第22話 招かれざる客①(瑠伽視点)
もう昔とは随分価値観が異なってきてはいるが、多くの日本人は良きつけ悪きにつけよく働いていると思う。イギリスにやって来て改めてそう感じる。仕事は時間内に、また出来るだけ早く正確に終わらせる事も能力として高く評価されるのだ。勿論、時と場合により例外はあるが。
以上の経緯から、最初の10日間ほどはバタバタと忙しかったから真緒理が持たせてくれた低糖質のおやつが大活躍した。しかし三週間ほど過ぎた今は、すっかり落ち着き軽食やおやつの時間も含めしっかりと取れる上、夜もしっかりと時間が取れる。よって、真緒理が言っていた低糖質な食生活と適度な運動が実現出来る訳だ。まぁ、お飾りのCEOだからこそ時間に余裕があるのだろうけれど。もし本当のCEOだったら、それこそ眠る時間もないほど忙しかったに違いない。
これぞまさに流行りの「チート力」ではないか! せっかくのラッキー、十二分に活用させて頂く。
但し、もし何か危機が訪れた際は僕が矢面に立たされて蜥蜴の尻尾切り宜しくと、失脚コースはセットとしてついてくるのは至極当然の事だ。故にその対策はしっかりと考えておかねばならないが。ただ、問題なのは誰が影のCEOなのかは極秘事項との事で、父や兄にも分からないという点だ。兄によると、『影の側近に近いと思われる人物』なら何人か推測がついているという。近々会える予定らしい。
邸の敷地内にスポーツクラブ級の施設があって、専任のトレーナーが二人体制で待機しているというから驚いた。父親と兄の意見が一致して作られたらしい。一族の率いる企業繋がりの福利厚生で、提携しているスポーツクラブの利用は可能ではあるが。自らがわざわざ噂の餌食になりに行くつもりはない。
両親は最初こそ口先だけの感謝や労いの言葉をかけてきたが、今は以前と変わらず僕に無関心で非常に楽だ。
真緒理から渡された『食物の糖質量』『外食メニューの糖質量』の本は大いに役立つ。小腹が空いた時には無調整豆乳をコップ一杯、当分の間、一日の総合糖質量を極力60g以下に抑える事を目標。契約結婚をしてからこれを意識する事によって……不摂生な生活が祟って一時は血圧が153/90、血液はドロドロで脂質代謝異常、脂肪肝気味だった身体だったが。今は血圧は123/62、血液も肝臓も正常値を示すようになった。今油断したら即戻ってしまうらしいから完全に健康体になるまで続けるつもりだ。
……という訳で、今日は昼以降明日の昼までオフの時間が確保出来た。各自の部屋は元々完全防音処理が施されており、プライベートがしっかりと保たれている。念の為、長年使用していなかった僕の部屋に盗聴器が仕掛けられていないかは確認済みだ。しっかり休んで邸内のスポーツジムへ行き、入浴して早めに寝て明日に備えよう、と思っていたのに……
どうして僕は、わざわざ自室に招き入れて虫が好かないコイツなんぞと対面しているのだろう?
話は少し前に遡る。仕事を済ませて邸に戻ると、執事より来客の件を伝えられた。一体誰だろう? こちらにはわざわざ訪ねて来るほど親しい友人など居ない筈だが……とリビングに足を運ぶと、この男がソファから立ち上がり、皮肉な笑みを浮かべて僕に向き合ったのだ。
「久々だな。元気に活躍しているようで何よりだ」
早速、当てこすりを投げてきた。何を言いに来たのか暗に察した僕は、最早自然に出来るようになった『来客用の笑み』でコイツを迎え撃つ。
「君の方こそ、相変わらずの大活躍じゃないか。お互いに積もる話もあるだろう。僕の部屋に案内するよ」
皮肉には嫌味で応戦だ。その意図をすぐに察した奴もまた、極上の営業スマイルを浮かべる。
「仕事中に悪いな、そう長居はしないつもりだ」
「いや、明日の昼まではフリーだからちょうど良い。色々話そう」
「あぁ、あれから色々とな、それならちょうど良かった」
二人の会話をもしも漫画で描いたなら、僕の背後には狐が、コイツの背後には狸が歯を剥き出しにしているに違いない。
そして現在に至る訳だ。メイドが紅茶とクッキーを運んで来た後、互いに笑顔を消し真顔となった。テーブルを挟んで向かい合って座ったまま、無言で睨み合いが続く。
それにしても、この男もまた悔しい程に美形だ。暗褐色の艶やかな髪は真っ直ぐに肩の下まで伸ばされ、サイドに一房後れ毛を残して無造作に後ろで一つに結んでいる。優雅な眉、高く上品に整った鼻、優し気な唇、アーモンド型の瞳は上品な二重瞼と長い睫毛に囲まれ、緑がかった明るい茶色……神秘的なハシバミ色だ。クリーム色の肌、甘く整った顔立ちは『端麗』と言えよう。踊りで鍛えた体は細身でしなやかで、長身に黒のづくめのライダースーツが恐ろしい程によく似合っていた。
更に口惜しい事に、この野郎は僕より2cmほど背が高いのだ。(そういう意味では、蓮と僕はほぼ同じ身長なのだが……)
この男の名は蓬莱史桜、日本舞踊蓬莱流家元の次男坊だ。アイドルたちのバッグダンサーを経て今はプロダンサー兼振付師として活躍している。コイツとの出会いは、真緒理の小学校入学式の時だ。真緒理と同じ歳で腐れ縁の始まりとも言える。
この男もまた、真緒理に想いを寄せているのだ。以前ちらりと述べたように、僕が真緒理との契約結婚を決め際
「もしあいつを不幸にしたら、有無を言わさず真緒理は俺のモノにしてやるから首を洗って待っていろ!」
と、堂々と宣戦布告しやがったのがこの男だ。因みに、真緒理はこの一連の事は知らない。
……宣戦布告と言えばこの間、久岡の野郎もやりやがったが。何よりも史桜を許せないのは、自分がモテる事と地位や立場を利用して、様々な女と浮き名を流しているところだ。その癖、真緒理には本気だとほざく。遊びと本気をしっかり使い分けていると言うが……まぁ、僕も小夜子の件があるから棚に上げて指摘出来ほど図々しくはない。認めたくはないが、ヤツへの苛立ちは「同属嫌悪」のような感じなのか……
史桜は諦めたように視線を外し、大きく長い溜息をついた。いきなり訪ねて来て本当に失礼な奴だ。
「……真緒理が、極楽寺組組長に拉致されたのは知ってるか?」
「何っ?! 真緒理がっ? いつ??」
寝耳に水だ。思わず矢継ぎ早に叫んで立ち上がった。思考がまともに働かず気ばかりが焦る。
「それで、どうなってる? 真緒理は無事なのか?!」
居ても立ってもいられず、史桜に詰め寄った。
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