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「侍女……?」
「はい」リネットと名乗った女は形の良いおとがいを縦に揺らした。
「本日は、主人フレデリック・C・レポフスキーの願いをお聞き届け下さり、大変感謝いたします」
そこでリネットは困ったように眉をひそめる。
「大変恐縮ですが、主人はこちらにお越しではございませんでしょうか?」
「どういうことかな」
「実を申しますと、ここに来る途中、主人とはぐれてしまいまして。先にこちらに来ておりませんでしょうか。場所は承知しておりますので」
要するに主人とはぐれて、とりあえず目的地であるここにやって来たというわけか。間抜けな女だ。
「いや、まだ来られてはいない。どこかで行き違ったのではないかな」
とはいえ、露骨に無礼な態度を取って後で主人に告げ口をされてはたまらない。つとめて丁寧に、しかし威厳を崩さない態度で接する。
「そうですか」
リネットは顔色を変えずにうなずいた。
「でしたら、大変恐縮ではございますが、しばらくこちらで待たせていただけませんでしょうか? 主人もすぐこちらに参ると思いますので」
厚かましい女だ。侍女というからには、どうせ『魔力なし』の平民だろう。能なしは能なしらしく、自分の足で探しに行けばいいのだ。
「いや、それは」
上に来られれば、否が応でもハリーの死体を見られてしまう。
ためらうガイに向かい、リネットはうやうやしく頭を下げる。
「お願いいたします、ハリー・ポルテス様」
空の色が白黒反転する。雷光が閃いたと悟った時には耳をつんざくような轟音が鳴り響いた。かなり近くで落ちたようだ。ぱらぱらと雨が降り始めた。雨は次第に大粒になり、瞬く間に地面を濡らしていく。
稲光が視界を埋め尽くす中、ガイははたと気づいた。
この娘は俺をハリーだと思っている。当然だろう。ハリーは死霊魔術師の死体愛好家。生者を寄せ付けない男だ。その男の住んでいる塔の中から出迎えたのだから。
これはチャンスだ。うまくすれば、『裁定魔術師』の目もごまかせるかも知れない。
「しばし待たれよ」
ガイはのぞき窓を閉めると急いで階段を駆け上がった。部屋に入ると、ハリーのクローゼットを開ける。自身のローブを脱ぎ捨てると、代わりにハリーのローブを着込む。細身のハリーのもののため、少々窮屈ではあるが、着ることはできた。代わりに自身のローブをクローゼットに押し込む。
それからハリーの死体から短剣を抜き取ると、ローブを脱がせる。既に血は止まっていた。血だまりを拭く余裕はない。赤い絨毯を敷き詰める。血の臭いは消せそうにないが、薬品と死臭がごまかしてくれるだろう。いざとなれば、実験台のものと言い張ればいい。
ハリーは呪文を唱えた。
「骸よ、動け」
ガイの『力ある言葉』に応じて、ハリーの死体が動き出す。まだ死後硬直は始まっておらず、なめらかに動かすことができた。
半裸のハリーを女の死体の側に立たせる。
「そこで待機だ。私が命じるまで絶対に動くな、いいな」
全てをやり遂げると、また階段を駆け下りる。
窓の外でまた雷が鳴った。一瞬の稲光が塔の壁に黒い影を生み出す。階段を下りる途中のガイに被さるように、見知らぬ影が伸びていた。窓の外に黒い鴉が留まっている。羽根を震わせ、飛沫をあげている。鴉はガイを一目見るなりけたたましい鳴き声を上げて、雨空へと飛び去っていった。鴉は不吉の象徴、とは『魔力なし』の迷信だが、魔術師のガイですら気味の悪さを感じさせる声だった。
まるでお前のなすことは全て失敗する、とでも告げられたかのような。
バカバカしい。
そんなものは気の迷いだ。かぶりを振ると、再び階段を下りていく。
汗をぬぐいながら扉の前で杖を振り、『解錠』の魔術を唱えた。両開きの扉が一瞬青白く輝くと、ゆっくりと開き出す。さび付いた蝶番が軋みをあげる。
塔に入る扉の上にはひさしがあるとはいえ、強い雨である。
リネットも肩までぐっしょり濡れている。にもかかわらず入ろうとはしない。
「どうした? 早く入られよ」
「こちらの方はよろしいのですか?」
リネットが申し訳なさそうに扉の横を見た。
「こちら?」
