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4 暗闇の中の閃光

たいらチエは、前の学校を追い出されたんだって」

「錦糸高校では一位だったんだってさ」

「それなのに何故錦糸高校を追い出された?」

「男と不純異性交友したんだって」


 美しいはずの賛辞さえ好奇心とともに嫉妬の言葉に変わっていく。赤いきらめきは傷つける切っ先のそれ。その奥底にあるのはやっかみ。それが憎しみをあらわにすることに時間を要さなかった。

「ほんとかよ」

「あんな可愛い顔をして、やっていることはやっているんだな」

「清純そうな顔をして、俺たちを裏切ったなんて」

「可愛いからってなんでも許されると思い上がっていたのよ」

 ユウキたちの広めた噂は、そのままではなく、尾鰭がついて重く拡大していく。ユウキたちの目論見は予想以上だった。それがチエの心の沈殿物を巻き上げる。ユウトへの罪の意識、ユウトへの熱い思い、ユウトが去った悲しみ。それらが心を重くした。そこに好奇と嫉妬の目がさらに重しとなって繊細なチエを孤独の淵に深く沈めていった。


 やがて、神経的ないじめは物理的ないじめに変わる。足掛け、突き飛ばし、持ち物隠し。ついにチエはトイレに逃げ込むしかなかった。とうとう一人、チエの語る言葉をチエしか聞いていない。そう思った時だった。

「一人で悲劇のヒロインを演じているつもりか」

 黄土の羽衣の影が再びチエの前に現れた。多くの異なる声が聞こえてくる。

「誰もお前をヒロインだと思ってはいないさ」

「助けが来ると思っているのか」

「お前はこの世にいても仕方のない存在」

 耳を塞いでも頭の中に響く擬似声音。ここでやっとチエは思い出したように祈りの言葉を口にした。

「私は孤独になってしまった。誰もが私を追い詰めてくる」


 それが息吹を呼び、高らかな声が響いた。

「ここににげて来なさい」

 聞いたことのある疑似声音がチエを包んでいる。

「なぜ逃げようとしない」

 チエは応えた。

「逃げられない。逃げきれないわ」

「そんなことはない。必ず私が救う。逃げなさい」

「でも、私どうしたらいいかなんてわからない。どこへ行けばいいかわからない」

「あなたは祈りを忘れている。私の背後に控えている方の臨在を感じようとしていない。それゆえこうなるまでこじらせている」

「でも、私はもう独りぼっちなんです。先輩も行ってしまった」

 見覚えのある人影がチエの目の前に揺らめく。いや、その人影がチエの言葉に明らかに動揺している。

「そういわないでくれ。だから今日は傍に来たのだ・・・。あなたは一人ではない。わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神 わたしが、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにいる」

「でも、私、もう何もできない。耐えられない。助けも来てくれない。だから、もう私を放っておいて」

「ちえ・・・」

 戸惑った疑似声音が憐みのまなざしをチエに注いでいる。チエはそれを感じながらも、絶望から自分を起こすことができなかった。


 気が付くと、学校中は雨の続く闇夜のとばりに包まれていた。生徒たちの活動はとうに終わっている。

 窓とその周囲の暗がりを照らす稲妻。その稲妻に照らされた道があった。いつも見慣れている道。隣接公園への道。梅雨の暗い夜にもかかわらず道が青く明るい。チエは、孤独をいやす場所を求めて、公園の奥への道を歩んだ。そのまま雨の中へ自分を隠し、そのまま増水した池に沈んで消えていきたかった。


 池の周りを囲む石畳。濡れた石畳やコンクリートが稲妻を反射する。その先に雨音の激しい池がある。きっとそこに自分を沈めて消し去ってくれる永遠の淵があるに違いない。そう思った時だった。

 池の横の東屋に、雨宿りをする男の姿。彼は黄土の衣を夜の風にながし、停めたゼッツーの座席に寄りかかり空を見上げていた。

 チエはその姿を見て息をのんだ。彼はかつて薬品倉庫でチエを救い出した特攻服の男。その時以来の再会だった。しかし、チエは、こんなみじめで孤独な小さな自分を覚えているはずもないと思い、真っ直ぐに池への道を行こうとした。


