第47話 硝子の花薗③
「……ここは初めて出会った時の事を思い出すね。硝子細工のコスモスが綺麗だ。初めて出会った時、真緒理はコスモスか沢山咲いている中にいたね。シャボン玉が無数に舞っていて、そこに太陽の光が当たってキラキラ輝いていた。とても可愛らしくて神秘的で、僕には本当に『コスモスの妖精』に見えたんだ」
彼の腕の中で聞く瑠伽自身の声は、私の乾き切った心にゆっくりと浸透して行く。まるで、恵みの雨のように。
「何で、コスモスの妖精だなんて……」
散々、悪態をついて号泣して。最早、否定や反抗の気力は失われてしまった。
「たまたま、幼稚園にあった絵本に出て来たんだよ。花の妖精のお話。そこにね、コスモスの妖精が出て来たんだ。よく似てるなぁ、て思ったんだ」
「金髪碧眼の美少女じゃない妖精だったのね」
「ヒロインではなかったけど重要な役割で、ヒロインより目立っていたから印象的だったんだ。内容までは詳しく覚えてないけど、絵が印象的でさ」
「……それってハッピーエンド?」
「勿論、全員がね。大団円、てやつさ」
「ふふ、そこは覚えているんだ?」
「うん。兎に角ね、コスモスの妖精が可愛かったんだよ。栗色の大きな目と、サラサラの鳶色の髪の」
「私は、瑠伽はコスモスの群れから現れた『花の妖精の王子様』だと思ったの。だって……」
「『親指姫』の話だろう?」
「うん。それも覚えていくれたんだ?」
「覚えているさ。真緒理の事ならなんだって。当時、『親指姫』の話が大好きだっただろ?」
「うん……」
沢山泣いたから、彼のワイシャツの胸のあたりがびしょ濡れだ。鼻水や涎も混じっているかもしれない。でも不思議と安心する。きっと、白目も鼻先も真っ赤になって、目元は腫れている事だろう。それでも、彼なら笑って流してくれる、そう思えた。
「あの時、真緒理は僕に『わたしのおにいさまになって!』って言っただろう?」
確かにそう言った。初めて会ったのに離れ難くて。偶然にも、引っ越ししてすぐ近くに住んでいる事を知って思わずそう言ってしまったのだ。どうしても繋ぎ止めておきたくて。実の兄には、小馬鹿にされていたし。
「あの時、何となく大人になっても僕の隣にずっといる人が真緒理のような錯覚を覚えて。それで、『妹がいたらこんな感じなのかな』て思ったんだ。だけどね、どうしてなのか『妹』では物足りないような気がしたんだ。その時は上手く気持ちを表現出来なかったけれど。例えば、チェリモアが食べたいのにトマトが出てきた、そんな感じ。でもその時はよく分からなくて。無意識に『そうか、僕の隣にいてくれる人は別に探さなきゃ。妹とは結婚出来ないもん』そんな風に擦り込んでしまったんだな」
「……それで、運命の女に拘ったの?」
「よく考えてみたらね。あの時、僕は既に真緒理に恋していたんだと思う」
ホントかな……作家大先生の詭弁、或いは空想力のような気もする。でも、瑠伽は私に嘘はつかない。だから小夜子さんとの惚気も包み隠さず話してきたんだ。
「その時お互い素直になれていたら、私たちはずっと順風満帆にいけたのかしら?」
「いや、なんだかんだすれ違いと回り道をしただろうな、とは思う」
「そうだね、私もそう思う。」
彼を見上げる。どちらからともなく微笑みあった。そう、人生にもしもあの時……と、リスタートをする事が出来るのはファンタジー創作物の中だけだ。
「小夜子とは、互いに『青い鳥シンドローム』の状態で出会ったんだと思う。自分の幸せは、すぐ近くにあったのにな」
「青い鳥?」
「うん。彼女には幼い頃から許嫁とまではいかないけど、家柄同士で結婚させたい相手がいたんだって」
「え? そうなの? 初耳だよ?!」
「うん、僕もこの間のカフェの件で知ったんだよ」
「えー?」
「相手は堂城組組長の嫡男だって」
「堂城組? 関西方面を牛耳る?」
「うん」
「まぁ、政略結婚みたいなものになるのかな。でも小夜子は家柄に縛られるのが嫌で。いつか自分を救い出してくれる運命の王子様、とやらを求めていたところに、僕と出会った、て訳だ」
「そっか……」
瑠伽と小夜子さんの事は、彼が進んで話して来ないなら聞かないでおこう。もし本当に、お互いに『青い鳥シンドローム』で疑似恋愛だったのだとしても、二人にしか通じ合う事が出来ない心の思い出はあると思うから。嫉妬が全く無い、と言ったら嘘になるけれど。それでも、過去の出来事全てを含め、今の瑠伽があるのだから。
「でも、よく無事に別れられたというか。それに、私がここにいるってどうして分かったの?」
