第48話 硝子の花薗(瑠伽視点)
漸く、この腕の中に抱き締める事が出来た。想像していた以上に、真緒理の肩が細くて。胸の奥からグォ―ッとマグマが吹き上げるように愛しさが込み上げた。同時に、今まで自分が真緒理にしてきた無神経な言動に悔恨の波が押し寄せる。
『本当に悪いと思うなら、その気持ちは一生抱えておいてください。その方が、生涯を通して真緒理様を大切に出来ますから。単なる謝罪や品物で済ませて、自分だけ楽になるのはお辞め下さい。そんなあなたでは、真緒理様をお任せする事は出来ませんので』
久岡蓮の言葉が甦る。これは、僕が小夜子と別れその他の処理を終えて帰宅した時の事だ。これまでの事の顛末を説明し、真緒理への想いを吐露した上で真緒理の行方を聞いた。『真緒理様より、誰にも言うなと指示を受けております故、私にはお応え致しかねます』としかこたえなかったので自力で探そうとしたところ、そう言われた。矢を射るが如く、冷たく冴えた眼差しで。
(お前は真緒理の父親か!?)
と突っ込んでやりたくなったが、彼はそうやって真緒理の事を影になり日向になり支え、フォローし、必要とあれば導いて来た。ある時は姫をその命をかけて守り通す騎士のように。またある時は格別に優秀な執事のように。そしてまたある時は良き友人、更には兄貴、または父親……そのようにして全てをかけて。決してその肌に触れる事なく、禁欲的にギリギリのところで一線を引いて。最早、仙人並の精神力だ。彼は僕に、苦言を呈する権利が十分過ぎるほどある。もし真緒理が、蓮を男として意識したなら……間違い無く僕は完膚なきまでに敗北しただろう。
『私は真緒理様が幸せであればそれで良い。今回だけ、多めに見ます。いつでもどこでも、私の目が光っている事をお忘れなく。二度めは、ありませんよ』
月光に照らされ冷酷に光る日本刀のような視線に、ほんの僅かに憂いの影が走る。本当は、ここで身を引いて彼に真緒理を委ねるのが人として正解なのかもしれない。だが生憎、僕はそれほど高潔で正義感溢れる人間ではない。真緒理を手放すつもりは毛頭もなかった。
「肝に銘じるよ。いつでも、僕がやらかしたら遠慮無く指摘してくれ。勿論、そうならないよう精一杯努力していくつもりだけど」
迷わずにそう応じた。しかりと彼の視線と想いを受け止めて。それが、今の僕に出来る彼への精一杯の礼節だと思うから。
僕が自分の本当の気持ちに向き合う事を恐れ、蓋をして逃げた挙句……選択肢を誤った為に、本来なら傷つく必要がなかった人も傷つけてしまった。真緒理、小夜子、久岡、史桜……その事は忘れる事なく背負っていこう。
史桜には、頭を下げて真緒理の居場所のヒントを貰った。彼には、
『お前は無自覚なクソクズ男の素質があるから気を付けろ! 真緒理さえお前に拘らなければ、今すぐ俺が奪い去りたいところだ。言っておくが、俺は遊びと本気はきっちりと使い分けているし、真緒理が俺を選んだならアイツ一筋で守り抜く。もしまた真緒理を泣かせるような事があったら、次は覚悟しておけ!!』
と激怒されて右頬を殴られた。少し腫れただけで済んだのは、左手で殴った上に更に手加減してくれたからだろう。この男は軽佻浮薄で女癖が悪そうに見せているのは表向きの顔で、実は常に沈着冷静で驚くほど頭の切れる参謀タイプだ。以前も述べたが実際、痴情絡みでのトラブルは聞いた事がない。
更に、数多くの女と親しくなる事で様々な分野の情報に精通し、顔が利くようにする事で、いざと言う時にあらゆる手段で真緒理を守りフォローする為だという事を知っている。例えば、真緒理のアクセサリーショップにコンスタンスに客が流れるよう、去り気なく男女を問わず広めているのは彼だ。勿論、真緒理には知らせていないしこれからも知らせるつもりはないだろう。久岡や僕にも敢えて言わないが、僕らは暗黙の了解で悟っている。
久岡、史桜、僕。僕達はこの先も相容れる事はない、真緒理を巡って永遠のライバルであり続けるだろう。だが、『真緒理』という魅惑的な一人の女性を通して団結し合える「戦友であり同志」のような関係でもあるのだ。
残念ながら僕は、史桜や久岡ほど器も大きくなければ器用さも、頭脳も及ばない。けれども、真緒理が安心して僕に全てを委ねられるよう僕の持てる全てを駆使して守って行く。その為には、使えるものは何だって使うのだ。エスポワール家の暗部を始め、塔本家の暗部も然り、久岡や史桜も必要に応じて遣遠慮なく使わせて頂く。姑息であろうがカッコ悪かろうが、僕は僕のやり方で真緒理の幸せを守っていくのだ。ただでさえ、「お飾りのCEO」という立ち場なのだ、いくつもの手段と保険は多ければ多いほど良い。可能な限り、作家の仕事も続けていく。
やはり、彼女は別荘のガラス温室に居た。硝子の花薗でピアノを弾いている真緒理は、光に透けてしまいそうな程儚げで胸が締め付けられる思いがした。『パッヘルベルのカノン』、彼女が最も好きな曲だ。
……瑠伽ってヴァイオリンのイメージがあるんだよね……
何気なく言ったであろう彼女の言葉通り、ヴァイオリンを持参して良かった。硝子細工のコスモスが咲き乱れているのは、真緒理も僕と初めて出会った時の事を特別に思っているのだろう……そう感じるのは、僕の自惚れではないと思う。
腕の中で今まで溜め込んで来た事を泣きながら訴えた真緒理は、少し落ち着いたのか甘えるように身を委ねた。申し訳無く思う気持ちと、愛しくてどうにかなりそうな自分と、感情をコントロールするのに苦労したのは秘密だ。
ふと、彼女は僕の胸に両手を当てて少しだけ距離を取った。それからツン、と大きな瞳で僕を見上げた。泣きはらして真っ赤になった白目や目元、鼻の頭、栗色の泉のように潤んだ瞳……その全てが可愛らしく、涙を舌で吸い取ってしまいたくなる。
「私は未だ、瑠伽の事が好き、なんて言ってないんだからね!」
精一杯、意地を張って見せる彼女が可愛くて愛しくてどうにかなってしまいそうだ。
いつか、この一件を懐かしく思い出すようになれた時、小夜子が真緒理に向けた敵意の理由が……逢瀬の時、いつも真緒理の事しか話題にしなかった。最初から、本当は誰を愛しているのか気付いていた……と言っていた事を伝えよう。無意識の内に、どれほど真緒理だけに夢中だったのかも。そして罪深い無神経さも改めて謝罪しよう。
「分かっているよ、真緒理。いつか君が、安心して僕に本音を言えるように、信頼して頼り甲斐のある器の大きな男になってみせるから」
跪いて、彼女の手の甲に口づけをする。近い将来、結婚式の『誓いの口づけ』の際、本当は舌を絡めた濃厚なキスをしたかったのを理性を総動員して耐えた事。初夜は肌を合わせて繋がりたかった事をありったけの道徳心を掻き集めて平静を装い、劣情を抑えつけていたという真実を話そうと思う。
……真緒理、愛してる……
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