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もし本物のレポフスキー家当主であれば女に変身するなど造作もあるまい。
異変を察知したためか、あるいは当初からの予定だったか、侍女と偽ってこちらの反応を窺っているのではないだろうか? リネットがここに来てもう三十分近くも経つが、未だにフレデリックが来る気配はない。はぐれた、と言っていたがリネットには身を案じる様子もなければ勝手に主人の側を離れてしまったと不始末を不安がる気配もない。ただ静かに出された茶をすすっている。
もちろんただの侍女、という可能性も残っている。ただ、一度気づいてしまった疑いは蜘蛛の巣のように音もなくガイの脳裏に糸を張り、広げていく。
「どうかなさいましたか? 少々顔色が優れないご様子ですが」
リネットが覗き込んでくる。
誰のせいだと、と叫びたくなるのをこらえながらガイは視線をさまよわせる。
「お気遣いなく。ああ、そうそう。死体の件でしたな」
汗をハンカチでぬぐいながらも頭の中でしきりに思案を巡らせる。
「あれは……買ったのですよ」
「買った」
ガイの返事が予想外だったのだろう。はじめて人間らしい感情のこもった声で、オウム返しに繰り返す。ざまあみろ、と心の中で会心の笑みを浮かべながらガイは続ける。
「墓守に金をつかませましてな。新鮮な死体が出たら知らせるようにと。何、この辺りは貧乏な村も多い」
「なるほど」
リネットは何度もうなずいた。
「大変参考になりました。後ほど主人にもお伝えしてよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「失礼いたします」
リネットは立ち上がると、ハリーの死体に近づいた。真正面に立つと一礼してからハリーをためつすがめつ見る。まるで服の品定めでもしているかのようだが、目の前にいるのは上半身裸の死体である。ハリーの方がリネットより頭半分ほど高い。なので顔や頭を見ようとすれば自然とつま先立ちになっているようだ。
「ああ、触らないでください」
とっさに注意を呼びかける。下手に触られて背後の傷を見つけられたら面倒だ。
「かしこまりました」
リネットはこちらを振り返って返事をした。そしてまたハリーの死体に向き直ると唇に手を当て、考え込むような仕草をする。次の瞬間、リネットはつま先立ちになり、艶を失いつつある顔に鼻先を近づけた。ほんの一瞬ではあったが、頬に口づけしたようにも見えた。
あまりに予想外の行動に、ガイは咎め立てるべき言葉も失った。まさかこの女はハリーと同じ性癖の持ち主なのか?
「失礼いたしました」
困惑するガイをよそに、リネットは死体に一礼してから今度は窓の側に立っていた。窓枠に手を掛けて身を乗り出し、雨の降り注ぐ塔の下を覗き込む。
ガイは刹那、無防備な背中を突き飛ばしてしまいたい衝動に駆られる。そうすればハリーのこともこのうさんくさい女のことも、未だ姿を見せぬ『裁定魔術師』のことも全て解決するような気がした。軽く突き飛ばしただけでリネットはバランスを崩して地面に真っ逆さまだ。そう考えるだけで哀れな女の悲鳴まで聞こえるような気がした。
だがしょせんは妄想だ。自身の侍女が不審死を遂げたとあれば、間違いなくレポフスキーが乗り出してくる。金で済むのなら安いものだろう。しかし、たかが『魔力なし』の侍女とはいえ、レポフスキー家の者に手を出したとあれば、それはもうプライドの問題だ。『裁定魔術師』の職務とは関係なしにガイを始末しかねない。
そんなガイの葛藤も知らず、リネットは塔の下をまだ熱心に覗き込んでいる。何が珍しいのだろうか。窓の下には入ってきた扉しかないはずだ。あとはさっき落ちた死体くらいだろう。
まったく、よくやるものだ。渋面を作りながら顔を背ける。
「お待たせいたしました」
リネットは一礼するとまた元のイスに座った。
「何か変わったことでも?」
「色々と」そこでガイに意味ありげな視線を送る。
「一つ確認させていただきたいのですが」
「何かな?」
「なぜ、あなたはハリー・ポルテス様を殺害されたのですか?」
