第二十八話 悪鬼羅刹
「ふぅ……」
月見里中佐は一人教頭室でタバコをくゆらせる。
木で作られた無骨な机の上には神無月から提出された報告書が置かれている。
「既に学生の枠にはない、か」
そんな事は三ヶ月も前からわかっている。
当然、上申も行った。
結果、まさかの『栄転』だ。
「一縷の望みだったのだがな」
早乙女教官から今期の新入生、特選科の連中が神界への扉を開きその神格適性を大きく伸ばしたとの報告を受け、教頭権限で急遽割り込んだ演習。
彼女たちは既に全員共振まで進んでおり、自分の手には負えないと音を上げてきた早乙女教官ですらまだ早いと否定的だったものをゴリ押しした結果がこれだ。
「江田島に、手元においておくにはリスクが高すぎる」
先の演習結果は、万が一歩たちが暴走してしまえばそれを抑える手段が江田島に存在しないことを示している。
上層部の判断では受け入れることのできるリスクとなっているが、それは一ノ瀬妹――アヤカを目の当たりにしていないからの判断であり、現実が見えていないと言わざるを得ない。
一ノ瀬姉にしても、一見常識人のようでその行動は無茶苦茶だ。
神を隷属させるなど、その危険性はアヤカと遜色が無い。
そして幸いと言って良いのか、学生たちの訓練の中には数ヶ月にも及ぶ外洋航海演習なども含まれている。
もっともそれは平時のものであり、戦中の今となっては危険度の高さから毎年見送られてきたものだ。
臭いものに蓋が出来ないのであれば、遠ざけるしかないだろう。
「だが教育課程からは削除されてはいない」
あくまで一時中止であり、その中止決定時期は例年まちまちだ。
つまり、中止が決まる前に送り出してしまえば問題はないだろう。
いや、まったく無いわけではないがそれを責めることは誰にも出来ないはず。
「本来であれば二年生以降に行われる演習だが、既に予定を大幅に前に倒しているのだ」
更に前倒ししたところでだからなんだというのだ。
座学が遅れる?
そんなもの実戦豊富な教官が多数いる船舶内で行えばいいではないか。
幼いとは言え彼女たちは絶世の美少女だ。
それが多く居れば艦内の士気も上がる。
「幸い今呉に停泊している空母の艦長は俺の同期だしな」
更に言うと空母戦隊の司令官は親戚であり、多少の融通は利かしてくれる。
ましてや今は戦時、ひよっことはいえ戦乙女はどの部隊でも喉から手が出るほど欲しがっているのだ。
話を持っていけばまず間違いなく食いつくだろう。
実戦訓練というお題目で大いに使い潰してくれるはずだ。
「早乙女教官には悪いが犠牲になってもらうとしよう」
教育課程上の演習である以上、引率の教官は必須。
外洋航海となれば戦乙女としての能力も求められる。
「既にかなり力は衰えているだろうが、最後の奉仕と思って頑張ってもらわねばな」
死んだ眼差しで月見里中佐は机の片隅に置かれた黒電話を持ち上げる。
呼び出した先は教官室、哀れな犠牲者の机だった。
「なっ! 教頭、正気ですか!? 彼女たちは空母への着艦訓練どころか地上での飛行訓練すらまだろくに行っていないのですよ!?」
「なに、これから練習すれば問題ないだろう」
出港はまだ一ヶ月以上先、その時間は有ると月見里中佐は笑う。
「大いにあります! 再考をお願いします!」
一ヶ月あれば止まっている空母に着艦することは出来るだろう。
しかし航海中の、それも外洋の荒波の中での発着はそう簡単なものではない。
ましてや悪天候の中、母艦の位置を見失わずに帰還するにはそれなり以上の熟練が必要だ。
引率者がベテランであればそれも可能だろうが、戦時の今、引率できるだけのベテランを教育に割けるだけの余裕は現地部隊にはない。
「君の報告書を読ませてもらったが、十分任に耐えうると私は確信しているよ」
「そんな……」
歩たちへの無茶振りの原因は、自分の書いた報告書であると言われては早乙女教官としても言い淀んでしまう。
自分は正規軍人だ。
上官の命令であれば死地へ赴くことも覚悟している。
しかし彼女たちは軍人とはいえまだ学生、それも先日初等科を卒業したばかりの子供ではないか。
それをまともな訓練も施さずに戦地に放り出すなど、外道という以外の言葉が見つからない。
わずか二日間とはいえ、自分は彼女たちの指導者であり責任者だ。
ならば彼女たちが少しでも生きながらえることが出来るよう、目の前の外道と戦う義務がある。
「ふむ、まぁ君がそこまで言うのであれば」
「再考いただけるのですか!」
月見里中佐の思わせぶりな言葉に早乙女教官は目を見開く。
しかし繋げられた言葉はそんな教官を絶望へと叩き込むものだった。
「早乙女教官、彼女たちの引率役は君としよう」
「は……?」
力衰え、既に一線を退いた退役間近の戦乙女が外洋航海演習の引率。
早乙女教官はたしかにベテランではあるが、悪い冗談にもほどがある。
しかし代わりとなる案はと言われると無いのも事実だった。
「い、今は戦時なのですが?」
敵と遭遇した際に学生たちを守り切る自信がないと訴えるが、月見里中佐の表情は動かない。
「戦時だからこそ、多少の無茶は仕方ないだろう?」
「それは、そうですが……」
「君には期待している、その証拠に今日から君は少佐だ。おめでとう」
冷徹に月見里中佐は早乙女教官へと告げる。
初等科を卒業したばかりの少女たちは、外洋演習という名の最前線へ送り込まれる。
致死率五割というのは適切な訓練を、教育課程を終えた戦乙女たちの出した数字だというのに。
数ヶ月後、一体何人生き残って江田島の地を踏めるだろうか?
「そしてこれらは決定事項だ」
「これほど嬉しくない昇進も珍しいですね……。ありがとうございます」
死者への手向けとでも言わんばかりの昇進だ。
どうして喜ぶことができようか。
「私は、鬼となりましょう」
「うむ、頑張ってくれ」
早乙女教官は手を握りしめる。
少女たちが生還できるようにたとえ恨まれたとしても、限界をまで訓練を実施する。
そう心に決めて。
「もう、限界……」
「教官は、悪鬼羅刹ですわ……」
泥だらけのグランドに横たわり、雨粒を顔で受けているのは特選科一年生の面々だ。
深夜でも関係なく行われる緊急呼集にまともに睡眠も取れず、食事も携行糧食のみ。
それすら十分なものとは言えず、当然風呂にも入れない彼女たちは僅か一ヶ月で見る影もなくボロボロになっていた。
「明日から、外洋航海演習ですわね……」
「そうだね……」
歩は虚ろな目でノロノロと立ち上がり、同期の少女たちへと手を差し出す。
「……」
歩に手を引かれて辛うじて立ち上がったものの、彼女たちはそのまま動けず雨に打たれ泥を流していく。
空母乗艦までは訓練はないと聞いているが、どこまで信用できるのか。
「支度、しないと……、行こう」
「了解……」
いますぐ寝たい衝動に駆られるが、教官からは身綺麗にするように厳命されている。
最早見栄えなどどうでもいいという意識が同期の総意ではあったが、上官命令であれば否やはない。
たった一日で浮浪者から美しい少女に戻る必要があるのだ。
それも入学時と同等程度にまで。
「肌荒れが酷いのですけど」
「ガマのクリームあるで」
「助かりますわ」
ともかく早く身支度を整え無ければ貴重な睡眠時間が失われると、歩たちは足を引きずりながら校舎へと向かっていった。




