2.愛多き町
チンドン屋での仕事も馴れてきたある夏のことだった。
「私…今日こそ胸の内を打ち明けようと思う」休憩中に鈴は何かを決心したように言い放ち、その色素の薄い瞳からは溢れんばかりの熱意が感じられた。
「どう見てもその薄っぺらい胸を見せるのは危険だと思うけど」
「あらアンタ言うようになったわね!」伊助と笑い合う私にキリッとした鋭い鈴の眼光が向けられる。
「私は本気なんだから!今度こそ松之烝に気持ちを伝える」
勢いつく鈴に私達は固まった。何故ならそれは彼女の胸の内に秘めたままの方が良いということを知っていたからだ。
ー愛多き町ー
告白を決行しようとする鈴を阻んだのは伊助だった。
「そんな、急にどうしちゃったのよ!今更って感じよ!」彼のあまりの必死な態度に鈴でさえ不快さを感じるだろう。
「でももう片想いしているのは正直しんどい…」
「なら仕方がないわ…、残酷だけど本当の事教えてあげる」意を決する伊助を私が阻む。私はその内容を知っていたのだ。
「鈴が傷付くのは見たくない…」
「アタシだって同じ気持ちよ!でも親友だからこそ伝えてあげなきゃ!」
「で…でも、傷付くのはあの鈴なんだよ?」
「そうよ…、あの子も大人にならなきゃ!って……あの子は何処…?」
私達が夫婦のような喧嘩をしている間に鈴は隙を見て決行に走ってしまった。
「なんとしてでもあの子が知る前に知らせなきゃ…!」
悲鳴をあげる伊助は鈴を探しに芝居小屋へと駆けていった。その後ろ姿を見ながら私は嫌な予感がしてならなかった。きっと今日は鈴が傷付く日になると察して。
〜鈴〜
いつも否定的な伊助に腹が立った。それでも少しは私の事を信じてくれればいいのに。
伊助と知り合ったのはもう10年も前のことである。彼との信頼関係はその年月をかけて得られたものだと信じているからこそ、今の伊助には怒りが湧いてくる。
せめてあんただけは私の味方だと思いたいんだから。
…松之烝の控え室の前まで来ると緊張が襲って来る。こういう時に伊助が側に居てくれれば…、そう思うと気後れしてしまう。
だけどこのまま苦しい想いをするのはもう懲りた。この苦しみから逃れる為にも手を伸ばした瞬間にそれは開かれる。
「あら!松っちゃん、可愛らしい女の子がご用みたいよ!」
そこに居たのは着物をワザとらしくはだけさせるオトナな女性であり、その光景に私は息を呑む。まるで私と対象的な女性を目の前にしてしまえば、これから行おうとしている行為は如何に馬鹿げているかを。
「何、誰も居ないではないか…」
いつものように怠そうな表情を浮かべる松之烝の目の前には既に人影はなくなっていた。一瞬の出来事に驚きを隠せない女性だったが、足元に転がる小さな鈴の帯飾りに目を留める。
やはり此処に見間違いではない、そう確信が持てると得意げに拾い上げた。
〜楓〜
その頃、私は京の町を散策がてらに鈴を探した。京に来たのは2年前だが、この煌びやかな町を見て回る気にはなれなかった。
決して美貌に恵まれた訳ではない私は他人の目を気にしていたのだ。
だけど今は京の町を堂々と歩けるようになった。
それはあの時、あの2人が私に声を掛けてくれたから…。小さなことだと父様は言うけれど私にとっては大きな変化なのだ。
だからこそ私はあの2人のことは心から大切に想っている。
「あれ〜?チンドン屋の娘さんじゃないですか!」
はて、何処かで聞いたことのある声だと私は振り返る。するとダンダラ模様の袖口が見え私は恐怖の記憶を呼び覚ました。
あの新選組だ…。あの夜、私は土方さんに何時間も拘束され残酷にも責め立てられた。
「そんな警戒しないでくださいよ…、僕はまだ真面な方なんですから」
そう微笑むのは華の剣士、沖田総司さんだった。彼と分かれば私の恐怖心は消え失せる。
新選組と聞けば泣く子も黙るほど恐れられていたけど、彼だけは違った。
「こんな所で何をしているんです?」
人懐っこい彼にはついつい心を許してしまう自分がいる。2つしか歳が変わらないのに、彼は大人な空気を醸し出しているのだ。
私もそんじょそこらの娘と対して違わない。そう、私は彼に恋をしている。
「実は鈴を探しているんです」
「それは大変だ、差し支え無ければお力添え致しますよ。ほら鈴〜出ておいで〜!」
猫でも探す素振りで私を笑わせてくれる。彼の知的な洒落が愛おしく感じ始めていた。
沖田さんと一緒に歩けば町中の視線を集める。今の私には誇らしい事実なのだ。
「そう言えば鈴を探しているって仰っておりましたけど、彼女…また何かをやらかしたんですか?」
「いいえ、ただ…」そう言いかけた時にこんな身内の話をしていいものかと考える。それでも沖田さんともう少し話がしたい、そう思った私はベラベラと話を始めた。
「鈴は長年の想い人にとうとう本心を伝えようとしているんですけど、彼には別の女の影があるんです。鈴は勇気を振り絞って決着を付けるつもりですけど、きっと後悔してしまうんじゃないかと不安で…」
「そうですよね…、人は無謀さを勇気と履き違えて突っ込むけれど、その先には必ず後悔がここぞとばかりに待ち構えているものですから。…鈴は貴女のような友人を持てて幸せ者ですね」
