黒猫お嬢様とネズミ執事5ー白猫お嬢様と(前)ー
それはある日のこと。
黒猫お嬢様リーゼルダと専属執事セルネリアンが日向ぼっこを終えて、お城の回廊を歩いていた時のことでした。
「みゃあ!」
黒猫お嬢様の前に、一人の猫人が立ちふさがります。
黒猫お嬢様は驚きました。
こんなことは初めて。黄金の瞳がまんまるに。
執事が一歩前に出ました。同時にお嬢様の背後も警戒します。もう二度と、誰かに主人を傷つけさせたりしないように。
「なにごとなの?」
黒猫お嬢様が執事の背中越しにひょっこり顔を覗かせます。
見えたのは”白猫お嬢様”。
このお城で暮らす猫人の一人です。
高貴な真っ白い肌に、ふんわりと白い耳と髪。しかし滲んだような黒ぶち模様が特徴的。
白猫はキッ! と目を吊り上げました。
「〜〜リーゼルダ嬢! あなた、おかしいですわ! 猫とネズミが恋人同士になるなんて。猫の王国に今までなかったことですもの。規律を乱すのはいけないことです!」
指を突きつけて宣言されたリーゼルダがぽかんとしています。
そして、緊張している様子のセルネリアンと手をつないで見せました。
「まあ。なんてつまらない猫かしら!」
黒猫お嬢様リーゼルダが堂々と言い放ちます。
”なんてつまらない猫”は、猫にとって最大級の侮辱です。
ちゅう! と見せつけるように手に口付けると、白猫お嬢様は毛皮まで染まるかというほど真っ赤になってしまいました。
「だって私、セルネリアンに恋をしたのだわ」
「……リーゼルダお嬢様……!」
感激した様子の執事セルネリアンを引き寄せた黒猫お嬢様は、首をするりと撫でてやりました。
生涯、ここに噛みつくことはありません。
くるっと回る二人の慣れたダンスは仲のよさの表れです。
やりとりに注目していた他の猫たちが「リーゼルダはとても面白い!」と納得して、ネズミたちはムズムズとはじらいながらも嬉しい気持ちになりました。
「猫は堂々と自分の道を生きるものだわ! 猫とネズミが結婚しちゃいけないなんて決まりはないし、王様もお認めになったもの」
知らないの? と、リーゼルダから純粋な疑問をぶつけられた白猫お嬢様は、ぶるぶる震えて瞳に涙をいっぱい溜めました。言葉が出てきません。
あまりに情けない様子に他の猫たちが呆れて、くすくす笑います。
なよなようじうじと弱気な猫はモテません。
「ーーお嬢様!」
ここでやっと、白猫お嬢様の執事が現れました。
いつもおとなしい主人がいきなり走り出したので、油断して遅れをとってしまったのです。
セルネリアンが目を細めました。
あの執事にはあとでお話を、と決めます。
白猫お嬢様はぐっと唇を噛み締めて、うーーっと低く唸ると…………勢いよく逃げ出しました!
他の猫が「面白い見せ物だった」と解散します。
やっと追いついた”ハツカネズミ”の執事は「お嬢様!」とまた呼んで、慌てて方向修正しました。
黒猫お嬢様リーゼルダには、青い顔でぺこりと頭を下げていきます。
…………。
「ねぇセルネリアン?」
「なんでしょう、リーゼルダお嬢様」
執事が少し浮かれながら返事をします。
「あの猫、誰だったかしら?」
黒猫お嬢様は可愛らしく首を傾げていますが、これはけっこう失礼です。
「シャムミファー嬢です。王族の血を少し引いている猫人様。階級は10分の7。白地に黒のぶち模様、瞳の色は藍色。
お城の部屋で静かに過ごすことが多いようで、外ではあまりお見かけしませんね」
セルネリアンがすらすらと答えました。使用人たちはお城の猫たちのことを詳しく知っておかなくてはなりません。そそうをして主人に恥をかかせないために。
そして過激な猫もいますから、ご機嫌を損ねて食べられてしまわないように自衛します。
うーん、と黒猫お嬢様が考えます。
「あのね。私、早とちりしたかしら……? あの猫のこと、ちょっぴり面白いと感じたのよ。あんなにすぐ泣く猫って初めてだわ! 感情が豊かなのね」
「お嬢様はいいところを探すのがお上手です……」
セルネリアンは感心して、そう言いました。
自分が「太陽のネズミ」と選んでもらえた時のことを思い出して、胸に手を当てます。
それに「良い」と思ったら素直にこれまでの価値観を直すことも、なかなかできることではありません。
婚約者に惚れ直しました。
リーゼルダ贔屓なのは仕方ありません。最愛の婚約者ですから。
「シャム嬢、シャム嬢ね。覚えたわ!」
リーゼルダが嬉しそうに呟いたので、羨ましくなったセルネリアンは彼女におねだりして、三度、自分の名前を呼んでもらいました。
*
白猫お嬢様シャムミファーは部屋に戻ると、ぐすんぐすんと泣いています。
クッションを涙で濡らし、目の周りが赤くなっていました。
ベッドに置かれたたくさんの触り心地の良いぬいぐるみやクッションに埋もれているので、まるでシャムミファーもインテリアの一員のようです。
「お嬢様。こちらのタオルはいかがですか」
執事がそっと話しかけますが、びくっと反応しただけで返事がありません。
「お嬢様。温かいはちみつティーはいかがでしょう」
またびくっと反応しました。
