第29話 束の間の休息
午後の陽射しが、ガラスを通して優しく降り注ぐ。四十坪程の広さのこの場所は、裏庭の奥に蔓薔薇に保護されるように囲まれて建てられたサンルームだ。勿論、防音も防弾もバッチリと整えられている。室内は、白の丸テーブルに白い椅子が四つ。種類豊富なお茶とカップや皿などが入った白い茶箪笥、こじんまりとした電磁調理器が室内右手奥に配置されている。室内の真ん中には黒いグランドピアノが置かれており、その奥に白い椅子が五つほど並べられていた。
室内は英国式ガーデンのように花や花木が鮮やかに配置されており、花菖蒲や水仙、ガーベラやダリア、薔薇などなど四季折々の花々……取り分けコスモスの花の群れが目立つように作られている。八重桜や梔子、酔芙蓉などの花木も皆柔らかな陽射しを受けてキラキラと輝いていた。
今は三月上旬、何故季節外れの花も咲き乱れているのかというと……この室内にある花や花木は全てガラスで作られているからなのだ。正直に言うと細かな部分の掃除はとても大変だが、気持ちを落ち着かせたい時に集中出来るので気に入っている。
ここは、「私が素のままの私になれる場所」として、祖父におねだりして特別に作ってもらったのだ。普段、おねだりというものをして来なかった私に、祖父は大喜びで予算を注ぎ込んでくれた。よって、鍵は私しか持っていないし、暗証番号も私しか知らない。ここに入れるのは、瑠伽と蓮、史桜……そして同性の親友、福代菜乃だけだ。式以来、菜乃には会っていないが、双子の子育てで毎日が大忙しだろう。
……本当は、瑠伽に真っ先に入って欲しかったな……
と思ってしまったのは内緒だ。
「へぇ? いいじゃん、花も木も全部ガラス細工で出来てるんだな。迂闊に触れたらぶっ壊れちゃいそうだから、触らないようにしとこう」
史桜は珍しそうに辺りを見回している。
「見掛けより頑丈に作られているから、乱雑に扱わなければそう簡単には壊れないから大丈夫よ」
これは本当の事だ。ガラス細工の花々の手入れと掃除の為だけに毎回業者に頼むほどの無駄使いは、さすがに避けたい。節約出来るところはしていくべきだ、今後の自分の為にも。一寸先は闇なのだから……
「これは素敵なGlass gardenですね。一番最初に入らせて頂き、光栄にございます」
蓮は優雅な微笑を浮かべた。実は私も、ここに入るのは初めてなのだ。
「瑠伽よりも先に入らせて貰えるなんて気分いいよなぁ」
史桜は嬉しそうに言いながら、手にしていたチェロを抱え直した。蓮はその手にヴァイオリンを持っている。私がグランドピアノに備えられた椅子に腰を下ろすと、蓮も史桜も近くに並んで控えていた五脚の椅子の中からそれぞれ一つずつ椅子を持つ。そしてピアノの前に各自椅子を並べ、ゆっくりと腰をおろした。
「じゃ、今から5分ほど各自馴らしてから始めましょう」
と私は二人に告げ、鍵盤に両手を這わせた。彼らは頷くと、それぞれの楽器の音を奏で始める。今回の演奏は『パッヘルベルのカノン』、特に好きば曲だ。
彼らの前で不覚にも泣き出してしまった私を、二人は何も見なかった事にしてさり気無くゲストルームを出て裏庭で時間を潰していてくれた。そんな彼らを、気分転換に付き合って欲しいとこの『Glass garden』へと誘ったのだ。
この室内の入り口に、ヴァイオリンとチェロ、フルートが控えている楽器置き場がある。そこに二人を案内して、楽器を選んで貰った。因みに、彼らはピアノ、ヴァイオリン、チェロ、フルートと一通り演奏出来、なかなかの腕前だ。勿論瑠伽も含む。私はと言えば、塔本家の娘の教養の一環としてこれらの楽器を一通り習った。腕前は……ある程度習ったら、このくらいは演奏出来て当たり前だよね、という程度だ。
学生の頃、蓮と私、または史桜と私、ごくたまに蓮と私で気ままな演奏会をしたものだ。楽器の組み合わせも各自の自由に任せて。
瑠伽と演奏したのは小学生の時から中学……彼が運命の女に出会う前までだった。それ以来、彼とは演奏していない。デートの際、練習室を借りて二人で演奏をしているのを知っていたから。ピアノはかなりの腕前だとういう小夜子さんと比べられたくなくて。では、ピアノ以外の楽器を選んで……という気持ちにもなれなかった。声をかければ、瑠伽は気軽に応じてくれるだろう。だが、演奏の最中に小夜子さんを思い出したりしないだろうか? それが嫌だった。
いつかまた、瑠伽と二人だけで演奏出来る日が来るだろうか? 出来たら、蓮と史桜と菜乃を入れて五人でも演奏してみたい。
もう、そんな日は二度と来ないような気がした。何となく、今回の事で小夜子さんは改心して、そんな彼女をより愛おしく思う瑠伽がいて……二人の絆が益々深まる。漠然と、そんな予感がした。その時私は、目標通り上手く笑えるだろうか? 心の底から二人を応援して、「ポンパドール夫人」を目指せるだろうか。
両親や兄姉に愛されなくても、祖父母に可愛がって貰えている。蓮のようなハイスペックな美形が、勿体無い事に私の為だけに尽くしてくれる。秘密を共有出来る親友、史桜の菜乃、二人もいる。契約結婚ではあるけれど、好きで、好きで仕方がない瑠伽と結婚出来た。衣食住の心配が一切ない。事実だけを冷静に見てみれば、私は何と恵まれているのだろう。これ以上望んだら本当に罰が当たりそうだ。
そう思うのに……どうして決して叶わないと分かっていながら、「一番好きな人に愛されたい、愛して欲しい、最愛の女として選ばれたい!」と切望してしまうのだろう? 私は何て「罰当たりな強欲女」なのだろう。
五分経過したようだ。蓮と史桜が同時に私を見つめた。私はゆっくりと頷くと一呼吸おいて、静かに両手の指を鍵盤に這わせた。
『パッヘルベルのカノン』を、生きとし生けるモノの一生になぞらえてイメージを重ねるのは、私だけではあるまい。
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