第六話 その理由
ずる……ずるる……。
注文した麺料理を二人してすする。特に食べながら喋ることもないので、二人して言葉を交わすこともなく、店の中はその音だけが響いていた。
この東方の料理は、私から見れば随分質素にも見える。だけど、スープを飲むとお腹の奥からじんわりと登ってくる暖かさが、なんとも言えない。
なるほど、確かにこれはうまい。こちらの方まで広がってくるのも頷ける。
「……で、ーーーだったんだよ」
「へー、俺の方は……」
しばらくして、私の器の麺がほとんどなくなった頃。店の扉が開いた。
なにやら話しながら入ってくる次の客は三人。私たちとはちょうど反対側、フォルドの後ろ、私から見て正面の席へと腰を下ろした。
それだけならば特に気にすることもない。ただ次の客がやってきただけだ。けれど、その時は違った。
私がちょうど麺をすするのをやめていたからだろう。その彼らの話がはっきりと聞こえてきた。
「お前のとこにも来たんだろ?あの兵士達」
「ああ、あの竜皇国の連中か。来たぜ」
竜皇国、兵士……。
間違いない、私を追いかけて来た騎士達だ。知らずに体を小さくしてしまう。
なにせ彼らは『私』が追いかけられている事知っているからだ。万が一を少しでも減らすために、無駄だと思いつつも体は勝手に小さくなる。
そんな私の耳に、彼らの声が続いて入って来た。
「なんでも、女の子を探してるんだってな」
「はぁ、あんな騎士みたいな鎧着た竜人達が女の子をねぇ……」
「どうしたよ、変な顔して」
「いやさ、なんであんな人数で一人の女の子探してるのかな、ってな」
「なんで、ってそりゃ……」
そこまで聞こえたところで不意に言葉が途切れる。どうやら店の者が注文を取りに来たようだ。
「ご注文なににします?」
「あー、じゃあこの定食を三つで」
「かしこまりましたー」
注文も終わり、店の者が下がったところでさっきの会話が再開された。
「で、なんだってんだよ」
「なにが?」
「なにって、理由だよ理由」
「と言ってもな……。騎士みたいなやつが探すって言ったら犯罪者とかじゃねーの? それか高貴なお方か」
「竜皇国の高貴な方、かぁ……。そういやあの国ってあの姫がいるんだよな。」
「なんだ? あの姫って」
「ばっかおまえ、あれだよ。飛べない竜姫」
ぴくり、と今度は体が小さく跳ねる。間違いない、私のことだ。体はさらに縮もうとする。
「ああ、あの噂な……本当なのかね?」
「もしかして、今竜人が探してるのも……」
「飛べない竜姫ってか? それこそなんで探す羽目になってんだよ、逃げ出したとかか?」
「逃げるって何から?」
「知らねーよ。豪華な暮らしが嫌になったんじゃねーの?」
「かー、いっぺん言ってみてーなそんなセリフ!」
げらげらと笑い出す彼らにそっと息を吐く。どうやら話はそのまま流れてくれそうな感じだ。
「っと、そういやエアリアルシューター、お前らどこに賭けた?」
「賭けるも何も……なぁ?」
「え、どうしたんだよ?」
「お前知らないのか? つい昨日駆け込みで申し込みに来たやつがいたらしいぜ」
「え、まじか」
「だから俺らはその選手の情報が出てから賭けることにしたんだわ」
「だな。万が一もあるし」
「うげぇ、俺だけ除け者かよ」
「まぁそう言うなって。で、誰に賭けたんだよ」
「……『鳥人のピルスク』選手」
その後も彼らの話は盛り上がる。精人は素早いが息切れが早い、竜人は安定して強い、など。彼らの中の種族について話が盛り上がっていく。
ふと。
「あれ、フォルドの旦那じゃん」
一人がこちらに気がつく。その声にフォルフォが振り向き。
「よぉ、偶然だな」
「それはこっちのセリフっすよ。……と、あんたにしちゃ珍しい、連れがいたのか。」
お互いに手を振り、会釈。その一人がこちらにやってくる。
顔を見られのはまずいと、とっさに顔を伏せてしまったので、もう目の前の器しか見えなくなった。
「ああ、昔の客の知り合いらしくてな。今依頼を受けてるとこだ」
「ほーん。……にしても美人さんっすね。あ、いや顔は見えないっすけど、なんと言うか雰囲気が。」
「まぁな。だが顔を覗き込もうとするのはやめておいてくれ」
そっと、視線を横に移してみると、確かに人の足がある。本当に覗きこむ気だったらしい。
「えー、いいじゃないっすか。ちょっとぐらい」
そのままにじり寄ってくる気配。覗き込まれると分かりはしなくても、記憶に残ってしまう。
それだけは避けておきたい。そう思い、さらには焦ってしまった結果。
「た……、旅はする前が一番楽しくて。女は覗きこむ前が一番美しい。私には、あなたのその夢を壊す勇気はありません」
本当はもっといい言葉だった気がする。
けれど、とっさに思い出した言葉。それが思わず口に出る。
「……お、おう」
幸い、彼の足は止まった。それどころか一歩下がったような気さえする。
「……旦那旦那、これまたすごい方っすね」
「まぁな。わかったら大人しく引いてくれ」
「ああ、流石にそう言われちゃあ、な。……あ、じゃあ旦那。旦那のとこにも来ました? 例の竜人の兵士さま」
「ああ、あの連中か。来たぞ。なんでも女の子を探してるらしいな?」
「あーやっぱ旦那のとこにも来てましたか。ところで旦那、あの兵士達の目的ってなんなのか分かります?」
「さぁな、さっぱりだ。……でもあの国の兵士が探してるってことは竜人の姫とかなんじゃねーの? 案外、エアリアルシューターで優勝するために逃げて来たのかもな」
「姫……って飛べない竜姫ですか? ないない、ないですよ。優勝どころか出場すらできませんって」
ぴくりと、また体が反応する。やっぱり、そうなのか。
誰も私が飛べるなどとは思っていない。事実、飛べたこともない。
じゃあ、フォルドはどうして。
どうして、力を貸してくれるのだろうか。
心がモヤモヤしてくる。意味のわからない感情がぐるぐると渦巻く。
「じゃあ、また。こんど酒でも飲みましょう」
「ああ、またな」
そう言って彼が側を離れていく。
私はようやく少し顔を上げた。
「なぁ、お前はどうして私に協力してくれるんだ?」
「なんで……って、さっきの話か?」
コクリ、と頭を縦にふる。
どうして、私の願いを叶えてくれようとしてくれるのか。
どうして、私のことを笑ったりしなかったのか。
それが、今知りたい。
不安なこの気持ちをどうにかしてほしい。
「なんでも何も、お前は望んだんだ、飛びたいと。いろんなやつに無理だと言われても、それでも飛びたいと一歩踏み出して。そして実際に俺を見つけた。だから俺はその期待に応えるさ。絶対に」
「……?……!!」
聞いて、言葉を飲み込んで、ようやく理解する。
不安が溶ける。とかした熱はそのまま、体の先まで温めていく。
「だからほら、そろそろ食っちまえよ」
「……ああ」
頷いて、改めて目の前の器に向き合う。
やっぱり、国を飛び出してよかった。彼を見つけられてよかった。
残りの麺を口にして、さらに温まった体は、その日一日冷めることはなかった。