に出る必要がなくなったんじゃないかな」
和也は答えた。
彼も同じことをずっと疑問に思っていたが、口に出す機会がなかった。
男の子がひと通り店を回り最後におむすびセットをかごに入れて、レジに来た。
和也がスキャンした品物を使い古したレジ袋に収めながら、宏美がその子に訊いた。
「おばあちゃん、最近お店に来ないけど、お元気?」
「・・・」男の子は困ったようにうつむいてから、答えた。「おばあちゃん、ずっと具合が悪くて外に出られなくて、寝てることが多いんだ・・・今日は少し元気で、テレビを見てるけど
「そうなんだ・・・」
宏美は少し目を伏せた。
しかし会計が終わると、彼女は男の子に言った。
「ね、おねえちゃんが買ってあげるから、好きなお菓子を選んで」
「うーん・・・」男の子はまた困ったような顔をしてからそれを断った。「僕、食べられないんだ・・・でも、ありがとうございます」
男の子は丁寧に頭を下げ、店を出ていった。
宏美は不思議そうな顔を和也に向けた。
「食べられないって・・・」
「アレルギーでもあるのかな」
和也もなんだか納得はいかなかったが、推測で彼女に合わせた。
同時に納得がいかないというか不思議なのは、いつまであの子はおばあちゃんのところにいるんだろうか・・・そして、あの子のおばあちゃん以外の家族はどこにいるのだろうかということ。
そんなことを思いつつも、あえて詮索はしなかった。
そうするうちにお彼岸が近づき、道端の植え込みにも彼岸花が咲こうとしていた。
ある朝、店のオーナー夫妻も手伝いながらの品出し中、男の子が店に飛び込んできた。
顔は引きつり、涙をボロボロ流していた。
「おばあちゃんが・・・おばあちゃんが!」
「おばあちゃんが、どうしたの?」
男の子の目の高さまでしゃがみ込み、顔を覗き込む宏美。
しかし男の子はオロオロと泣くだけで、さっぱり要領を得ない。
「その子の家まで、行っといで! 急いで!」
オーナーが宏美と、それから和也にも命じた。
言われるまでもないことで、男の子を促して外に飛び出すふたり。
男の子の足は速く、それに必死についていく。
駆け込んだ先は和也の部屋のある公団住宅の一棟。
同じ棟に住みながら、おばあちゃんの部屋があることすら知らなかった和也。
古びたエレベーターで上りながら、男の子はもどかしそうに足踏みをする。
「ドタバタすると、止まっちゃうよ」
宏美がたしなめると、男の子は宏美に抱きついて震える。
和也は、いつも乗っているエレベーターの速度がこんなにも遅かったのかと、ドア上の階数の表示灯を見つめる。
おばあちゃんの部屋は、最上階の端から3つ目だった。
男の子に続いて宏美、そして和也が駆け込む。
台所そばの和室に置かれたベッドで、安らかな顔で静かに眠るおばあちゃん。
いや、眠っているように見えただけで、息もせずに冷たくなっていた。
「119番! 救急車を呼んで!」
宏美は和也に呼びかけると、心臓マッサージを始めた。
和也はスマホを取り出して119番を呼び出そうとするが、手が震えてなかなかできない。
ようやく消防指令に繋がっても、その状況を・・・おばあちゃんが息をしていない、それだけを伝えるだけなのに何度も言葉を噛んでしまう。
ようやく電話を終わると、自治会長に知らせようと外に飛び出す。
自治会長の部屋を探すのに手間取り、一緒に民生委員も連れて部屋に戻ってすぐに救急隊が到着した。
かなり長い時間、救急隊員たちはおばあちゃんの状態を確認したり、どこかに無線で連絡を取ったりしていた。
もうだめなんだろうなと、和也も宏美もなんとなく悟った。
それでもおばあちゃんは救急隊員の心臓マッサージを受けながらストレッチャーで部屋を出て、民生員がとりあえず付き添った。
入れ替わりのように数人の警察官がやってきて、部屋を調べ始めた。
いわゆる「変死事案」なのだろう、和也も宏美も自治会長も警察に協力した。
警察官のひとりが質問した。
「・・・それで、どうやって女性が重篤な状態だと知りました?」
「男の子が・・・多分ご親族だと思うんですが、男の子が店に知らせに来てくれたんです」
宏美が答えるそばで、そういえばあの子はどこへ行ったのだろうかと部屋を見回す和也。
混乱とドタバタの中で、あの子のことが意識から抜け落ちていた。
そうだ、一緒に救急車に乗っていくのは民生委員ではなくてあの子でなければならなかったのでは?
しかし、その子はどこにもいなかった。
「男の子?」
怪訝な顔をする警察官。
自治会長が思い出したように口を挟んだ。
「そういえば、いたねぇ・・・男の子が。一昨日かな、自治会費の集金にここ来たときにもその子が出てきたよ」
みんな落ち着かないふうに、きれいに整頓された部屋を見回すが男の子なんてどこにもいない。
部屋の隅に、おばあちゃんが背負っていた男の子の人形がちょこんと座っているだけ。
宏美がその人形を抱き上げて、「あっ」と声を上げた。
「この子が着ている洋服、さっきのあの子の洋服とそっくり」
「ええ・・・まさか・・・」
あの男の子は人形に誰かの・・・ひょっとしたらゆうくんの魂が乗り移っていたのか?
「いや、そんなはずはない」
和也の独り言だったが、宏美も「うん」と相槌。
結局、男の子の正体は分からなかった。
そして病院に運ばれたおばあちゃんは息を吹き返さず、親族の手がかりもなくて葬式も行われず荼毘に付された。
しばらく経った後、おそらくはあの男の子の人形もおばあちゃんの家財道具と一緒に市が依頼した業者により運び出されただろう。
それは和也にしても宏美にしても心残りでならなかったが、どうしようもなかった。
おばあちゃんが遺したものに手を触れる権利など、ふたりにはなかったから。
ふたりとも空虚な穴が心に残るのを感じたが、しかし日常生活の中でしだいにそれは埋まっていった。
ふたりの心に戻ってきた、明るい光。
冬になりおばあちゃんと男の子と人形のことなど意識にものぼらなくなった頃、和也は古いつてでベンチャー企業の研究員に誘われて転職した。
ほぼ同じ頃、ふたりが働いていたコンビニが店をたたみ、それを機に宏美は地元の印刷会社に転職した。
翌年ふたりは結婚し、ふたりの子供にも恵まれた。
共働きの中での子育ては苦労の連続だったが、それを上回る幸せも共有した。
しかし・・・毎年、彼岸花が咲く頃になるとふたりは思い出す。
おばあちゃんと人形と男の子、そしておばあちゃんの記憶の中のふたりの「ゆうくん」のことを。