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第二十三話 折れた聖剣

「ほんとにお姉ちゃんはお兄ちゃんなのです……?」

「だからそう言っているじゃない。っと、早く行かないと鑑賞する時間が減っちゃうわね」


 ジュルリと舌なめずりをしたアヤカに白菊は先程からの悪寒の正体を知る。


「へ、変態なのです」


 目の前の少女は神霊でもなければ悪魔でもない。

 ただの覗き魔であると白菊は確信した。


「使用済みの下着も回収しないと」

「俗物すぎるのです!?」


 訂正、もっと低俗な何かだった。


 なるほど、歩が風呂へ向かう時に自分に頼んだのはこういうことだったのかと白菊はそこで初めて理解する。

 そして自ら願い共鳴したパートナーであり、隷属した主人であり、そして大切な姉兼兄の歩を守らんと拳を握りしめた。


 確かに自分は禁忌を犯したかもしれない。

 だが、共に闘う仲間の危機を座視することは矜持が許さない。


「あら? 止めるつもり?」


 白菊はベッドから降りると扉の前で仁王立ちとなる。

 膝は笑い、背中からは滝のような汗が流れ白い装束がぺたりと張り付き不快感を生じさせる。


「当たり前、です」


 枕を聖剣に見立てかざすと、ここは通さぬとばかりにアヤカを睨みつけた。


 しかし決死の覚悟で立ちふさがる白菊にアヤカは冷ややかな笑みを向ける。

 その目は、白菊の本心を見透かしていた。


「お兄ちゃんの枕、いい匂いするわよね?」

「だから何だというのです」


 太陽の匂いとでも表現すればいいのだろうか。

 白菊にとってそれはどこか懐かしく、心地よく、ずっと浸っていたいと思えるものだった。


 だからこそ、歩を守らねばと歯を食いしばりアヤカと対峙している。

 たとえその身が滅びようとも必ず主を守るとの決意を胸に。


「お兄ちゃんの汗を吸った服、もっと匂い強いだろうなー」

「っ!」


 白菊の決意を嘲笑うかのようにアヤカの静かな声が部屋の中に響き、彼女を揺さぶる。


「下着ならもっとかしら?」


 それに顔をうずめれば、おそらく至福の一時が得られるだろう。

 その光景を想像した白菊は思わずゴクリと喉を鳴らす。


「はっ! ち、ちがう! です!」


 アヤカの言葉に自身の理性が溶かされていくことを感じた白菊は、自制するように首をイヤイヤと左右に揺らす。

 しかし投げかけられる悪魔(あやか)の囁きは止まらない。


「洗濯籠に入れられたら女中さんにすぐ洗われちゃうのよね」

「それを……っ!」


 『それを洗うなんてとんでもない』


 反射的に口から飛び出しそうになった言葉を唇を噛み締めて堪える。

 だが否定は出来なかった。


 白菊のみ開かれた目は雄弁に彼女の願いを物語る。


「予備の下着と入れ替えても、誰も気が付かれないわよ?」

「う、うぅ……」


 アヤカが手に持っている新品の下着。

 それと使用済みの下着を入れ替えて洗濯籠に放り込めば、歩からは気づかれることはないだろう。


「全く素直じゃないわねぇ。そういうのイライラしちゃうんだけど……。まぁいいわ、特別にこれあげる」

「何を……? っ!」


 アヤカが下着を持つ手とは反対の手で差し出してきた青い布。

 ただのハンカチではない。

 匂いでわかる、これは歩のハンカチだと。


 差し出されたハンカチを無意識のうちに受け取ってしまった白菊は、背後に浮かぶアヤカの笑みに戦慄する。


「ほーら、こっちのパンツはあーまいぞー?」


 気がつけば右手に抱えた聖剣はへし折れ、だらりと頭を垂れている。

 左手に握る青い布は敗北の証、たった今白菊を陥落させた必殺の刃だった。


「さ、行くわよ」

「……」


 既に抵抗する気力もなく、脚はまるで自分のものではないかのごとくアヤカに言われるがまま部屋の外へと向かう。


「ファーストタッチは『後輩』に譲ってあげるわ」


 アヤカはやっと自分に素直になった後輩への餞別とでも言わんばかりに最初に背中を流す権利を渡すと微笑えんだ。

 晴れやかな顔をしているアヤカとは対象的に白菊は未だ抵抗感が残っており、夕方の朱に染まった廊下はまるで溶けた溶岩のごとく白菊の脚へとまとわりつき、足取りを重くする。


「ほ、本当に行くつもりなのです?」


 それに歩からはアヤカが余計なことをしたら止めるようにとお願いされている。

 だというのに、今自分は止めるどころか一緒になって『余計なこと』をしようとしているのだ。

 歩の信頼を裏切っているという罪悪感に苛まれる。


「何を今更。既にあんたは同じ穴のムジナなのよ?」

「そんなっ!」


 そんなことはないなどと、どうして言えようか。

 宝物のように胸元にしまい込んだ青いハンカチは、薄手の白い装束の外からだってその影が見えている。

 もう、手遅れなのだ。


 しかし後になって振り返れば、踏みとどまれる最後の機会はこの瞬間だったのかもしれない。


「あんたはただお兄ちゃんの背中を流したかっただけ、そうでしょう?」

「……、それは、そうです……」


 しかしアヤカは白菊へと甘い毒を流し込む手を止めることはなく、最後の機会は消し去られる。


「たまたま偶然、お兄ちゃんの下着を拾っちゃうことだって有るわよね?」

「一緒に暮らしていたらそういうこともあるかもしれないです……」


 既に白菊の理性は欲望の谷へと落ちかけている。

 辛うじて理性の一端に掛けた指先は、一本ずつ静かに、丁寧に外されていく。


「それを間違って持って帰ってしまうことだってあるわよね?」

「誤りは誰にだって有るのです」


 風前の灯の理性を自ら吹き消さんと覚悟を決めた白菊の眼差しは、どこか力強いものだった。

 その様子に満足したアヤカは嬉しそうに最後のひと押しを紡ぐ。


「毒食えば皿までって言うわよね?」

「色々と台無しなのです!?」


 その一言はなかなかに酷いものではあったものの、白菊としてはテーブルごと飲み込まざるを得ないと思うのだった。

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