三章15
「――――っ!」
絶叫を上げるククリを、憐れみの混じった冷めた目で見つめて、吸血鬼がロングソードを振るう。
――――その首を切断し、今度こそ、ククリの命を絶つために。
絶叫を上げながらも、僅かに残る理性がそれを止めようと、残された片腕を振り回す。
「引導を渡してやろう――」
首に刃が届く刹那。ククリはたまたま足がもつれ、背後に転んだ。
吸血鬼の意表を突き、偶然、ククリは死を逃れる。
死を覚悟しつつあったククリは、その僅かな、か細いチャンスに無我夢中でしがみつく。
残った左腕で、吸血鬼の顔面めがけて雷鳴弾を放つ。
直撃。
ダメージは無いようだったが、吸血鬼は僅かに顔をしかめ、追撃に耐えるために手で顔を覆った。
その隙に、ククリは千切れた右腕を掴みながら一目散に逃げ出した。
「…………」
ククリの背を見つめ、吸血鬼はロングソードを構え直したが……結局、追わなかった。
その代わり、床に飛び散った血を指でぬぐい、ぺろりと舐める。そして、ニヤっと笑った。
「……男にしては悪くないな。強い生命力を感じる」
もう少し粘らせて、味を仕上げよう。吸血鬼はそう考えた。
腕が。腕が。腕が。腕が。腕が。腕が。
腕が――――無い。
オカシイ。ドウイウコトダ? ウデ、ウデ、ウデ、ウデガ……。
腕が失われた喪失感。膨大な流血。身に余る激痛。
脳髄を直接舐められるかのような衝撃の連続が、思考を、人格を、全てを侵食し、破壊する。
……頭がまるで働かない。
「俺は……ここで死ぬのか」
ぽつりと、そんな弱気な言葉が口から漏れた。目から涙が零れる。恐怖と痛み、悔しさ、生への渇望、憎悪。
既に千切れた腕を握り締めながら、ククリは自分でも分からぬ何かと戦い、何かに縋っていた。
「ああ、キミは間もなく死ぬよ」
少し遠くから、吸血鬼の言葉が聞こえてきた。
カツ、カツ、と足音が響く。その音に違和感を感じ――ククリは、今更ながら自分が廊下を抜け、どこかの部屋に逃げ込んでいたことを知った。
天蓋付きのベットがある部屋で、元寝室らしい。
そういえば、うっすらとだが階段を登った記憶がある。
開けることはできないが窓の外から見える風景からして、二階か、三階か。
ベットの他にはクローゼットが一つだけ。
壁の一部が崩れるほど老朽化が進んでおり、百年の歴史を感じさせた。
こんな部屋で嬲り殺されるようにして死ぬのか。そう思うと、ククリはよりいっそう惨めな気持ちになった。
「寒い……」
血を失いすぎたのだろうか。何だか体が寒かった。
「見事な悪あがきっぷりです。そこは褒めてあげますが……スペックが違いすぎましたね」
クスクス、という笑い声が聞こえる。まだ、こちらにはやって来ない。それなりに離れているのか、スピーカーのような魔術で喋っているのらしい。
「あなたはゆっくりと殺してあげます。その生命力豊かな血が欲しいのでね。……その後、いや、あなたを殺すその前にもう一人二人戴きましょう。あなたの隣にいた、恋人の少女とか」
恋人? 俺に恋人なんていない―――ナタのことか?
……そうか。俺がここで死ぬと、あいつも死ぬのか。
「…………なんダ、そりゃア」
寝覚めが悪くなる。おちおち死んでられないじゃないか。
このままじゃ、あの世ですっきり起き上がれない。
ククリは激痛で顔をしかめながらも、身体に活を入れ、よろよろと立ち上がった。
そして周囲を確認し、……「女神の微笑み」を使った。
これまでククリを助け、導いてきたカード。
使えないなどと言われたこともあったが、ククリにとって最後の最後に頼る神頼みカードだ。
策は練った。後は最後の一勝負といくッスかね……!