息が詰まった。肺が握りつぶされたかのような息苦しさに咳き込む。
口元をぬぐいながらリネットを見るが、彼女の表情は崩れていなかった。冗談を言っているのではなかった。ガイの期待はもろくも崩れる。
「何の話かな」
それでも一縷の望みをかけてとぼけてみる。口に出した以上、疑っているのは確かだろう。けれど、今までのやりとりで証拠を握られたという確証も感じなかった。かまを掛けているのかも知れない。ここで三文芝居のように「見破られたか」と自ら正体を現すのは間抜けに過ぎる。
「あなたは本物のハリー・ポルテス様ではございません。おそらく本物はそちらの方かと」
リネットが顔を向けた先には紛れもなくハリーの死体があった。
「何故、そう思う?」
「臭いです」
リネットは言った。
「そちらの亡骸、亡くなったばかりというのに既に死臭と薬品の臭いがしました。おそらくは生前から既に体中にこびりついているものでしょう。旦那様によれば、死体保存の薬品は死霊魔術の秘術に属し、魔術師によってわずかずつ異なるものとか。ですが、その方の臭いは隣の女性の亡骸と全く同じでした。その方が死霊魔術師……つまり、この塔の主であるハリー・ポルテス様である証拠です」
頬に口づけしていたかのように見えたのは、臭いを嗅いでいたためか。
「ハリー様の亡骸を自身の傀儡のように飾り、なおかつハリー様の名を騙られている。だとすれば、殺害したのはまず間違いなくあなた様でしょう。ついでに申し上げると、先程嗅がせていただいたあなた様の臭いと、この部屋の臭いは違いました」
塔の入口で助け起こした時にガイはリネットの体臭を感じた。つまりリネットもまたガイの臭いを嗅ぎ取っていたのだ。
この女……ガイの中で怒りが膨らむ。
「どのような理由かは存じませんが、あなた様はわたくしどもの来る前にハリー様を殺害されました。死因はおそらく背中の傷でしょう」
何故それを! 迂闊にも叫びそうになるのを慌てて自身の口をふさぐ。しまった。この態度自体がもはや、自白してしまったも同然ではないか。
リネットは涼しい顔で手のひらに収まる程度の手鏡を取り出す。
ガイの死角から鏡を使って背中を覗いていたのだ。
こざかしいマネを、とハリーは唇をかんだ。
「本来でしたらすぐにでも塔を離れるところでしょう。けれど、その前にわたくしが塔に来たばかりにやむなくハリー様に扮してその場をやり過ごすことにした。そんなところでしょうか」
流れるように自身の推理を披瀝する。
「拝見いたしましたところあなた様も死霊魔術をたしなんでおられるご様子。おそらく、同門の方とお見受けいたしますがいかがでしょうか」
「貴様、何者だ?」
たかが『魔力なし』の侍女にしては鋭すぎる。手鏡を使った調べ方といい、手際が良すぎる。やはり、この女が本物のフレデリックか?
「先程申し上げたとおりです」女は言った「わたしくはレポフスキー家の侍女です。それ以上でも以下でもございません」
得意げになるでもなく、淡々と語るリネットにガイはますます焦りを募らせていく。
どうする? この女がフレデリックに告げ口をすれば、間違いなく身の破滅だ。何とかして口をふさがねばならない。いや、それこそ命を縮める行為だ。考えろ考えろ。
額から汗が噴き出す。頭が熱くなっきた。風が欲しい、とふと窓を見た時ガイの脳裏に天恵のようなひらめきが浮かんだ。
「ハハハハハハハハハ……」
ガイは高笑いを上げる。リネットの表情は変わらない。
「いやよく考えついたものだ。なるほど、褒めてやろう。空想にしては良くできている。だが、肝心なことを忘れてはいないか?」
「肝心なこと、とはなんでしょうか?」
小首をかしげるリネットに向けて両腕を上げ、誇らしげに宣言する。
「私が『魔術師』だということだ」
ガイは我が身の魔力を練り上げ、呪文を唱える。
「『浮遊』」
その途端、ガイの両足は床を離れ、ゆっくりと浮き上がる。ガイだけではない。イスもテーブルも本も、黒革の鞄も、ハリーやほかの死体も、そしてイスに座っているリネットさえも、音もなく浮かび上がる。
壁に据え付けられた本棚やクローゼットを除き、部屋の中の様々なものがまるで水中のように部屋の中を漂う。
