第5話 結婚後の初仕事、(契約)夫の健康管理②
シーンと静まり返った中に、ザッザッと土と草を踏みしめる二人分の足音が耳に響く。まだ薄暗い空の下、辺り一面は灰色がかった青色の空気に包まれている。桜の蕾はまだ小さくて硬い。ところどころ春の兆しは見えるものの、まだまだ冷え込む日々が続く。陽が昇る前だから、一段と空気が冷たい。
どんよりと濁った水を湛えた川沿いの土手を、私と瑠伽は並列して歩いている。自宅から徒歩10分程の場所だ。川に沿って土手にはソメイヨシノが植えられており、土手一面に菜の花も咲き乱れる。春先は淡紅色と黄色、空色のコントラストが楽しめるのだ。更には何件か露店も出たりするから観光スポットと化す。秘かに瑠伽と花見が出来たら良いな、と思っているけれど、仕事の関係もあるだろうし……どうなるかなぁ。
姿勢を正して、大きく手を振り、出来るだけ大股でリズミカルに早足で歩く。時間は最低30分以上。彼の健康を取り戻す為の運動の一環だ。二人とも、ヒューマの上下青いジャージ姿でウォーキングをしている。傍から見たら、「仲良し夫婦」とやらに見えるに違いない。
早朝、二人の予定の合う時は出来るだけ二人で行う。「サボッたり自分に甘くしたりするのを伏せぐ為」等と、さも『君の為なんだぞ』という理由をくっつけて私が提案したのだ。勿論、彼の健康管理の為と言うのは嘘ではない。真面目な理由だ。けれどもそれは建て前で。
……少しでも良好なコミュニケーションの維持を、末永く続けたい……
というあさましい本音を隠しているのもまた事実だ。
「しかし、こうしてしっかり歩くだけども結構運動になるんだなぁ」
しみじみと言う彼に、思わず口元が綻ぶ。
「でしょ? 瑠伽、高3でデビューしてからあっという間に人気作家になっちゃったし。陸上部も退部せざるを得なくて、運動不足の酷い食生活にそのまま突入しちゃったもんね。鍛えた筈の筋肉は何処かに消えちゃっただろうしね」
瑠伽は棒高跳びの選手で、インターハイで準優勝の実績を持つ。大学や企業からスカウトの話も何件か来ていたようだ。彼の鮮やかな『背面跳び』の姿を、大勢の女の子達がうっとりと見つめていたっけ……
「あぁ、確かに。ウォーキングの前にストレッチをしてみて、体が硬くなって強張ってるのを実感したし、これじゃあジョキングなんて当分無理だな」
「そうそう、最初から飛ばし過ぎは長続きしないし、怪我の元だから。蓄積してきた年数の倍はかけて健康になっていく覚悟はしないとね」
……あぁ、何て楽しいのだろう……
「あぁ、これから帰ってストレッチだな」
「うん、背中したり伸ばしたり補助し合いましょうね」
……男女としての愛情は無くても、確かに存在する温かな友情……
「あぁ、頼む。ついでに朝ご飯も楽しみにしてる」
「任せて!」
今日の朝食は、焼き豆腐の挽肉サンドにキノコのスープ、クレソンのサラダ。デザートは低糖質高蛋白のヨーグルト、勿論食後にはブラックコーヒーだ。これから帰って朝食を作る頃には、焼き豆腐もしっかりと水分が抜けている頃だろう。
初夜から各自の部屋で別々に眠る事が普通の私たちだけれど、仲の良い兄妹のような「家族」になっていく事が私の秘かな目標の一つだ。
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