とんとん、と尻尾が弱々しくお嬢様の隣を叩いたので、執事はそこにタオルを置きます。
その尻尾が向いた先のテーブルにはちみつティーを置きました。
(なんてつまらない猫でしょう……)
執事は心の中で、先ほど黒猫お嬢様が口にした言葉を復唱しました。
ため息。びくびくうじうじした引きこもりの猫には、尊敬の気持ちを抱けません。
代々お城の使用人を務めるエリートのハツカネズミは、冷めた目で主人を眺めました。
のそりと手を動かしてタオルを掴んだ白猫シャムミファーは、泣き疲れたのか顔を隠したまま眠ってしまいました。
執事は部屋を片付け始めました。
とはいえ、この主人は静かに過ごすので部屋が散らかることもなく、やることはほとんどないのですけれど。
また、ため息をつきました。
*
「シャム嬢と話してみたいのよ! お茶会に誘って」
黒猫お嬢様が執事に言いつけます。
「打診はしますが……可能性は低いと思いますよ」
白猫お嬢様は藍色の瞳ですが、王族の血が少し流れている高貴な猫です。
リーゼルダのお誘いを断ることができる立場です。
主人が傷つかないように、セルネリアンは苦言を呈しました。
「とびきり面白いお茶会にする! って招待状に書いてちょうだい。そうしたら私ならすぐに駆けつけるもの」
ーーセルネリアンはお願いされた通りにしましたが、一日経っても、白猫お嬢様から手紙の返事はありませんでした。
交渉決裂の予感です。
リーゼルダはしょんぼりと耳を伏せて、部屋でとっておきの「飛び出す仕掛け絵本」を一人で眺めて過ごしました。これを見せてあげるつもりだったのです。
セルネリアンが「最終確認をして参ります」と出かけたので余計にさみしい気持ちです。
ネズミメイドが数人部屋にいますが、絵本の読み聞かせはセルネリアンの声がいいと思ったので、待つことを決めました。
ころんと寝返りをうって、毛布の中に潜むと、狭くて暗い空間の中で興奮してしまって、もぞもぞ!ぐるんぐるん! と動いてから、ぷはぁっ! と満面の笑みで毛布を跳ねのけました。
髪はぐしゃぐしゃ、ベッドも乱れ放題。
ベッドはネズミメイドが整えてくれました。
髪はセルネリアンに梳かしてもらうのが楽しみです。セルネリアンが置いていったカラフルなブランケットをくんくん嗅いで、またころころ転がりました。
*
白猫お嬢様シャムミファーは背筋を伸ばして机に向かっています。
夜空のような目をキラキラとさせながら。
手には、紙の黒猫と白猫が飛び出す仕掛けが施された招待状が。
ぱたんぱたん、と何度も閉じたり開いたりします。
「みゃああぁぁぁぁ……!」
机に突っ伏しました。
ハツカネズミの執事はいつものにこやかな笑顔を貼り付けて部屋の隅に待機していましたが、珍しそうに主人を観察しました。
今日はいつもと違う日になる……そんな予感がします。
(いつも、白猫お嬢様と一緒に部屋で過ごすだけ。専属執事として当たり前の業務ですが、あまりにやることがない。高貴な猫人様に仕えるために磨いた従属技能を披露することもなく……ただ暇な執事など、まるで無能のようです……)
白猫お嬢様はみゃあみゃあ唸ると、自分の執事を呼びました。
「ねぇ! ……ぅぅぅぅ」
「どうなさいましたか?」
白猫お嬢様は自分の意見を伝えるのが苦手です。
猫らしくないので、猫の思考教育をうけたエリートネズミにも何を考えているのか分かりません。
本人から言葉を引き出すしかありません。
「どうかお考えを聞かせて頂きたいです」
白猫お嬢様はホッとした顔をしました。
「この招待状……どう返事をしたらいいのかしら……?」
ネズミに自分の気持ちを相談するなんて。
執事は糸のような目を丸くしました。
「行きたいお気持ちであれば、そのように返事を出しましょう。お断りするのであれば、その場合も私が返事を書きます」
その招待状以上に嗜好を凝らして、と執事が付け加えました。
平民出身でありながら、階級10分の9の黒猫お嬢様リーゼルダに仕えているあのネズミはいけ好かないのです。見返してやりたいと考えました。
結局、自分の気持ちと向き合うしかなくなった白猫お嬢様は机に突っ伏しました。
執事は(自分の対応は不十分だったらしい……)と判断して途方にくれました。
(こんなこと、ネズミの学校でも習わなかった……)
空気が重くなります。
そんな時、コンコンコンと扉がノックされて、執事セルネリアンが姿を現しました。
「失礼いたします」
白猫お嬢様が大慌てで招待状を隠しました。
「お茶会の招待状のお返事を伺いにまいりました」
「こちらの返事を急かしに来たとうけとっても?」
ハツカネズミ執事が鋭くセルネリアンを睨みます。
白猫お嬢様を守るように背後にかばって。
お嬢様は信頼を持って執事の背を眺めましたが、この行動は学校で習った「主人を守るための行動」とセルネリアンへの当て付けです。
「招待の日は明日午後ですから。24時間前には返事を頂かないと、こちらの用意が間に合いません」
どうか、とセルネリアンが頭をさげると、ハツカネズミ執事は顔を引きつらせました。
(そんなに急なお誘いだったのですか!?)
