第七話 授業その3
「さて、じゃあ朝の続きから行くぞー」
「ああ、頼む」
お昼も終わり、帰って来た俺たちはそのまま授業に移る。何か思うところがあったのか、食事前と比べてヘリシアも随分やる気に見える。
「俺の翼が偽物、ってことまでは話したよな」
「ああ、だがそれは……」
「まぁまぁ、ややこしくなるからその辺はまた今度な。今はとりあえず本物じゃないってことだけ分かっておいてくれ」
「……それなら、まぁ」
「よし」
頷いて後ろを向く。ちょうどヘリシアに背中を向ける形だ。
そのまま壁に吊るした板に、人形を書き込む。
「ここに人がいたとする。もし、この人の足元に何もなかったらどうなる?」
「……何もない、のならば落ちるんじゃないか? 普通に考えて」
「そうだな、落ちる。この世界にあるものなら何だって。まるで、地面に吸い寄せられているようにな」
言って、人形の足元に下向きの矢印を追加する。ついでに背には、簡単な翼を追加で書き込んで。
「……じゃあ翼が生えてて飛べるやつなら?」
「飛べる、なら飛ぶんじゃないか……?」
「だな。いつも飛ぶわけじゃないけど、まぁ飛ぶよな」
言って、下向きの矢印を上からバツで消す。
「飛べるやつの基本はまずここから始まる。ちょうど矢印が消えた状態、つまりは浮いた状態だな」
続いて左向きに矢印を追加する。
「で、そのまま行きたい方向に行こうとする。これが飛べるやつが飛ぶ時の基本だ」
「……ふむ」
ごりごりと、ヘリシアも手元の板に人形と矢印を書き込んでいく。その顔が上がるのを待ってから。
「で、次に俺の義翼の場合だ」
さっきの人形の隣にもう一つ人形を追加。こちらにはわざと不恰好な翼を背中に背負わせて、下向きの矢印を書き込んだ。
「俺の義翼があろうとなかろうと、下に地面がないと落ちる。これはまぁ当然だよな、ここまではいいか?」
「ああ」
頷くヘリシアを確認してから、板に向かい合う。二人目の人形の、今度は右向きに矢印を書き込む。
ちょうど二人の人形が左右に分かれる形になった。
「義翼には、本物の翼のように何かを浮かせられる力はない。そのまままっすぐ進もうとするとどうなると思う?」
「どう……とは? まっすぐ進むんじゃないのか? いや、まて……前に進みながら落ちる?」
「お、よく分かったな。そのとおり」
正直驚く。まさかこんなに早く理解するとは。
人形に右下向きの矢印を書き込んでから。
「下に落ちながら前に進む、ことになるわけだ」
「む。それでは飛んでいるとは……」
「言えないよな? じゃあ問題だ。……どうすればいいと思う?」
「どうする、か……」
さっきと違い、今度は少し考え込むヘリシア。
(少し難しかったか……?)
だけどヒントはもう与えてある。それに気がつけるかどうかは……。
「浮こうとしながら……前に進めばいいのか……? いやだが……」
呟きから聞こえてくるのはほとんど正解。だけど本人はそれに気がつかない。
「降参だ。教えてくれ」
「いいぜ。つっても今ほとんど正解だんたんだけどな」
「正解……? 浮こうとしながら前に進むというやつか? でもそんなの」
できっこないだろう、と口にしそうなタイミングで静止をかける。
なるほど、ここか。
そう思いながら板の人形に、前斜め上むきの矢印を書き込む。
「簡単さ。こういうときは斜め上に向かって進もうとすればいい」
「斜め上……って、それじゃあ行きたい方向に行けないじゃないか」
俺が書き込んだ矢印を見て、それから自分の斜め上を見上げてから、ヘリシアが叫ぶ。興奮したのか、机に手を置いてまで立ち上がっている。
その行動に少し驚いてから、そういえば質問は前に進むにはどうすればいいか、だったなと思い出す。
「まぁまぁ、落ち着けって。ちゃんと説明するから」
「…………」
手でどーどーと押さえて座らせる。ヘリシアもすぐに冷静になって座り直してくれた。
「さて、そうだな……。例えばの話だ。ボールや石を投げるときに前に向かって投げるとすぐ落ちるだろ?」
「そう……だな。ボールをどこまで投げられるかの遊びや競争は、たまに見たことがある」
「それそれ。で、実際に遠くに投げようとするとどう投げる? 前か? それとも上か?」
「遠くに投げる…………あ」
「そ。それと同じことがここにも言えるんだ」
斜め上に向かった矢印の根元から、それぞれ右と上向きの矢印を伸ばす。
「斜め上に投げたボールは斜め上に向かうわけでもなく、いつかは地面に落ちる。だが、その間に随分と前に進む。だから斜め前の矢印には、前に向かうための矢印も含まれていると言える」
振り向くと、こくこくと頷いているヘリシア。
その顔を確認してから。
「で、斜め前に投げた場合に上に向かっても飛ぶことから、上むきの矢印も含んでいる。この上向きの矢印が、下向きの矢印をちょうど打ち消して……これでやっと飛べる、とそういうわけだ。……ちなみにこの上向き矢印と右向き矢印、二つを合体させて斜め矢印に変えることを『力の合成』と呼んだりもするんだが、聞いたことあるか?」
ふるふる、と今度は首を横に。
「じゃあ、今回で覚えてくれ。他にもいろいろ条件はあるけれど、この考え方が義翼で飛ぶ時の基本なんだ」
「なるほど……」
言って、難しそうに顔をしかめながらも、板の絵を写し取っていく。
流石に初めて聞いたことはすぐには理解できなさそうだし、今日はここまでかな。
「ん、ちょっといいか?」
ふと、ヘリシアが手を上げる。
その光景にいつかの光景を見ながら。
「どした?」
「『力の合成』、とは何の力なんだ?」
「……何の、って?」
「いやほら、私たちには竜人の力とでもいうべきものがあって、お前には人の力があるだろ? 他にも種族ごとにいろんな力があるはずだ。けど、この『力』は誰が持っているものなんだ?」
「あー……っとそれは……」
思わず口籠る。いやこれは何と答えようか。
「一言で言えば、『大地の力』……かなぁ」
「は!?」
今日一日で一番大きなヘリシアの声が響き渡った。