『自殺』
二作目の投稿はショートショートです。
最近の若者はショートショートの存在すら知らない子もいるみたいで。(うちの高校生の息子がそうだったので)
長いものがバンバン書ける才能には、心底、尊敬と羨望を感じますが、ショートショートの醍醐味というものも味わって欲しいと思う今日この頃です。
~敬愛する星新一先生を偲んで~
ビルの屋上へと続く階段を昇るたび、彼は絞首台へ向かう死刑囚のような気分になる。
彼はひどく疲れていた。
極限まですり減った革靴の底が、さらに彼を痛めつける。
何をやっても上手くいかない。すべてが裏目に出る。そんな人生だった。
このまま生き続けていても、決して明るい未来などやって来ない事を、彼は確信していた。
ようやく屋上への扉にたどり着いた彼は、深く長いため息をついた。そして意を決して扉を開ける。
すると、まばゆいばかりの大量の光が彼を包み込んだ。
身も心もボロボロになっていた彼にとって、その光は彼の全てを焼き尽くそうとする、怒り神の業火のようであった。
彼は這々の体で、屋上のへりに設置された柵の所へ向かった。
いっそのこと、怒れる太陽神が自分を焼き亡ぼしてくれればと彼は思うが、現実は晴れ渡った空に燦々と輝く太陽が世界を照らし出しているだけなので、それは無理だ。
彼はもう何もかもどうでもよくなっていた。
いい加減もう死んでしまおう。これ以上生きていても意味が無い。
慢性的な鬱状態から脱け出せない彼は、もう幾度となくこの地を訪れている。まあその度に生還しているが。
彼はいつものように柵を乗り越え、屋上のへりに立った。
しっかりと柵を掴みながら、そっと下を見る。
(うへぇ~、やっぱコェ~~)
常に死にたい死にたいと思っている彼だったが、いざそれを実行しようとすると、怖くなって出来ない。
そんな事を何度も繰り返してきた彼だったのだが、この日だけは予想外の展開が待っていた。
(結局、死ねねぇんだよなぁ・・・)と、一瞬気を緩めた時だった。
限界まですり減っていた革靴の底が、ツルッと滑った。
(へっ?)
しっかりと柵を掴んでいたはずの彼の手は、一瞬の気の緩みと同時に筋肉まで弛緩してしまったため、もう自分の肉体をビルの屋上に繋ぎ止めておく事が出来なかった。
フワッとした浮遊感に包まれた彼は、自身のキンタマ袋が急速に縮み上がるのを感じた。
もう既に自分の足が地に着いていない事は解っていたが、それはつまり、あとはただ、彼が地上に向かって落下するだけだという事を意味していた。
「うわーーー!」と彼は叫んだつもりだったが、恐怖のあまり全然声になっていない。
ゆっくりと落下を開始した彼の脳内で、例によって『走馬灯』がぐるぐる回り始めた。
実際はかなりのスピードで落ちているのだが、彼の脳内ネットワークがそれをはるかに凌駕する超高速情報処理を行っているため、外界が超スローモーションで動いているように感じるのだ。
彼が地上に到達するまでほんの2、3秒の出来事だったが、その間彼は、映画一本を鑑賞するくらいの時を過ごしたのだろう。
様々な思い出や記憶を回想していた彼は、心の底から思った。
(やっぱりまだ死にたくない!もっと生きていたい!)
そんな彼の思いも虚しく、現実は無慈悲なまでに彼を地面に叩きつけた。
グシャッ!
全身の骨や内臓が粉砕される衝撃を感じた時、彼はハッと目覚めた。
(・・・な・・・なんだ・・・夢だったのか・・・)
なんとも恐ろしくリアルな夢だったな、とホッと胸を撫で下ろした彼は、もう自殺する事など考えず、少しずつでも、もっと前向きに生きて行こうと誓った。
彼はまだ、自分があの世にいる事に気付いていなかった。
読んで下さった方ありがとうございます。
そう言えば、このあいだ蔦屋で『キマイラ』の新刊が出てるのを発見して思わず買ってしまいました。
もう全然途中から読んでないのですが、『キマイラ』はレア感が半端ないので。
かつて『グインサーガ』の新刊が出てるのを見る度に、おぉ、まだ続いてると感心していたのを、懐かしく思いだします。
今は亡き栗本薫女史を始め多くのSF作家さんがお亡くなりになりました。
今、メジャーどころで生き残っているのは筒井さんぐらいかな?
誠に寂しい限りです。
『キマイラ』誕生のきっかけにもなった平井和正さんは、僕の母親と同い年で、二人とも同じ年の同じ月にこの世を去りました。
ラノベを含めた現在の小説、アニメ、漫画の礎を築いた、第一世代のSF作家や漫画家さんが次々と旅立たれる中で、『キマイラ』新刊の発見は、僕にとって一縷の希望の光のようでした。
彼らのDNAはまだしっかりと受け継がれていると確信しました。