第19話 兄と弟(瑠伽視点)
物心ついた時から、疎外感を覚えていた。母親は常によそよそしかったし、父親にいたってはまるで赤の他人のようだった。兄は両親や一族全ての期待を背負い、宝物みたいに大切にされていた。
『長男とは生まれた時からとてつもない重圧との闘いが強いられます、そう言うものです。後から生まれた御方は自由に生きて良い、そう言う事ですよ』
僕は特に誰にも何も聞かなかったが、ある時侍女長がそう教えてくれた。後になって考えてみたら、あまりにも僕に無関心だった両親を見て哀れに思ったのかもしれない。それを聞いた時は、少しだけ気持ちが軽くなったと記憶している。案の定、それはただの慰めだった。そう確信したのは……弟の命が授かった時、生まれてくる事を心待ちにされていた事、生まれてからもその存在を溺愛する両親を目の当たりにしたからだった。
気を引こうとわざと風邪を拗らせてみても、落馬して手足を骨折してみても、学校で良い成績を取ってみせても両親の気を引く事は出来なかったのにも関わらず、弟は何が出来ても出来なくても愛されていた。
人の不幸が大好きな暇人どもは、三兄弟の内一人だけ似ていない僕の事を、好き勝手に妄想して聞こえよがしに陰口を叩いていた。父親と愛人との間に出来た子だことの、母親の火遊びで出来た子だの。いっそ、本当にそうだったらどんなにか気が楽だっただろう。僕の顔立ちは母方の曽祖父に、髪と瞳の色は父方の祖母に似ていた。雑誌やニュースに面白おかしく書き立てられないように、両親は気を配っていたようでそういう心配は無かったが。勿論、僕の為などではない。一族の名に傷をつけたくないからだ。
子供は周りの大人、自分と最も近い者の真似をする。だから、兄も弟も僕に対して他人に接するように振る舞った。挨拶以外にまともな会話をした記憶がない。
人は、原因不明のものに理由を求める生き物だ。古代であればパスカル、ソクラテスやアリストテレス等々。故に、原因不明のままであると、ある人は科学的に、ある人は精神医学的に、またある人は精神世界等にその理由を探す。しかしながら、そこに理屈など存在せず生理的に、本能的にソリが合わない、と言う事もあるという哀しくも理不尽な原因が存在する。僕の両親との関係のように。だが幸いな事に、僕は衣食住には困らなかったし、暴力を振るわれる事もなかった。何より、遠縁の叔父が自国の日本へと連れて行ってくれた。叔母さんは日本人で、二人の間に子どもは出来なかったとかで。僕の事を我が子のように可愛がってくれた。戸籍の上の事やVISAなど、詳しい事は全て叔父にお任せしたが相当に面倒な手続きだった事は見て取れた。捨てる神あれば拾う神あり、僕は本当にツイていると思う。
初めて真緒理に出会ったのは、彼女が幼稚園に上がる頃だった。それは抜けるような青空が天高く広がり、爽やかな秋の風が頬を撫でる昼下がりだった。お隣の塔本家の裏庭は、柔らかなグリーンのレースのような茎と葉を持つ秋桜が咲き乱れていた。白やピンク、深紅の可憐な花々が風に揺れ、白と黄色の蝶がワルツを踊る中……彼女は空を見上げて佇んでいた。肩につく褐色の髪を風に靡かせ、僕の気配を感じ取って振り返った。
……秋桜の妖精?……
思わず息を呑むほどに、吸い込まれそうなほど澄んだ大きな栗色の瞳が印象的だった。若葉色のワンピースの裾が風に遊ばれふわりと広がった。その時は本気で、秋桜の妖精だと思ったのだ。
「あのなぁ……言いにくいんだけど言っておかないとと思ってさ」
兄の言葉に、我に返る。そうだ、ここは飛行機の中だった。イギリスの生家に向かう途中だ。ついウトウトしていたようだ。
空港へは久岡が車で送ってくれた。弟は仕事で撮影があるとかで、別の飛行機に乗って行った。
ニコラスが僕の小説を読み込んでくれているのは意外だった。新作が出る度に読んでくれていたという。初恋云々を切り出された時は、真緒理を馬鹿にするつもりなのかと怒りが湧き、売られた喧嘩は買って勝つぞ! とまで思ったが。内容を細かく分析するほど読んでくれていたとは意外だった。……久岡の登場が、全ての気まずい空気を洗い流したみたいで腹立たしいところではあるが……
「悪い、起こしちまったな」
「いや、特に眠るつもりはなかったから大丈夫だ。話とは?」
いつもは少々傲慢とも思えるほどに自信に満ち溢れた兄が、珍しく戸惑っている。……尤も、殆ど会っていなかった訳だから、普段の兄がどんな態度なのかは本当のところよく分からないのだが。
「その……今更だけど、勝手な事してお前に押し付けた形になって悪かったとは思ってるんだが……」
何を今更っ! 思わずカッとなった。キッとなって右隣の男を見やる。ベルトに阻まれたお陰で、奴の胸倉を掴もうとする右手を抑え付ける事が出来た。落ち着け、自分。自分にも利があるから引き受けた事だ。ただ、今まで他人同然だったのにしおらしく謝罪された事に怒りを覚えただけだ。
「続けてくれ」
僕の様子を見て切り出すかどうか逡巡している兄に、話を促す。
「……俺は一族の期待を背負って跡を継ぐべく教育をされて、当然俺もそうする事が当たり前だった。だけど、気付いたんだ」
兄はゆっくりと慎重に話を進めた。
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