第四話 授業その1
ふと、目を覚ます。視界に入るのは、天井。
もう随分前に見た城の天井でも、野宿で見上げた空や洞窟の壁でもない、天井。
(私は本当に……)
上体を起こしてあたりを見渡す。
そこかしこに道具が散らばった、あまり綺麗とは言えない部屋。
それでも、一つ一つの道具はきちんと手入れがされていて、鈍く光っている。
(私は本当にたどり着いたんだ……)
寝る前に不安に思ったことを、噛みしめるように繰り返す。
嘘だったらどうしよう、夢だったらどうしよう。
目が覚めたら、いつもの洞窟や、いっそお城から出たことすら夢だったら。
いつしかそんな不安でいっぱいになっていた。
けれど。
(すー……はー……)
息を吸い込んで、吐き出す。
そうすることでようやく目も覚め、頭もはっきりとしてくる。
「私は見つけたんだ、出会ったんだ。……たどり着けたんだ!」
ぐっと、小さく拳を握る。
あの義翼職人の元に、たどり着けたんだ。
そのことが夢でなくて本当に良かった。
ーーーーーー
「よう、おはようさん」
「うわひゃぁ!!」
店の二階に上がり、一つしかない寝室の扉を押しひらく。
変な声が上がったので見ると、ヘリシアがベッドの上で奇妙なポーズをとっていた。
「なんだそれ、新しい柔軟か何かか?」
「な、そんなわけないだろ! というかノックぐらいしてくれ!!」
「ん? ああ、悪り」
ぽりぽり、と頭を掻きながら言葉を返す。
朝。朝食の用意もできたからこうして声をかけにきたわけだが……。
「なるほど、白か」
「ぅえ!?」
ん?
唐突にヘリシアが固まる。顔もみるみるうちに赤くなっていく。
「ななななな、なに、にゃにを……」
「おっと、そうだった。朝飯、できてるから早く来いよ」
何をしにきたのか、とヘリシアが言うので、思い出した。
伝えることを伝えると、手を振って扉の前を後にする。
…………。
しまった、つい言葉に出しちまったか。
(気をつけないとな)
そう思うぐらいには、俺も浮かれているんだろうか。
きっと、そうなんだろうな。
ーーーーーー
「……いたい」
「当然だ、痛くしたんだからな」
一階に降り、食事の支度をしながらヘリシアを待っていると、やってきたヘリシア本人に殴り飛ばされてしまった。
その証拠に、右の頬は今だに赤々と腫れている。
「まったく……」
ぶつぶつと言いながらも、食事を口に運ぶヘリシア。
メニューはサラダと焼きベーコン、それに今朝調達したパンがいくつか。
簡単なものだが、誰かが食べてくれると言うのは、やっぱり……
「……い、おい! 聞いているのか!?」
「ん? わり、何?」
「ぼんやりしすぎだ……それとも、怒っているのか? 今朝のは、私もその……悪かったな。だが私だって驚いたんだからな、おあいこだ」
「はは……」
そう言って許してくれようとするヘリシア。まったく、優しいことこの上ない。
「いや、それについては何も思っちゃいないさ。それより、どうしたんだ? 何か話してる途中だっただろ?」
「そうか? ……それで、今日はどうするんだ? 昨日は結局自己紹介だけだっただろ?」
「ああ、そのことか。今日は授業だ」
ーーーーーー
「さて。じゃ、はじめるぞー」
朝食を片付け、机を綺麗にしてから手を叩く。
それに対してヘリシアは
「むぅ……」
「どした? まだ食い足りないか?」
「いや、それは大丈夫なんだが……」
気難しい顔で座り込んだまま。
口からはまた唸り声まで漏れている。
「授業、と言うことは勉強だろ? それは今までも城でやってきた。」
「でも『飛ぶため』の授業は初めてだろ?」
「それはまぁ、そうだが……」
気難しい顔がさらに沈む。
この質問は流石に意地悪過ぎたか。
そもそも、本来ならば飛ぶために授業は必要ない。
特別才能があるやつじゃなくても、飛べる能力さえあればそれこそ息を吸うように飛べる。
だからこそ、そこに知識の介入する余地はなかった。
「ま、今日は確認の意味もあるし……言ってることが全部わかったら明日以降はなしにするさ」
「まぁ、それなら……」
まだ納得はいっていないようだが、少なくとも前向きになったのか、用意した木板と石を手に取るヘリシア。
使ったことあるのかと不安もあったが、迷いなく手に取ったし大丈夫だろ。
ーーーーーー
「まずは目標の確認だ。お前の飛びたいって言うのは、あのエアリアルシューター、ってことであってるか?」
フォルドが壁に貼られたポスターを親指で指差しながら尋ねてくる。
その質問に、私は頷いた。
「ああ。そこでいい結果を出すのが私の……目標だ」
最初の、とは小さく言う。
もちろんエアリアルシューターに出て飛ぶことは目標の一つだし、間違ってはいないだろう。
だが、もちろんそれだけで終わるつもりはなかった。
「…………」
「? どうした?」
その私の答えにフォルドの返答は沈黙だった。
沈黙のまま、こちらをじっと眺めてくる。
その視線に、不思議と心の中を覗かれる気すらしたが……まさか、な。
「いや、なんでもない。しかしやっぱりあのエアリアルシューターか……よし、わかった! じゃあ本題だ。お前は飛ぶことについてどう考えている?」
「どうも何も……」
答えようとして、自分の中に答えがないことに気がつく。
そう言えば、『飛ぶ』とはどういうことなんだろうか。
今までは特に考えもしなかった。
だって。
(他の誰も、考えていなかったから)
飛べる者はそれこそ、息を吸うように飛ぶ。
例えば私たちのような竜人なら、背中にある羽を広げて、それから。
「行きたい方向を考えるだけ……」
「だろうな。でもそれじゃ50点だ」
フォルドが、指を広げて言う。
50点。
と言うことは他に何がある?
「それが全てなら、俺たちは飛べない。なにせ羽がないからな」
「でも……それなら」
「ああ、俺の羽、義翼は作り物だ。だからこそ、本物のそれとは違う考え方が必要になる」
違う考え方。
そう言われるまでも思いつかなかった。
いや、やはりこれも考えもしなかったのだろう。
みんなと同じようにできないのは、私が悪いからで練習が足りないから。
そう思い続けていた。けれど。
「そうか、他にも飛ぶ方法があるんだな……」
「まぁ、それを探し出すのも俺の仕事ってことだ」
なるほど、確かにこれは授業が必要だ。
私の全く知らないことがまだまだあって。
そしてその中にはきっと、私が飛ぶために必要なものが、私が飛ぶための方法がある。
「よし、もっともっと教えてくれ!」
ぺちぺちと両頬を叩いて言うと、かつてないやる気に満ちているのを感じる。
今ならどんなことでもやりきってみせる、そんな心境だった。