話題を変え、一番知りたかった事に切り込む。もう、とっくに瑠伽を許して受け入れてしまっている自分に苦笑しながら。
「順を追って説明するとね、真緒理に植木鉢が落ちて来た上に邸内に小動物の死骸が投げ込まれた事件の報告を受けた時。その前に真緒理が拉致されたり。一歩間違えたら真緒理が大変な事になっていた事に憤りを覚えたね。そこで小夜子への不信感、自分の想いに対する疑問から始まったんだ。真緒理をカフェに招待した、て話も小夜子からは聞いてなかったしね。もう、小夜子とは潮時かな、と。そもそも、真緒理と結婚したのに小夜子と続けようとか、契約結婚だとか、それが間違いだったんだよ。で、カフェも極楽寺組系列だと知って小夜子の本性を確信した。同時に僕の見る目の無さも露見した訳だけど。ここできっぱり別れようと思った。でも相手は極楽寺組だから、正攻法では通じないと思ってね」
瑠伽はニヤッと不敵な笑みを浮かべた。続きが気になる……
「『蛇の道は蛇』ってやつでね。兄に頼んで、ちょいとエスポワール一族の暗部担当を三人ほど借りたんだよ」
「え? 暗部担当???」
仰天して彼を見上げた。
「うん。やっぱりあれだけ大きな組織になると、正攻法だけでは太刀打ち出来ない事も増えて来るから。詐欺やら暗殺やら、表沙汰に出来ない事情を秘かに処理する担当、暗黙の存在というか。昔から秘かにあったみたいだよ。兄さんは僕が当主を引き継いだ事で弱みがあるもんだから、二つ返事で手続きしてくれたよ。ついでに、今後の参考に暗部の依頼の仕方もマスターした」
あぁ、なるほどね。瑠伽、頼もしく成長したね。
「そうか、塔本家にも暗部担当があるくらいだから、エスポワールなら更に複雑で大きな暗部……ある筈だよね。そりゃ、極楽寺組とかひとたまりもないでしょうね」
「うん。だから小夜子との話し合いの時、僕には二人付いてもらって、もう一人は影からガード、て形にして貰った」
「影役の人は護衛だけじゃなく裏から手を回したり、も担当するんでしょ?」
「そう、ご名答。ただ、小夜子がそう簡単に別れる事を承諾しないのは予測通りで。完全に解決しない内は、真緒理のところに帰る事は出来ない、と腹を括ったんだ。僕なりのケジメだった。何日もかけて説得したよ。その間、ビジネスホテルをよく利用した」
瑠伽が音信不通だった時の経緯が見えて来て安心したら、少し意地悪してみたくなった。
「その割に、カフェでは私に目もくれないで小夜子さんばかり見ていたじゃない。抱き寄せちゃったりしてさ。挙句、『小夜子をこのまま放っておけない』とか言っちゃってさ」
彼は困ったように眉を下げた。
「ごめん、悪かった、て。でもあの時はそうしないと、益々真緒理に危険が及ぶ、て判断したんだよ。今まで小夜子と付き合ってきた僕自身の責任もあるしね、でも、帰って来たら真緒理が居ないから焦ったよ。もしかしたら愛想尽かされたのかも、てさ」
私が居なくて焦ったのか。そっか、許してやるか。ふふふ……
「で、どうしてここに居るって分かったの? 鍵は?」
「久岡がガンとして口を割らないからさ、史桜に頼み込んだんだよ。教えてくれ、て。説教を喰らった挙句、長野、とだけヒントを貰った。ピンと来たよ。披露宴の時、真緒理のお祖母様から『真緒理が一人になりたくて駆けこむところよ』とこっそり鍵を渡されていたから」
「……もう、お祖母様ってば……」
祖母から思っていた以上に大切にされていたのを知って、再び涙が溢れた。瑠伽が両腕に力を込めて私を抱き締める。
「真緒理、大好きだよ。これからも、ずっと」
と秘密を打ち明けるようにして言った。ずっと、叶う筈はないと諦めてきた。けれども秘かに何度も夢に見た言の葉が、耳を通して胸の奥へと波紋を広げて行く。
でも、でも! ここで簡単に「私もずっと大好きだった」なんて言ってあげないんだからね!! 少しくらい、私を追いかけてよね! 硝子のコスモスは瑠伽と初めて出会った思い出の場所だから、なんてまだまだ教えてあげないんだから!
瑠伽の胸に両手を当てて少しだけ距離を取る。それからツンと彼を見上げて、こう言ってやった。
「私は未だ、瑠伽の事が好き、なんて言ってないんだからね!」
彼は困ったように微笑むと、ふわりと愛し気に目を細めた。悔しい。こんな視線一つだけで、ときめいてしまうなんて……
「分かっているよ、真緒理。いつか君が、安心して僕に本音を言えるように、信頼して頼り甲斐のある器の大きな男になってみせるから」
彼はそう言って跪くと、私の右手を取って静かに口づけをした。
ここまで御覧頂きまして有難うございます。誤字脱字報告、感謝致します。