「どこへ行くんだ?」

 無言のまま通り過ぎようとした時、チエは彼のほうを見ることができなかった。チエは、自分の目にある涙を見られたくなかった。それは雨のしずくではなかった。

 錦糸高校の校門での別れの時からまだ3か月しかたっていない。ユウトは、目の前のチエがあまりにもみすぼらしく変わってしまっていたことに愕然とした。

「自分が何をしようとしているのかわかっているのか? たいらさん」

 ユウトは一瞬にしてチエの背後に近づいた。

「どうしたんだ…」

「私のことはもういいんです」

「あの倉庫の時の君は強かったはずじゃないのか」

 チエは声を出すことはできなかった。声を出せば泣き声となり、後ろにいる名も知らぬ特攻服の男に悟られてしまう。しかし、肩の震えは慟哭していることを物語っていた。ユウトは反射的にチエの肩にそっと手を伸ばしていた。チエはそれが別れを告げたはずのユウトの手のように感じていた。

「優しくしないで・・・・先輩・・・」

 そう呼ばれたユウトは自らの戒律を思い出した。絶対にユウトであることをチエに知られてはならない・・・・・。

 チエは、後ろにユウトがいると自分が錯覚していると思い、振り返らないように一生懸命に耐えていた。しかし、彼がユウトではないという確信もなかった。


「落ち着いたかい?」

「あ、あの、久しぶりですね…」

たいらさん…」

「私の名前を知っているんですね」

「今、その新小岩高校に行っているんだろ」

「そうです。私はこの高校にいることができるんです」

 ユウトは、チエが少し皮肉を込めていることに気づいた。

「よかったじゃないか」

「ちっともよくないですね」

「なぜ」

「あなた私を救い出してくれました。それは感謝しています。でも、あなたが薬品倉庫に入ったはずなのに、先輩が盗みに入ったことになっていて、それで先輩は退学になってしまったんです」

「そうか」

「あなたの代わりに先輩が退学処分を受けて、だから私は先輩の無実を晴らすために動いたんですが、私は役に立つどころか、迷惑をかけてしまいました。もちろん、あなたにも迷惑をかけてしまったんですけど…」

「だから・・・」

「だから、先輩が薬品倉庫に入ったんではなくて、あなたが入って私を助けてくれたんだって、証明してくれれば・・・・」

「俺がかよ・・・。そんな奴のために」

「そんな奴って…。私には命よりも大切な人・・・私、先輩のためならなんでもします。だから・・・」

「そんなにいいやつなのかよ、その先輩っていうのは? 名前が分からねえしな」

 ユウトは赤面しつつ、チエの言葉を確認するためにこの微妙な言い方をした。

「あ、そうですね。黒木ユウトさん…。あなたと同じオートバイに乗っている人です」

 ユウトはチエの言い方で一瞬ばれたかと思ったが、チエは興奮することなく話している様子から、まだばれていないと一安心した。

「どうしてそこまでやるんだか」

「ごめんなさい。これはわがままですよね。」

「君はもっと自分のことを顧みるべきだね」

 目の前のこわもての男は、ユウトと同じことを言う。チエはそう思った。

「そうですね。わたしは先輩のことを、ぜんぜん助けられないどころか、迷惑ばかりかけて・・・そして今、私は自分がやっぱり無力だっていうことが、痛いほど身に染みてます」

 チエは、暗闇の中で涙を流した。周りが暗いから見えないだろうと思っていた。しかし、ユウトはチエの涙を感じていた。

「どうしたんだ。やっぱり追い込まれているみたいだな」

 チエは驚いて、背中にいる男を振り返った。

「でも、私を助けてくれるなら、その前に私の先輩を、先輩の無実を、先輩の退学の取り消しを先に…」

 ユウトはチエのいじらしさに衝動的に抱きしめようとするほどだった。

「そ、それは俺の仕事じゃないんだ」

「なぜ」

「お前の先輩とか言うやつは・・・」

 ユウトの言葉に恥ずかしさが伴っている。

「そいつは・・・誰の助けも必要としない強いやつだ。大丈夫な奴だよ。それよりも、俺は、君のためにここにきて待つように言われたんでね」

 チエは思わずその男を見つめた。暗いためか、夜景に浮かぶ男の姿がユウトに似ていることにハッとした。

「もしかして、先輩じゃないんですか?」

「何を言うか、俺の名前は蒼翼そうよく・・・・君のことは何も知らないぜ」

「うそ!」

「もう、この会話は終わりだ。手短にいう。この問題集を君に渡せと言われたから持ってきたんだ。期末試験に満点を取ることが重要らしいぞ。学校に戻りな。そうすれば君の居場所もある。じゃあな」

 ユウトはそう言って、慌ててゼッツーで走り去ってしまった。


 チエは考え込んでいた。目の前にいたオートバイの男から立ち上った匂いは、確かにチエを安心させるものだった。

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