第43話 選択肢
平日の午前中だが、長野行きの新幹線の中は思いの外混んでいた。全員自由席でも座れるのではないかと思ったが、立っている人がかなり居る。蓮の言う通り指定席にして貰って良かった。勿論、立つのは構わないが、今回はゆったりと行きたかった。体はすっかり元気を取り戻した今、ごちゃごちゃした思考を整理して今までの事、これからの事をしっかりと考えて結論を出したかったからだ。
故に、今回は一人旅だ。蓮は直前まで心配してあれもこれもと準備をしてくれた。ここだけの話、何だかお母さんみたいだ。普段はクールでドライに魅せていて、私の事が絡むと途端に過保護になり、「おかん」キャラに変貌を遂げる。有り難い、同時に照れくさい。
荷物はそろそろ目的地に届く頃だろう。
長野駅に着いた。少し気温が下がった気がするが、空気が綺麗なせいか心地良く感じる。スプリングコート一枚で十分だ。改札を出ると、すぐに紺色の制服姿の男が近付いて来た。
「お嬢さ……いえ、奥様。お待ちしておりました」
「今日はわざわざ有難う」
「いいえ、とんでもありません」
塔本家に古くから仕える運転手の1人、宮野だ。私の持っていたバッグを受け取りつつ、車へと案内する。歳の頃は五十代半ばらしいが、ベテランンの登山家のようなガタイの良さと純朴そうな顔立ちが年齢不詳に見せている。寡黙で黙々と忠実に仕事をこなす、信頼できる男だ。今回は蓮が塔本家、正確には祖父と話をつけて手配してくれた。目的地も、一週間は生活出来るようお湯やら食材やら掃除、庭の手入れやらが行き届いているだろう。これも、蓮が祖父と話をつけてくれて塔本家の使用人が担当してくれた。
宮野の車はワゴン、純白の車体がよく磨かれている。彼はゆったりと座れる後部座席へと案内した。
車は山道を只管登って行く。曲がりくねった道だが、彼の巧みな運転技術のお陰で乗り心地は悪く無い。安心して景色を眺められた。下に見える民家はどんどん小さくなって行く。夜になれば、まるで地上に散りばめられた星のように見える事だろう。
ソメイヨシノは、都会ではもう散ってしまい桜シベが降る頃だったが、こちらではこれからが見頃のようだ。目的地のすぐ傍に桜並木があると聞いた。明日あたり行ってみよう。
……瑠伽と花見がしたかった……
車を40分ほど走らせた場所に、目的地はあった。白樺に守られるようにして建てられた、白い外壁と瑠璃色の屋根の小さめの洋館。50坪ほどの庭は私の好きな英国式庭園で、白の鉄製の塀には見事な蔓薔薇が巻きついている。庭園の真ん中あたりにガラス温室があり、内側から外が見えても、外からは中が何も見えないような特殊加工がされている。邸内もガラス温室も共に防弾防音効果が施されているとの事だ。庭園の手入れは、定期的にされるよう手配されているという。
宮野は荷ほどきまで手伝った後、帰って行った。五日後に迎えに来て空港まで送ってくれるという。
ここは、結婚祝いに祖母が私の為に建ててくれた別荘なのだ。
『女には、一人きりになりたい時があるのよ』
と、お茶目な笑みを浮かべて別荘のカードキーを渡してくれた祖母を思い出す。今でこそ落ち着いて信じ難い事だが、祖父の若い頃は様々な女性と浮き名を流し、祖母を泣かせていたらしい。祖母には、この胸の内を吐露してみても良いだろうか……。
……本当は、瑠伽と二人でここに来たかった……
いや、さすがに契約とは言えそれは秘密だし、結婚して未だ二か月も経ってないのだ。それに、一人で考え決断しようとこの場所にやって来たのだから祖母に話すのは辞めよう。
あと一週間で、イギリスで夫婦同伴の社交パーティーに出席する日がやってくる。瑠伽からはあれ以来、文字通り梨の礫だ。その前日の正午にヒースロー空港で待ち合わせる約束は以前からしていたので、その時に会う事になるのだろう。本当に契約結婚の仮面夫婦だ。
……それなら一言くらい伝える事出来るだろう?……
彼が不誠実極まりない気がしてモヤモヤする。まだ着いたばかりなのに。そうだ、邸内を探検しよう!
出窓にはレースのカーテンと、ミントグリーンの地に黒いシルエットで「不思議な国のアリス」が描かれたカーテンがセットになっている。可愛い。床はフローリングで、一階には広々としたキッチン、ダイニングルーム、リビング、お手洗い、洗濯場、風呂場……お風呂場は思ったより広くて五人は浴槽に浸かる事が出来そうだ。二階に行くと、カラオケルームと寝室、ミニ図書室がある。二人用のペンションのような感じだ。どの部屋も日当たり良好でとても気に入った。ゆったりと過ごせそうだ。
荷物の整理がついたところで、カモミールティーを淹れリビングのソファで少し休憩中だ。ふと、史桜の言葉が脳裏を過った。
『……真緒理、俺を選べ。真緒理が俺を選んでくれたらお前一筋になる。遊びの女とは全員縁を切る。一生、お前を愛して守り通す、約束する。考えておいてくれないか』
一昨日夕方、例の金髪美女に変装した彼が「二人きりで話がある、手間は取らせない」と唐突に訪ねてきた。何やら思い詰めた様子だ。何かあったのだろうか。変装を取った彼は、前置きもなくそう伝えて来た。冗談かと思ったが、今まで見た事もないくらい真剣な面持ちで、ハシバミ色の双眸が射抜くように私を見つめていた。ドキリと鼓動が跳ね上がり、心臓が乱舞して頬が熱くなるのを止められなかった。今までも、好意は伝えられて来たが、派手な女性関係を知っていたし一度たりとも本気にして来なかった。そういう対象で見た事がなかったから、どう応じるべきかこたえに窮した。
『返事は急がなくて良い。瑠伽の奴との事、どうしていくのか、どの道話し合いが必要だろうし。待つのは慣れているさ。何せ高校の時からだからな』
彼は一瞬、お道化たように笑うと優しい眼差しで私を見つめた。穏やかに凪いだハシバミ色の瞳が神秘的で、思わず見惚れてしまう。
『とは言っても、一番はお前の幸せだから。お前を幸せに出来る奴なら、別に俺じゃなくても良いんだ。悔しいが、蓮の奴だったら安心してお前を任せられるし。だけどな、瑠伽の奴がこのまま変わらないなら、いくらお前が良い、と言ってもこのまま見過ごす事は出来ないぞ』
『……え? 蓮……』
『俺の口からは言えないが、あれ程の男がお前だけに尽くして一生を捧げる。どういう意味か考えてみろ。お前鈍過ぎだぞ』
彼はそう告げると、そのまま帰っていった。
史桜なら……本当に私だけを見てくれるだろうか? 何だか自分が酷く打算的でいい加減に思えてくる。それに、蓮……。まさか、蓮は私の事……いや、さすがにそれは思い上がりの身の程知らずではないか。それにもし蓮が私を異性として見ていたのだとしたら……もしかして私は知ら「無神経無自覚なクズ女」になっていたのではないだろうか?
そんな風に感じてしまう自分が、恐ろしく傲慢な気がした。鏡をとくと見て、己の真の姿を再確認したら冷静に思考が整理出来るだろうか。
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