第9話 あなたとワルツを……
まるで深海のように吸い込まれそうな程深く澄んだロイヤルブルーの双眸が、私を愛おし気に見下ろしている。金褐色の髪は緩やかなカーブを描き、少し長めのショートカットに整え、前髪は癖毛を上手く利用して春風に靡いたようになっており、秀麗に整えられた眉を上品に魅せていた。私の肩に優しく添えられ手は、彼の腕の中に閉じ込められたように錯覚してしまう。けれども今この瞬間だけは、彼の瞳が映し出すのは世界中でただ一人、この私だ。
今日の私は、いつもは肩の下辺りまで伸ばした髪を束ねてシ二ヨンに結って、ドレスの色と合わせせたロイヤルーの薔薇の造花で束ねている。ドレスはオーガンジーを何枚も重ねたプリンセスライン、俯いた酔芙蓉をイメージしたものだ。針金でスカートを広げなくても、ワルツで回ったり、ちょっとした風でふわっと花のように広がる仕様だ。ヒールは落ち着いた草色にしてみた。体型は、結婚式の為に余分な脂肪は絞り切ったし。肌もブライダルエステで磨いた状態をキープするよう努力している。肘まである白い絹の手袋で上品に踊れば、遠目または後ろから見たら美女で通る……に違いない。きっと、恐らく、多分……いや、大丈夫だ、そうに違いない。
よって、今の私は彼とお似合いの夫婦! に見える筈だ。小さい頃、絵本で見たお姫様と王子様が社交界の場でワルツを踊る。ヒロインとヒーロー、周りの登場人物は全員モブだ。夢にまで見た展開……
……一度でいい。選ばれたい、私にとって唯一の人の一番の存在であれたら……
幼い頃から切望して来た、捨てきれない私の夢。今、見せかけだけだけれど夢が叶った。あれだけ騒めいていた奴らが、呆気に取られて私と瑠伽のワルツを見ている。今演奏されている『皇帝円舞曲』は、きっと一章忘れないだろう。
あれから遅れて登場した瑠伽は、私に群がっていた観客に向かって典型的な英国貴族の会釈をし、見た人全てを虜にする「王子様の微笑み」を浮かべた。彼の必殺技の一つだ。笑顔一つで相手を屈服させてしまうという「恐ろしいチート能力」
「遅れてしまって申し訳ございません。皆様、どうか私の妻を返して頂けますでしょうか。ずっと彼女への想いを押し殺して、必死に幼馴染として接してきました。気の良い兄のような感じに見えるように。だからこの度、漸く彼女を独占出来て感激もひとしおなのです。ですから、馴れ初め等を妻に聞く事はどうかご容赦くださいますよう、お願い申し上げます。私に直接お申し付けて頂けましたら、いくらでも忍んで来た妻への想いの丈を語って差し上げたく存じます故」
と淀みなく流れる川のように熱く語って見せた、いや魅せてくれた。いつの間に練習してくれたのだろう。誰もか彼に釘付けだった。真相を知っている筈の私でさえ、彼が本音を語っているのではないかと思ってしまうくらいの迫真の演技だった。
瑠伽、俳優の素質もあるのねぇ。そう言えば弟さんは俳優の道を進んだのよね。一歩間違えば詐欺師の素質もある? うん、これはほどほどが良いわね。まぁ彼に限っては小夜子さん一筋で高潔な人だし、そういう心配はないと思うけれど。
その後私に右手を差し伸べ、大広間の中央にエスコートしてくれた。演奏家たちに合図をし、軽快なメロディーが奏でられ始める。そのような経緯で、現在に至るのだ。
……このまま、時が止まれば良いのに……
けれども現実はシビアだ、夢の時間は一瞬で終わる。一曲だけ踊って、そのまま退散する。これは予め決めておいた計画だ。私たちは曲が終わると同時に向かい合って会釈をし合い、再び差し出されや彼に手を添えて会場を後にした。
『遅れて御免』
彼は耳元で囁く、愛する妻に接するように、だから私も、蕩けるような笑みで応じつつ、彼に囁いた。何処からどう見ても愛し合う夫婦のように。
『大丈夫。お祖父様が書斎で待ってる、て言ってたわ』
そのまま書斎へと足を運んだ。
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