一般的には一週間ほど前にお茶会をお誘いするものですが、黒猫お嬢様のお誘いですから。普通とはいきません。
早くシャム嬢とお話をしたかったのです。
「き、規約では……ぅぅ……期間の決まりは、ないですわ……」
招待状の日時を確認した白猫お嬢様が、がっくりと項垂れました。
まだ返事までに余裕があると思い込んでいたのです。
「参加いたしません」
白猫お嬢様はぷいっと背中を向けました。
口下手な彼女は、もしもお茶会に参加するならば入念に会話の練習をして……などと考えていたので。
「承知いたしました。少し、執事をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「えっ!?」
白猫お嬢様は驚きましたが、執事セルネリアンのお願いを承諾しました。
セルネリアンがハツカネズミの執事を裏方に引きずっていきます。
扉が閉められて、一人きりになった白猫お嬢様は、溢れた涙をハンカチで拭いました。
*
「どのような要件だ?」
裏方で、ハツカネズミがセルネリアンを睨みます。
「昨日、あなたの主人と私の主人が喧嘩をしそうになりましたね。対ネズミならまだしも、王族血筋の猫人様同士の争いなんて起こしてはなりません。自分の主人の暴走を止めることも使用人の務めです。身を呈してでも、きちんと仕事をして頂かなくては困ります」
セルネリアンの殺気溢れる低い声を聞いて、ハツカネズミは毛を逆立てました。
最下層のネズミに仕事ぶりを馬鹿にされて、エリートネズミのプライドが傷つきました。
「ドブネズミ風情が……!」
「そうですが。なにか?」
これ見よがしにセルネリアンが手の甲を撫でます。今や、ドブネズミの文様が浮かぶ手は彼の宝物です。
「たまたま変わり者の王族猫人様に気に入られたからといって、調子に乗っているお前はいけ好かない! なぜ、こんなに嫌味ったらしいネズミが王族専属に選ばれたんだか!」
その発言は、選ばれたセルネリアンを喜ばせるだけです。
「好いてもらわなくて結構です。うちの主人に影響がなければいいので」
今や、セルネリアンの匂いも身体も心もリーゼルダお嬢様のお気に入り。そのように言われた気がしたので、セルネリアンはむしろ機嫌が良くなりました。
黒猫お嬢様は確かに変わり者で、そこが素敵なので、ハツカネズミの発言は咎めません。
「今、積極的に関わろうとしているのはそっちの主人だろう? ……先日、俺の主人がそちらの主人に言いがかりをつけたのは本当に申し訳なかった」
ハツカネズミが頭を下げました。
しょんぼりと、少し勢いがなくなります。
((まあ言い負かされて心にダメージを負ったのは白猫お嬢様でしたが))
執事たちの認識は同じです。黒猫リーゼルダの圧勝でした。
ふう、とセルネリアンが小さく息を吐きます。
「猫人様がご自由なのは当たり前のことです。そんな猫人様だからこそ、たくさんの新しいものを発明して生活の発展に貢献なさいました。
猫人様たちの主張がぶつからないようにネズミの執事やメイドたちが側に置かれているという存在理由を、ゆめゆめ忘れないようにいたしましょう」
お互いに、という意味の言葉は、ハツカネズミにとっては悔しかったのですが、言われている内容が正しいと思ったので頷きました。
「ーー個人的に尋ねますが。白猫お嬢様のことをどう思っていますか?」
「はっ?」
ハツカネズミが訝しげな顔になります。
「………………。……猫らしくない。大人しくていつも部屋にこもりきりで、俺が執事としての腕前を発揮する機会も与えられない。飼い殺しさ」
愚痴をセルネリアンにぶつけました。
(このドブネズミは自分の主人以外にはどこまでも関心がないようだ。悪い噂を広めたりしないだろう)
セルネリアンはじっとハツカネズミの顔を見てから、頷きました。
「それでは。これが新しいお茶会の招待状です」
「ちょっと待て」
「リーゼルダお嬢様は一度気に入ったらそうそう手放しませんよ」
ふたつめの招待状の期限は一週間後。
ーー招待状をもらった白猫お嬢様はまた悩み抜いて、参加の返事をしました。
ハツカネズミ執事はとても頑張って、こだわった返信カードを作りました。
二匹にとって、なんだか不思議な、有意義な日となりました。