(1)人形をおんぶしたおばあちゃん
和也と妻の宏美は毎年、彼岸花が咲く頃になると思い出す。
駅前の公団住宅の一室で亡くなったひとりの老婆と、彼女のそばに常にいた人形のことを。
老婆・・・これから先は便宜上「おばあちゃん」と呼ぶことにするが、おばあちゃんとの出会いは駅前のコンビニだった。
当時、和也と宏美はそこのパートタイム従業員。
ふたりの出会いも、そのコンビニだった。
平日の日中は、だいたいふたりで店に立っていた。
もとは酒屋だったそのコンビニは駅前にあったが、駅構内に同系列の新しい店ができてからはごっそり客を取られてしまって駅前の公団住宅の高齢者が主な客層。
私鉄の準急でターミナルまで36分という好立地だったが、築40年超と老朽化し住民の高齢化も進んで活気のなくなった公団住宅群。
同じく活気の失われたコンビニの午前の品出しが一段落する頃に、週に1度か2度やってきたおばあちゃん。
よく駅前スーパーやドラッグストアのレジ袋、時にはレジシールが貼られた大人用紙おむつの包みを抱えていた。
そして、どんな時も男の子の人形をおんぶしていた。
よく新聞の通販で目にする、音声認識機能のついた愛らしい顔のぬいぐるみ。
ただ電池切れか故障だろうか、人形は喋ることもなく黙っておばあちゃんの背中に背負われていた。
荷物を店の隅に置いて店内をゆっくり回りながら、時折本当の子供のように背中の人形に話しかけるおばあちゃん。
(認知症かな・・・?)
はじめ和也は若干の不安とともに思った。
認知症の客も多くて接客に苦労することもあったし、そんな客とのトラブルもよく発生していた。
レジでの応対で意思の疎通が困難だったり、精算を忘れてレジかごを持ったまま店外に出ていったりする事件はしばしば起こった。
筋の通らないクレームを受けることもあったし、とにかくストレスを感じる場面は多い。
しかしおばあちゃんは物腰は穏やかで品があって、レジで二言三言和也と交わす会話もいたって普通だった。
そういえば人形もいろいろな服に着せ替えられて、2日続けて同じものを着ていることはなかった。
よほど大事にしている人形であることがなんとなく伝わってきて、そこにはなにかおばあちゃんなりの気持ちが込められているようにも思えた。
宏美はよくおばあちゃんにつかまって長話の相手をさせられていたが、彼女もおばあちゃんは決して認知症なんかではないとハッキリと言う。
宏美は大学を卒業すると同時に大手の広告代理店に就職したが、そこの水も空気も合わず身も心も傷ついて退職したという過去がある。
しばらく実家に引きこもったのちに働き始めたのが近くのコンビニで、それからもう5年目のちょっとしたベテランのひとり。
来店するお年寄りたちとはすっかり顔なじみで、人形をおんぶしたおばあちゃんでなくても勤務中の彼女をつかまえて話し相手にしたりする。
お年寄りの話はどれも際限なく長くその間は仕事は手につかないが、彼女がお年寄りを引き付けている間は和也は他の仕事がはかどるし、コンビニの前身の酒屋時代からお年寄りたちと顔なじみのオーナーも「これもサービス」と見ている。
なにより宏美自身が聞き上手でお年寄りの話も興味深く聞くから、会話も弾む。
だから彼女はもはや、お年寄りたちのアイドル。
そしてある日・・・人形をおんぶしたおばあちゃんとの会話が普段よりも長い時があった。
梅雨の終わりの大雨でウィンドウの外は薄暗く、ちょうど他に誰も来店しない間のことだった。
長話が済んで、おばあちゃんの買い物かごを持ってレジに戻ってきた宏美は目に涙をためていて、和也はぎょっとした。
(おばあちゃんになにかひどいことを言われたのでは・・・? ・・・いや、まさか)
そう心配しオロオロする和也には何も言わず、洟をすすりながらおばあちゃんがかごに入れた品物をスキャンする宏美。
おばあちゃんは、宏美の方は気にしていないふうに背中の人形をあやす。
精算も済んでおばあちゃんが店の外に出ていくと、宏美はペーパータオルを無造作に1枚取って、洟をかんだ。
「・・・どうしたの?」
和也の問いかけに、宏美は「ううん、なんでもない」と答えたが、しかしすぐに言葉を継いだ。
「あとで、ゆっくり話す・・・おばあちゃんの、悲しい過去を知っちゃった・・・」
ちょうどそこへ、立て続けに3名の来店があった。
「いらっしゃいませ〜!」
ふたりは声を揃えて挨拶し、やりかけの仕事の続きのふりのようにそれぞれ手を動かした。