五章01プロローグ
時計の針を、戻すことはできない。
ナタが奪われた瞬間に戻ることはできない。
この、狂おしいまでの焦がれ、苦しい気持ちを消し去るために、ナタとの出会いを無かったことにすることもできない。
走り続ける列車の中で、ククリは、連れ去られたナタのことを思う。思い続ける。
ナタへの思いを、ククリはうまく言えない。だが、少なくとも彼女には隣にいて欲しい。また、他愛のないことを言い合いながら、また二人でのんびりと過ごしたい。……それが、ククリの偽らざる思いだった。
「ククリ……大丈夫か?」
隣にいるカトラが、心配そうに尋ねる。短い付き合いだが、カトラが誰かを心配する所をはじめて見た。
「大丈夫。俺は冷静ッスよ。……そういうカトラはどうなんスか? 大剣、置いてきたッスけど」
ククリが聞くと、カトラが即座に首を振った。
「…………もういい。たかが形見だ。そんなもののために他人を危険にさらしたなどと父に知られれば、勘当ものだ」
そう言って、カトラは深々と頭を下げた。
「すまない。小生のせいで……」
「別にいいッスよ、顔を上げてください。……どのみち、俺達を追い続ける奴らとは、いつか白黒つけなきゃならなかったンスから」
ククリは笑っていた。
「…………瞳孔開いてないか? 本当に、大丈夫なのか……?」
カトラは不気味な笑みを浮かべるククリを見て、思わず呟いた。
「国内全土に手配書を出しなさい。それと、No.7が次の停車駅なのであろう? なら、そこに兵隊を送りなさい。急いで」
アルカナシアの命令が、宮殿に響き渡る。
「グレンの奴、火を放ったわね。おまけに見逃すなんて……能力はともかく、精神は問題しかないわ」
忠義信があってすこぶる優秀。この国にとって、アルカナシアにとって、極めて貴重なカードだ。
ただだからといって、その傍若無人な振る舞いにも限度というものがある。
「いい加減にせぬと、さすがに庇いきれなくなるぞ……」
アルカナシアは頭を悩ませる。そしてもう一人、頭を悩ませる人物に会いに行った。
「気分はどうだ? ナタスタシア」
問いかけながら、アルカナシアは微笑んだ。
ナタを捕えているのは、何気ないただの一室だ。
だが、ナタはここから出ることができない。
アルカナシアを傷つける事も不可能だ。
アルカナシアの……『皇』の力がそれを阻んでいる。
「最悪。こんな形で帰りたくなんて無かった」
「そうかそうか。ま、そうであろうな」
アルカナシアは頷き、ナタの顔から視線を逸らし、上に向けた。
今のナタは豪奢なドレスを着ていて、身分相応の、高貴な姫君らしい格好だ。
フードやシルクハットで隠していた角はしっかりと見えていて、開いた胸元からは鱗が見える。
それをしげしげと眺めて、アルカナシアは口角を上げた。
「謀殺されたはずの妹がこんな形で戻ってこようとは。謀反を企てこのような『力』を生み出した奴らは殲滅するが、同時に感謝もしよう。よき力だ。墓前で一句くらい詠んでやろう」
愉快そうに笑うアルカナシアに、ナタは呟くように尋ねた。
「私を謀殺しようとしたのは……アルカナシア?」
「今は亡きジョン皇子だ、私じゃあない」
ナタがアルカナシアを睨む。まるで、嘘を糾弾するかのように。
「それはない。……ジョンは、そこまで頭の回転がよくなかった。あんな、何一つ痕跡を残さない、完璧な計画を立てられる人じゃない」
「馬鹿って言いたいの。酷いわね。お兄ちゃんをそんなふうに言うなんて。……ま、馬鹿だけど」
「――――アルカナシア」
もう一度ナタが尋ねると、アルカナシアは肩をすくめた。
「ご明察の通り。――というのは嘘。本当に、やったのはジョンよ。そそのかして計画を練ったのは我だけど」
「やっぱり」
「ま、そんなのはどうでもよかろう? 今日は、懐かしいものを持ってきたぞ」
そう言って アルカナシアはおはじきを取り出した。
所々にヒビが入った、時間の流れを感じさせる古いおはじきで、薄れているが、微かにペンか何かで人の絵が描かれている。お世辞にも上手いとは言えず、子供が描いたものに違いなかった。
「そんなの……じゃない!」
珍しく語尾を荒上げて、ナタがおはじきの入った袋をテーブルから払い落とした。
ガラスがぶつかり合う音が何度も鳴って、幾つかのおはじきが袋から転がり出た。
「アルカナシア……あなたのせいで、私は……私は……」
「皇家を追い出され、実験の材料にされた……か?」
しゃがんでおはじきを拾い上げながら、アルカナシアはナタを見上げた。
「そう。あなたのせいで、私は傷ついた。大切な仲間が、殺されそうになっている。今更、そんな子供の頃の玩具を取り出して、どういうつもり? 何が目的?」
フフフ、とアルカナシアは少し寂しげに笑った。
「ただ単に、そちと昔話でもしようと思っただけのことよ。野心を育て、全てを背負い、血を分けた兄弟姉妹で殺し合うが、皇家に生まれし者の運命。なれど、たまには殺しあうべき姉妹で、昔話に花を咲かせたい時もある」
「……殺しあう者同士と考えながら、朗らかに語り合いたいなんて、どうかしてる。アルカナシア、あなたの考えは矛盾している」
「それが、早々に政争の世界から追い出されたそちと、嫡子ジョン相手に孤独な戦いを続けてきた我との、視点の差じゃな」
おはじきを袋にしまい直し、再びテーブルの上に置く。
そしてナタに抱きつき、頭を撫でた。
「愛しい妹よ。……我は止まらぬ。例え家族を手にかけようと、そちの全てを蹂躙することになろうとも。矛盾も承知。だが、これこそが我が皇道。死ぬまで止まらぬ、我が覇道じゃ」
困惑しながらも、ナタはアルカナシアを睨む。
「なら、やっぱりあなたは私の敵」
ナタを離し、アルカナシアはまた笑った。
「知っておるよ。生まれた時から、そちは我の敵じゃ」
ナタが固有カードを持って生まれた瞬間から、二人の決別は決まっていた。
おはじきを置いて、アルカナシアはナタに背を向ける。そして、そのまま部屋を出ていった。
「お前が……いや、我らが普通の家に生まれていればな。そうであったなら、ただ純粋に愛でてやったものを」
アルカナシアの最後の呟きは、しっかりとナタにも届いた。
「そこだけは同意です。……お姉さま」