反射的にガイは外を覗き込んだ。
上半身だけの男が、扉にもたれかかるようにして息絶えていた。
先程、塔の窓から飛び降りた死体であった。目を凝らせば、這いずった跡が濡れた地面に刻まれている。
扉より数歩離れたところには、下半身が落ちている。その数歩奥には、ちぎれた足が転がっていた。
落下した衝撃で胴体がちぎれ、もろくなっていた上半身と下半身が分かれたのだろう。
何故こんなところに? と考えるヒマはなかった。もの言いたげなリネットの視線に気づいたからだ。
「いや、これは……」
咳払いをしながら急いで言い訳を考える。死霊魔術師の塔の前に無関係の死体が落ちていたなど、まずあり得ない。
「お恥ずかしながら、先程術に失敗いたしましてな」
「失敗、ですか?」
「さよう」ガイはなるべく気恥ずかしそうにしてうなずいた。
「死霊魔術の実験をしていたのですが、どうも術の構成を誤ったらしく、言うことを聞きませんでな。部屋の中を暴れ回ったあげく、窓の下へと落ちてしまった、とまあ、そういうわけですな」
「そうですか」
気の抜けた返事だった。理解できないのか、興味がないのか。いずれにせよ無礼な小娘だ。
「それで、こちらの方はいかがいたしましょうか?」
リネットはまだ死体を気にしているようだ。
「放っておいて結構。雨も降っていることですし、後で片付けておきましょう。ささ、早く中へ」
「ではお言葉に甘えて。失礼いたします」
リネットが入ってきた。塔の石畳を水滴が濡らす。手鏡を見ながら濡れた髪を手ぐしで整えている。
雑巾か何かでも持ってくれば良かった。
リネットは丁寧に一礼してから歩き出した途端、不意に体勢を崩した。倒れ込むリネットの体をガイは反射的に腕を伸ばして抱える。
自然と、胸の中に抱き寄せる格好になった。甘い娘の臭いが鼻腔をくすぐる。忘れていた俗世の執着が一瞬、鎌首をもたげるのを感じた。
あり得ない、とガイは急いでリネットを自身の体から引き剥がした。
「まあ、そのなんだ。その格好ではカゼを引いてもいけない。上がって休まれてはどうかな」
「ご丁寧に痛み入ります」
とりあえず、リネットを最上階にある研究室にあげる。死臭や薬品の臭いはリネットにも襲いかかっているはずだが、顔をしかめる様子もなく淡々と案内されたイスに座った。
落ち着きもなく部屋の中をためつすがめつ見ている。つくづく無礼な女だ。レポフスキー家の教育が知れるというものだ。
それでも茶を出すと流れるような仕草で一礼し、静かにすする。その姿を見ながら今後の対策を考える。今のところこの娘はガイをハリーだと信じ込んでいるようだ。そのうちレポフスキー卿も到着するだろう。卿もハリーの顔は知らないはずだ。うまくやり過ごすことができれば、後日ハリーの死を事故に見せかけ、師匠に報告すればいい。
『裁定魔術師』もヒマではなかろう。師匠が納得しているのなら、わざわざほじくり返すようなマネはするまい。そもそも同門でもない魔術師同士が交流すること自体が珍しいのだ。ここをしのぎきれば、二度と出くわすこともないだろう。
だがそれは全てガイの予測、言い換えれば願望である。もし、『裁定魔術師』の力がガイの想像を上回っていたとしたら破滅は免れない。レポフスキー卿の魔術については未知数な部分が多すぎる。
レボフスキー卿の侍女というこの娘から少しでも情報を引き出してやろう。
本来ならば『魔力なし』などと口も利きたくないのだが、これも生き延びるためだ。
嫌悪感をこらえながらリネットの正面に座り、愛想笑いを浮かべる。
「そこもとはリネット、といったかな」
「はい」
「レポフスキー卿というのはどういうお方なのかな」
「品位・風格・魔術の技量、どれをとってもレポフスキー家当主にふさわしいお方です」
無難な答えが返ってきた。まあ予想通りだ。さすがに初対面の相手に愚痴をこぼすような、底の浅い娘ではないようだ。
「レポフスキー家では才能によって次期当主を決めるという噂だが」
「はい」リネットは誇らしげに首肯する。
「フレデリック様は三歳の時、先代のマロイ様に養子として迎えられました。その際にも実子の方々にたいそう反対されたと聞き及んでおります。当主に決定した際も反対する親族一同の方々の抵抗されました。愚かにもフレデリック様のお命を縮めようとなさったのです」