「どうだ、見たかね。この力を。私は『魔術師』だ」
空を飛べるのなら窓から逃げればいい。リネットが訪問したからといってわざわざ他人になりすます必要もない。
「つまり君の推理は根本から破綻しているのだよ」
「なるほど」
「つまり認めるのだな。己の間違いを」
ガイはにやりと笑った。この小生意気な娘をどうしてくれよう。いかにレポフスキー家の侍女とはいえ、魔術師に無礼を働いたのだ。正式に抗議しなくてはならない。賠償として、この娘を譲り受けて生きたまま解剖してやろうか。魔物と交合させてやろうか。いや、それよりもこの件を盾に『裁定魔術師』に貸しを作ることもできる。
「滅相もないことでございます」
リネットは首を振った。
「わたくしは確信いたしました。犯人はあなた様以外にいないと」
宙に浮いたままリネットは平然と言った。顔の前を横切るイスを手で押しのけると淡々と続ける。
「ついでに申し上げておきますと、あなたが犯人だと気づいたのは、ハリー様の亡骸を見るより前。この塔の前に来た時です」
「バカな」
ハッタリにも程がある。
「覚えておいでですか? 塔の下に倒れていた亡骸を」
「それがどうした?」
「あれを動かしたのは本物のハリー様です」
「何をバカな。あれはミスだと……」
「いえ、あの亡骸はここから誤って落ちたのではございません。ハリー様の意志で塔の下に『飛び降りる』よう命じたのです」
飛び降りる?
「その証拠に窓枠には足形が着いていました。もし勢い余って落ちたのなら下半身、太股辺りにぶつかって前のめりになって落ちるはずです。ですが、そんな痕跡はございませんでした。あの亡骸は自らの足で窓枠を蹴り、飛び降りたのです」
「だとしたら、どうしたというのだ。そんなものが何の証拠になる」
「問題はハリー様が何故、塔の下へ亡骸を向かわせたのか、です」
リネットが右手を上げ、五本の指を立てる。
「状況からしてハリー様はおそらく背中を刺され、虫の息だったことでしょう。命は風前の灯火。そのような状況でハリー様にできることは何か? わたくしが考えたのは五つ」
ごくりとガイののどが鳴る。
「一つ、一人でも多くの敵を道連れにする。だとしたらまず目の前の敵に向かわせるのが当然の心理でしょう。目の前にいた方が亡骸は操りやすいはずです」
親指を折る。
「二つ、誰か別の人間を助けに向かわせた。しかし、ハリー様は極度の人嫌いと聞き及んでおります。そのような方がいらっしゃったとは考えにくいかと。何より塔の下で第三者がいたような痕跡はございませんでした」
人差し指を折る。
「三つ、何か重要な物を持って逃がした。だとしたら亡骸はもっと塔より離れた場所になくてはございません亡骸は地面に落ちた後、まっすぐ塔に戻って来ていました」
中指を折る。
「四つ、応援を呼ぶ。論外です。喋れない亡骸には不可能です」
薬指を折る。
「残ったのは五つ目、ハリー様を殺害した犯人の『告発』です」
残った小指を見せつけるように立てる。
「亡骸は塔の門の前に倒れかかるようにして力尽きていました。最初は塔に戻ろうとしていたのかと思いましたが、塔の門をひっかくなど開けようとした痕跡はございませんでした。つまり、あの死体は目的を果たしていたのです」
「目的?」
「犯人を逃がさないため、です」
死体は塔の門をふさいでいた。もし、内側から出ようとすれば、死体をずらさないといけない。しかし、リネットが来たときはまだ死体は門の前にあった。
「つまり、死体が出口をふさいでいる時に中から出てきた人物こそが犯人。そうハリー様は訴えたかったのです。そしてわたくしの前に塔の中からあなた様が現れた。つまり、あなた様が犯人、ということです」
「愚かな!」
ガイは喚いた。物言わぬ死体こそが、ハリーの『告発』などと馬鹿げている。
「そんなものはいくらでもこじつけられる! 証拠になどなるものか。第一、今目の前で証明しているだろう。私は、『魔術師』だと!」
部屋の中では今もイスやテーブルや書物や死体や、そしてリネット自身が宙に浮いている。
「ええ、ですから。あなた様こそ犯人なのです」
そこでリネットは冷ややかに微笑む。
「あなた様は高い場所が苦手なのでしょう?」