「ほう」
床に零れた血を辿り、吸血鬼はククリが逃げ込んだ部屋の扉を開けた。
中はもぬけの殻だ。
床にはまだら模様に血が飛び散っている上に、意図的に、彼は自分がどこに逃げ込んだのか分からないようにしていた。
……とはいえ、さすがに完璧、とは言いがたいけどね。
血が溜まっている場所。また偽装を施した手口。それから察すれば、彼がこの部屋のどこに長時間いたのか、どうしてもその痕跡が残る。
壁際。……おそらく長い間、ここで休んでいたんだろう。血が最もこびり付いている。
ベット付近。……血痕は消しているつもりらしいが、確かに、この周囲を歩き回った跡がある。
クローゼット周辺。……わざとらしく、扉が仄かに開いている。おそらくブラフだろう。何らかのトラップが仕掛けられている可能性が高い。
「まだ仕掛けてくるだけのガッツがあるとはね」
たいした生命力だ。賞賛に値する。だが……。
「……流石に、少々戦術が粗くなっていますね」
十中八九、クローゼットは罠。となれば、隠れているのはベットの下しかない。
加えて、この臭い。
この部屋は余りに血が多く鼻が麻痺してしまったが、それでもこれだけ近いと分かる。
――ベットの下から、強烈な血の臭いがした。
ニヤリと哂うと、吸血鬼はベットの下を覗き込み――――息を呑んだ。
そこにあったのは、ナイフで滅多刺しにされて、おびただしい血を垂れ流す千切れた腕の残骸だった。
――――その瞬間、吸血鬼の背後から衝撃が奔った。
血で染まった壁。その老朽化した部分が剥がれ、ククリが現れる。
ククリはベットとクローゼットに細工を施した後、老朽化した壁の一部をナイフでくりぬいて隣の部屋に移動し、壁を元に戻して待機していた。
壁の隙間から状況を確認していたククリは、好機と見てカードを起動する。
ククリの最後の切り札。
「爆裂砲B」
一撃一撃が重く取り回しが効かないが、火力は絶大。
「ぐぁぁぁぁぁ!」
初めて、吸血鬼が悲鳴を上げる。
完全に油断しきった所に初撃を放てたのが幸運だった。
爆裂砲は連射が効かず、ワンテンポ遅れて二発目を放ったが、ダメージが回復していない吸血鬼にそれも直撃した。
床をゴロゴロと転がり、ククリのように、右腕が千切れて飛んでいった。
吸血鬼は片手で顔を庇いながら立ち上がり、こちらを睨んだ。
だがそれに構わず、ククリは三発目を放った。
それを避けることすらできず、吸血鬼は腹に大穴を開けて廊下を転がった。
四発目。
両足が千切れ、廊下の壁をぶち抜き、吸血鬼はエントランスの方へと落ちていった。
「勝った……か?」
思わず脱力しそうになったが、吸血鬼が落ちていったのはエントランス。
呪いを受けたナタ達が眠っている場所だ。
死にかけの身体を引きずり、ククリは廊下にできた穴からエントランスへと飛び降りた。
鈍い音とともに着地し、辺りを見渡し吸血鬼を探す。
最早、痛覚は殆ど感じない。
血が減りすぎたのか、視界が白み、遠くのものが薄っすらとしか見えなくなった。
吸血鬼は、まだ死んではいなかった。
身体のこと如くを吹き飛ばされて。それでもなお残る左腕で這いずり寄ると、レンベルガの首筋に噛み付いていた。
レンベルガの顔が見る見ると青白く染まり、血を失っていく。
やがて彼がぺしゃんこになった頃、ようやくククリも吸血鬼の前まで辿り着いた。……もはや、一歩進むだけでもかなりの労力が必要だった。血がもう無いのか、飛び降りた時に骨を折ったのか、それはククリには分からないし、もう、どうでもいいことだ。
血を浴びるほど吸いはしたが、吸血鬼もまた死んだも同然だった。ククリ同様、彼もまた助からない。いくら吸血鬼でもこれほどの重傷は、専門の設備やカードがないと助からないだろう。
吸血鬼はレンベルガ達のすぐ近くにいた。これでは、ククリは攻撃できない。
それを見越してニヤリと心地よさそうに哂い、ククリに背を向け、唯一残された左腕を扉に向けた。
ガコン、と音がして、扉が開く。
「――――禁を解く。亡者の大群をここに送り込んでやる。俺が死ぬなら、お前らも仲間もろとも道連れだっ!」
「…………これは、」
いつから集めていたのか。百を優に越える死霊の軍勢に、ククリは僅かに顔をしかめる。そして、爆裂砲を構えた。
仲間を何人か巻き込むだろうが、一か八か撃ち続ける。今できる中ではそれが最善だとククリは思った。
――――だが全ては、双方にとって思いもよらぬ所へと流れ着いた。
無数の雷が、館もろともに周囲を焦土と化し焼き尽くす。
自然にはあり得ない天変地異。明らかに人為的に起こされたもの。
それにより、死霊の軍勢は塵となって消え失せる。
ククリは、こんな風景を見たことが無かった。だが、知識はある。カードショップ「キリーレ」に入荷していた、最大で百の落雷を召喚する、最強クラスのカード『百雷』。それを購入した者がいるという情報だ。
果たして。その所有者は焦土と化した地獄をゆうゆうと歩いて、屋敷に入ってきた。
褐色の肌に、真っ白な髪がきれいな少女。巨大な魔物の骨を加工した大剣を背に担ぐ剣士――カトラだ。
「致命傷を負いながら、一人でそれでもなお戦い続け、ここまでやるとは。……見事也」
少女剣士が、駆ける。
吸血鬼は、不敵に哂った。
「ここまでか……受け入れよう。俺は、復讐を止める」
吸血鬼の首が飛ぶ。それを見届けてから、ククリはその場に崩れ落ちた。
これでいい。よかった……。
もう、死んでいいッスよね……?
「……案ずるな。死なせはせぬ」
意識を失う瞬間、そんな言葉が聞こえた気がした。




