第四話 アヤカの条件
彼女の提示した妹を返すための条件。
それは異国の騎士たちを打倒し、その身に宿らされている神の祝福を集めることだった。
彼女いわく、祝福とは神の権能の切端であり、それを奪うことで異教の神々の力を削ぐ事ができるらしい。
権能を集めることで神としての位階を上げる。
それが妹に取り憑いた彼女の目的だそうだ。
「海軍がすぐに駆けつけてくれたのは運が良かったわね」
『彩香』が陸は頭固いからとぼやきながら椅子から立ち上がり、腕を伸ばすとゆらりと揺れた黒髪がランプの光を静かに反射した。
神の力を宿す者を他の神が直接手にかけることは禁忌とされているため、他の神の力を奪おうとすれば人の手を借りる必要がある。
だが、そのようなことに力を貸すような者は稀だ。
そんな折、歩たちが危機に陥っており、全てを捧げるほどの強い願いを持っていた。
更には海軍所属であるなら、より上位の祝福を授かっている者も多いので都合が良かった、と。
もっとも、実際にはただの軍属ではあったのだが。
「私は自分の位階を上げるために。貴方は妹を取り戻すため戦う。互恵関係ってやつね」
「だけど、俺はただの民間人ですよ?」
「大丈夫だって。それなりに教育してくれるでしょ。じゃないと安全装置のない爆弾みたいなものなんだから」
先程の月見里少佐の態度。
『下手な事を言うと殺されてしまうかもしれない』というのは彼にとってはまさに事実であり、比喩ではなかったようだ。
なるほど、それならばあの態度もわかると歩は一人納得した。
「それと私は『彩香の存在』を軸に現世に顕現してるから、この体は神器みたいなものなのよ」
神の力を宿すのは人だけではない。
道具に神の力の一端を降ろすことで霊装と呼ばれる強力な武具となる。
「どういう意味ですか……?」
「んっとね、戦闘中は私は神装、じゃなくて霊装に変わっちゃうから。一人になるけど寂しがらないでね?」
彼女は何でも無いことを言うように軽やかに微笑む。
薄っすらとぼやけている昨夜の記憶。
その中で歩は合衆国の航空騎士たちと同じように、手足に機械じみた純白の装備を身にまとっていたように思う。
彼女の言葉が正しいとするならば、それらは『彩香』が变化したものだったというわけだ。
だが人間そのものが霊装に变化するなんて歩は聞いたことがない。
とはいえ、歩は一般的なことしか知らないただの民間人。
そして彼女は高位分霊どころか神霊そのもの。
であるならばそれもあり得るのかもしれないとなんとか飲み込む。
「ま、因果を捻じ曲げるのに神力をだいぶ使っちゃったし。当面はおとなしくしてるわよ」
ほんとに大変だったんだから。
そういいながら彼女は照れくさそうに笑うが、捻じ曲げるための手段が昨夜の戦闘結果と考えれば青ざめるほかない。
霞のかかった記憶の中で、歩は多数の敵航空騎士と航空機を撃墜。
さらに遁走する敵機を追跡し、遠く離れた海上に遊弋していた敵の軍艦をも沈めていたのだ。
「……、他の手段じゃどうやっても死の運命から逃れられなかったんだから仕方ないでしょっ!」
歩が口元を引きつらせていたのに気がついたのか、手を前で振りながら取り繕うように言い訳を重ねるが事実は変わらない。
それだけの戦闘力を見込まれているとすれば最前線に放り込まれることは容易に想像できる。
「慎重に、できるだけ目立たないように行動しないと……」
早く妹を取り返したいが、無理は禁物だ。
撃墜されてしまえば妹を取り戻す手段は永遠に失われるのだから。
「そうそう。だから私のことは妹として、アヤカって呼んでね? お姉ちゃん?」
「わかりました……」
「あと敬語も禁止ねっ!」
じゃないとちょっとばかしめんどくさいことになると思うよ?
と、不敵に笑いながらついと横を向いたアヤカの流し目に、歩は頷くしかなかった。
既に手遅れかもしれないが、それでもやらないよりはマシ。
そう考えて歩は中庸を目指すことを歩は決意するのだった。
「そういえば、お姉ちゃんってどういうことだ?」
「んー、どうしよっかなー? 答えないほうが面白そうだなぁ」
楽しそうに笑うアヤカにどういうことかと尋ねる前に再び扉がノックされる。
どうやら風呂の支度が整ったらしい。
官給品の下着の替えと手ぬぐいを渡された二人は兵士に案内され風呂へと向かった。
「貸し切りですのでごゆっくりどうぞ」
そう言って案内してくれた兵士と別れ数秒後、歩は姿見の前で呆然と佇んでいた。
大浴場と書かれた暖簾を抜けた先にあった姿見には、『彩香』の姿が写っていたのだ。
それも、二人。
一人は隣のアヤカと同じく行動を取り、もう一人は歩と同じ動きを真似てくる。
「こ、これが俺……?」
手を挙げれば合わせて手を挙げる。
首を振れば髪の毛一本まで余すこと無く動きについて来る。
「そーよ、そっくりでしょ?」
なるほど、月見里少佐が姉妹と思うわけだ。
二人は瓜二つの双子のようにしか見えないのだから。
そして風呂場が分けられないのも当然だった。
「これが、俺の対価ってことか」
男としての人生を捨て、妹と同じ姿の女として生きる。
内心忸怩たる思いはあるが、全ては妹を取り戻すため。
そう割り切れば大したことはない。
「ここは男のままなのか……」
だが服を脱いだ際、更に問題を抱えていたことに気づかされた。
ニヤニヤと歩を眺めてくるアヤカから考えるに、これはバレること無く女のふりをして過ごせということだろう。
そもそも日本の神々は清らかな乙女にしかその力を貸さないはず。
だと言うのに男の歩がその力を手に入れたとなればどのような影響があるか想像がつかない。
「男の娘ってやつね!」
「なんだそれは……」
とりあえず服を竹の籠へ仕舞い腰に手ぬぐいを巻くと、肩に手ぬぐいをかけているアヤカの姿をできるだけ視界に入れないように浴場へと向かう。
「というか服装まで全く同じとか。どうなってるんだ?」
「それはほら、神のみぞ知るってやつよ」
「昔、人はどこまで頂へと近づけるのかと神へ訪ねた者が居たってやつか?」
「そそ。人の知るところではないってね」
脱衣所もそうだったが、浴場も非常に立派なものだった。
おそらくここは士官用の浴室なのだろう。
体を洗わんと風呂椅子に座り、蛇口をひねるとやや熱いお湯が出てくる。
熱めのお湯を頭からかぶると、周囲に湯気が立ち上がる。
「くっ!」
いつの間にか全身が冷え切っていたらしい。
丁度いいと思っていたお湯が全身を痺れさせる。
「お姉ちゃん、背中流してよ~」
「黙ってろ」
自分の体を洗い終えたところで隣りに座っていたアヤカが声をかけてきたが素気なくあしらう。
妹はもう十二歳。
成長がいまいち遅いとはいえ、一緒に風呂に入るような年ではない。
ましてや中身は妹ではないのだから。
「流してくれたらあとでちょっといいことを教えてあげるよ? ね? オ・ネ・ガ・イ」
だが上目遣いでお願いしてくる顔と声は妹そのもの。
それに幼い頃の記憶を少し懐かしく感じてしまい、どうしても断るのは難しい。
ましてや情報を対価と出されれば否やはない。
「……前は自分で洗えよ」
「えー、ケチー!」
妙にベタベタとくっついてくるアヤカの背中を流し終えると、歩は湯船に浸かり頭を抱えるのだった。