「それで?」
「どうもいたしません」リネットはあっさりと言った。
「皆様を丁重に冥界へと見送られました」
ガイは身震いがした。要するに皆殺しにしたのだ。魔術師でも五指に入る名門・レポフスキー家の一族を。それをあっさり話すということはこの娘に、いや、レポフスキー家にとっては醜聞ですらないのだろう。
「わたくしは魔術には詳しくありませんが、マロイ様によればフレデリック様の魔術の才は歴代当主でも五指、いえ三指に入るほどだと」
それほどか。あわよくば名前だけの無能であってくれれば、と期待したのだが、やはり甘い考えだったようだ。
「一体どんな魔術を使われるのかな」
「一通りは」リネットは指折り数え出す。
「白魔術・黒魔術・幻影魔術・呪術・獣魔術・召喚術・変身魔術・紋章魔術・錬金術……わたくしが申し上げられるのはこれくらいですが、レポフスキー家に伝わる魔術の精髄を全て身につけておられます」
「死霊魔術もか?」
「はい」
ガイは質問したことを半ば後悔していた。間違いなく化け物だ。敵に回せば命はない。
咳払いで内心の動揺をごまかすと、ゆっくりと茶をすする。
「そこもとも魔術に一家言を持っているようだな」
「滅相もないことでございます」リネットは静かに首を振る。
「わたくしは先代より赤子の頃に拾われ、レポフスキー家の使用人としてお仕えしてきましたが、魔術の才など塵芥ほどにもございません」
「本当に?」
「はい」
確かに魔力のある者が使用人になるなど考えづらい。だが、レポフスキー家の使用人がたかが『魔力なし』を雇うだろうか。確かにこの娘からは魔力を全くといっていいほど感じられない。魔術師であれば魔力の有無は察知できる。
だが、腕の立つ魔術師であれば他人に魔力を感じさせない芸当も可能だという。ガイには無理だが『魔力なし』の振りをして、相手の油断を誘う手口を師匠から聞かされたことがある。油断はできない。
「わたくしからも質問させていただいてよろしいでしょうか?」
唐突にリネットが聞いてきた。
「何かな」
返事をしながらガイは気を引き締める。
「そちらの亡骸はどちらから?」
そう言いながら振り向いた視線の先にはハリーの死体があった。
ガイは声にならない声を漏らしながら考える。適当にそこらの墓場から掘り返した、と言おうと思ったが、この付近にあるのはいずれも農家である。ハリーの死体は上半身裸のままだ。背中の傷は壁に隠れているので気づかれる心配はないが、色白でやせっぽちの体は農夫には到底見えない。
「何故、そんなことを?」
答えに窮したガイは質問を返した。理由の半分は、見当外れの答えで勘付かれるのはまずい、という臆病な気持ちだった。もう半分は時間稼ぎだ。
「死霊魔術師の方々が何より重要視するのは死体の入手、と聞き及んでおります」
リネットはさらりと言った。
確かに、死霊魔術師にとって死体は様々な意味を持つ。武器であり研究材料であり、部下であり兵隊である。大昔であれば、手っ取り早く村の一つ二つを亡骸の山に変えたそうだが、魔術師同士の取り決めにより自粛している。今は墓場から掘り返すのがポピュラーな方法である。戦争でもあれば敵味方問わず回収するところなのだが。
「主人も常日頃から新鮮な亡骸はないかとこぼしておいでですので、あれほど新鮮な死体をどこから手に入れたのか気になりまして」
淡々と答えるリネットの表情には感情が見えなかった。ガイは迷った。言葉通りに受け取ってよいものだろうか。この女何を考えている? もしやこの娘、俺が本物のハリーでないと疑っているのか?
疑惑、恐怖、戸惑い、脳裏に様々な感情が渦巻いて混沌を生み出している。
そもそもこのリネットという女は本当に侍女なのか? レポフスキーの侍女と名乗っているがそれはリネットの自己申告である。今日ここに来た以上、関係者であることは確かだろう。偶然、レポフスキー家を騙る詐欺師が来るなどまずあり得ない。しかし、侍女であると断言する証拠もない。
もしや、とガイの背中に冷たい雷が走った気がした。
目の前の女こそが本物のフレデリックではないだろうか。