沖田さんの悲しげな横顔は儚く美しいもので、見つめている間は時が止まってしまったようだった。私達の間に夏の風が吹き、沖田さんの艶のある長い髪が弄ばれると私の心が揺らいだ。
恐らく真っ白ではない彼の過去を知りたいと罪ながらに思ってしまったのだ。
「じゃあ鈴が後悔する前に探し出しましょうか」
そう言って彼は私に笑みを見せる。ただ心の中だけは決して曝け出さない、それが彼なのだ。これが私が恋する相手なのだ。
〜伊助〜
「松っちゃん!」
肩で息をするほど荒い呼吸をするアタシは控え室を覗き込むも探し人はいなかった。そうと分かれば何もなかったかのように乱れた髪を整える。
「御免なさい、アタシの早とちりだったみたい」
クルッと身を翻すが聞き覚えのある鈴の音を聞き、身の毛が弥立つほどゾッとした。
「ねぇ、此処に鈴が来た?」
もう一度確認する為に振り返った時、あの夜鷹のような女が手にしている帯飾りが目に入る。確かに鈴は此処に来たようだ、そう確信するとあの子を哀れんだ。
「それより、そろそろ開幕の時間じゃない。支度を始めた方がいいわよ、松っちゃん」
放った言葉の意味するものを松っちゃんは気が付いていたが、彼にはどうでもよかった。ただ今を楽しめればそれでいい、そういう男なのだ。
鈴が何故このような男を好きになれるのか、アタシには理解できない。何故女は幸せになれる道を選ぼうとはしないのかと。
「やっぱり此処に居たのね」
落ち込んだ鈴は決まって鴨川の河川敷で膝を抱えながら拗ねている。だからアタシも決まって拗ねる鈴を元気付ける、それが日課だ。
「あんな男の為に落ち込むなんて勿体無いわよ」
「こんな世の中だもん。好きな人に巡り会えるなんて奇跡に等しい、そんな機会をみすみす逃すなんて私には出来ない…」
「アンタまだたったの15年しか生きていないのよ?そのうちの10年は無駄に過ごしたんだから、もっと質の良い恋愛をしていい女になる機会を得なさい」
アタシの話なんて大した助言にはならないけれど、それでもこの子は真剣に耳を澄ませる。だからいつになっても子離れ出来ない親鳥のように葛藤と戦うことになる。
「私が唯一まともに付き合えた男はあんただけだよ、伊助」
〜朱美〜
普段私は隙のない完璧な少女と言われて来た。親にも期待され将来は役職に就く名家の跡取りと身を結べと言われ続けた。
その期待に応えようと幼い頃から己を抑え、まるで犬のように従って来た。
でも…そんなある日にある男と出逢う。
今私の目の前にいるのは、新撰組の鬼の副長、土方歳三だ。彼の鍛え上げられた胸板に触れれば顔が火照り感情が溢れ出てしまう。
こうして私はひっそりと父の期待を裏切り始めた。
攘夷志士である父は新撰組を忌み嫌う。そして彼もまた父を嫌うだろう…。
私は愛する者に秘密を隠し続ける。この身が滅びようともこのひと時の幸せを手放すつもりはないのだ。
「そろそろ総司の奴も帰って来るだろう。その前に…」そう言いかける彼は着物を整え始めたので私はその手を止めさせる。もう少し一緒にいたい、触れていたい、己を抑えることなどもう出来なくなっていた。
「つれないのね。最近は鈴ちゃんや伊助ちゃんばかりと仲良くしているみたいだけど、そろそろ私も妬いちゃうわ」
束縛は彼が最も嫌う行為だと知っていた。それでも彼を独り占めしたくなる。だって父が言っていたから。
“新撰組はいずれ潰されるだろう”
こんな世の中だもの、何が起きるかわからない。だから幸せを手離して後悔することなんてしたくはなかった。
「あんなガキ共に妬くとはテメェもまだガキだな」
やれやれと肩を竦める彼のウンザリとする表情に私は怯える。このまま嫌われ捨てられたら、と考え不安を募らせる。
「ガキと連む暇はないもんでね。最近は物騒な物が出回っているらしいからテメェも気をつけるんだな」
きっと彼は私に安らぎなど与えてはくれない。それでも愚かな私は彼に惹かれてしまうんだ。いつかきっと私だけを愛してくれると信じて…。
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「あたしスッカリ嫌われ者ね」
2人きりとなった部屋で夜鷹の女、白井乙女は鈴の帯留めを懐にこっそりと仕舞う。まるで秘めた想いを隠し通すように。
そんな乙女の内心になど興味を持たないのが、この色男の松之烝である。
「それより物は持って来たのか?」
朝から何かと邪魔が入り苛立ちが募るばかりだったがこの夜鷹の女、乙女は余裕を浮かべては手際よく懐から白い御簾紙を取り出した。
「はいよ、これがあんたの求める津軽ってやつさ。でも最近は幕府の犬とやらが嗅ぎ回っているらしく手に入りにくくなっているから何でも慎重にね」
忠告する女の表情は神妙な面持ちでいたが、松之烝の耳には入っていなかった。ただその“津軽”欲しさに必死となる。そして物を手にすると欲望に満ちた表情を浮かべた。
この町には愛が溢れ出ている。
友人を想い行動する者や、初めての恋にときめく者、そして独りよがりの恋に溺れる者もいる。
その中でも愛を美化する者が多いが、決して甘っちょろいものではない。
愛に見返りを求めれば必ず傷付くことになるのだから。




