第十六話 白菊
気がつけば歩はどこまでも続く白い平原に立っていた。
「えっと……?」
本能が教えてくれる――ここは神域か、それに近い場所だ。
目の前には神々しい雰囲気をまとう白髪の美少女が佇んでいる。
おそらく彼女はこの場の主、白菊に降りている神の分霊ともいえる存在なのだろう。
巫女服のような白と朱の衣を纏った彼女は、揺れる潤んだ眼を歩へと向けていた。
おかしな点を挙げるとすれば艷やかな口元には猿ぐつわが噛まされ、幼さを残す肉体にも縄が打たれていたことだろうか。
「んーっ! んんーっ!!」
首元から伸びた縄の先を握るのは間違えようもなくアヤカである。
嗜虐的な笑みを湛えた彼女は、縛られ地面に跪いている少女の背中を自身の細い脚で押しながら首元の縄を引き、そのまま後ろ手へと縛っていった。
「ふぅ、これでいいわね」
「いやまて。どうしてこうなった?」
いい仕事をしたとでも言わんばかりに額を拭ったアヤカへ、歩は待ったをかける。
相手はこの場の管理者たる神の分霊のはず。
それを縄で締め上げるなど許されるはずがないと。
「もう、お兄ちゃんってばせっかちなんだから」
焦る歩に、アヤカは分かってますと言わんばかりに空中から黒い鞭を右手で取り出すと差し出してくる。
純白の世界を穢す黒々とした短めの鞭は先がバラけており、振るえばいい音がなるだろうことはそういったことに詳しくない者でも想像がつく。
アヤカがそれを渡す意味。
歩は理解したくなかったが、縛られた少女があげる苦悶の声が否応なしに現実を突きつける。
「さ、やっちゃって!」
握った左手を突き出すと親指を上げると、満面の笑顔を花咲かせた。
「……、おぅ」
「っ! んー! んんんっ!!」
歩の返事に少女の表情が絶望に染まり、一縷の望みを掛け歩へ必死に呼びかける声は言葉にならない。
白い頬へ一筋の涙が伝い、ぽたりと地面へと落ちる。
「んん……」
鞭を受け取った歩は、口元にアヤカと同じく笑みを湛えているものの目は笑っていない。
それを見た少女はこれから自身へ訪れる地獄を夢想し、がくりと首を落とした。
「すまん! 大丈夫か!?」
「んぅ……、ぷはっ。……へ? え?」
悶絶するアヤカが地面に伏している間に歩は急いで少女を拘束していた縄を解き、猿ぐつわを外す。
急に開放され、状況がわからない少女は座り込み地面に手をついたまま困惑した表情で歩を見つめてくる。
向けられた透き通るような白い頬に刻まれる縄の跡は痛々しく、歩は思わず頬に手を寄せてしまった。
「ひっ……」
「っ……。ごめん、俺の妹がこんなことしちゃって。酷いことをするつもりはなかったんだ」
頬に触れるとビクッと震え、顔をそらした少女に胸が痛くなる。
実際の年齢はともかく、見た目は幼い少女なのだから。
「そう、なのです……?」
「ああ、ごめんね?」
ジッと疑うような視線が突き刺さるが、交差した視線を歩は決してそらさない。
目をそらしたくなる思いに逆らい、ただひたすらに、真摯に彼女を見つめる。
それが、彼女に対する礼儀と考えたからだ。
一拍の間を置き、白菊は頷いた。
「……、うん、わかったです。私の名前は白菊。霊装に降りてる神の分霊なのです!」
「そうか。白菊、いい名前だね?」
「えへへ、ありがとなのです!」
太陽のように笑う白菊の頬に、未だ残る朱色の跡。
歩は申し訳ないという思いを抑え、話を本来のものへと無理やり向けた。
「俺の名前は一ノ瀬 歩だ。白菊、俺に力を貸してくれるか?」
「うん、さっきの子は怖いですけど……、お姉ちゃんならいいのですよ!」
白菊は一瞬迷ったものの、はにかむように笑い歩の手を取る。
その瞬間、彼の心はなにか温かいもので満たされた。
これが霊装と共鳴するという感覚かと、歩は本能でそのことを理解した。
「お兄ちゃん退いて! そいつとOHANASHIしないと!」
「ひゃあ!?」
二人が共鳴したことを察知したアヤカがこの泥棒猫と咆哮を上げる。
いつの間にか立ち上がり、鬼の形相を浮かべる彼女の背後には多数の兵装が浮遊していた。
「おい待てやめろ!」
歩が白菊の傍から離れれば、遠慮なくその鉄量を全力で投射することは間違いない。
なにせアヤカの目には光がなく、その心は燃え盛る炎で満たされているのだから。
「何をするつもりだ!?」
「何って決まってるでしょ? 女狐退治よ!」
アヤカの叫びに恐れをなした白菊が歩へとしがみつくが、それは炎へ油を注ぐ結果となる。
浮かんでいた兵装が更に増え、白菊と歩の全周を覆い尽くしたのだ。
「このヒト頭おかしいですううううう!」
「ふぁっきん!!」
あまりの恐怖に絶叫しながら歩の胸元へと潜り込む白菊に、アヤカがペッと唾を地面へ吐き捨てた。
とても他人に見せられないその姿を見て、歩はめまいを覚える。
「何でも言うこと聞きます! だからお願いです、酷いことしないで!!」
「はっ、何でも言うこと聞くって? 信じられないわ!」
「本当です! 信じてください!」
歩の胸元におでこをこすりつけながらイヤイヤと叫ぶ白菊に、アヤカは不愉快ここに極まれりと視線を送る。
「へぇ? それじゃあ――貴女、奴隷になりなさいよ」
しかしドン引きしている歩を見るに、これ以上やらかしては歩に愛想をつかされてしまうことはいかにアヤカでも理解するところ。
かといって何の制裁もなしに開放してやるのは癪に障る。
ならばまず受け入れられない要求を行い、断られてから本命を提示しようと思っていたのだが。
「奴隷にでもなんでもなります! だから助けて!!」
「はぁ? 本気?」
しかし恐慌状態に陥っていた白菊は二つ返事で諾と返してしまった。
予想外、とはいえ一度口に出した言葉は戻らない。
「宣誓! 私、白菊は一ノ瀬 歩の奴隷になります!」
「ぐっ……、仕方ないわね……」
アヤカから条件を提示し、白菊がそれを飲み宣誓を行った。
そうである以上、アヤカはこれ以上の手出しができない。
口惜しいが、それがこの世界のルールなのだ。
「アヤカ……」
「え? なぁに? お兄チャンバロッシュ!?」
だが、それはそれ。
我に返った歩は、アヤカへとキツイお仕置きを行うのだった。
「これはこれでいいわね……」
「何を言ってるんだ……」




