第九話 手
ユフィエルが文章の途中でルドルフを見つめて反応を待つ様子に、ルドルフが少し息を飲んだ。
文章の書かれた紙と、ユフィエルの顔を交互に見て、息を止めるように、少し迷う。
それから決意したように、ユフィエルを見た。
ルドルフは言った。
「・・・声、は・・・」
ゴクリ、と緊張のためにルドルフは唾を飲みこみさえした。
「私は・・・あなたの、声が、聞きたい」
責任感のような重みを感じて、ユフィエルが緊張に身を震わせる。
ルドルフはそれでも告げた。
「あなたが、話す声を、言葉を、聞きたい・・・。でも」
ルドルフはかみ砕く様にゆっくりと言った。
「それを重荷に思って、私を避けられるというなら・・・私は、声などいらないと、答えます」
正直な人だ、とユフィエルは思った。じっと見つめた。
ルドルフが話すのを迷う様子で、そんなユフィエルを見つめ返している。
ニャア、とまた猫が鳴いた。
ルドルフとユフィエルは猫のブリリアンに目を遣り、ルドルフはそれから苦笑した。
緊張が和らいだのが分かった。
ルドルフは、使用人に猫をケージに入れるよう指示を出し、再びユフィエルに向き直った。
ルドルフはスッと頭を下げるような礼をとり、告げた。
「私は、あなたが好きです。・・・ユフィエル様」
ルドルフの耳が真っ赤だった。
ユフィエルも自分の胸が高鳴るのを感じた。
嬉しい。切ない。もどかしい。
私は、どうしてしまったのだろう、とユフィエルは思った。
どうしてしまったのだろう。
自分の顔も赤くなっている。混乱していると自分で思う。
勇気を振り絞ったかのように、急な速さで、ルドルフが手を差し出してきた。
えっ、と思う。その手を取ろうとして、それで良いのかとユフィエルは迷う。
私は、オーギュット様の婚約者で、それで、でも、私は、ルドルフ様、私は。
己に差し出されかけた手と、顔を見て、どこか恐る恐るルドルフがユフィエルの手を掴んだ。
ユフィエルは動けなかった。手を引き、振り払う事が、できない。それどころか、胸がさらに高鳴る。
嬉しい、温かい。
ユフィエルは泣きそうな気持ちになった。
もう、気持ちが傾いているとユフィエルは知った。傾いているどころではないかもしれない、とも。
それで良いのだろうか。いけないことではないのだろうか。ルドルフは、一人を一途に想う人が、好きだというのに。
でも、喜んでくれるのでは、などと、自分は思っているのだ。
ルドルフが、跪き、ユフィエルの手を恭しく額につけるような動きをした。ユフィエルの気持ちを尊重すると、態度でみせるような。
「・・・ユフィエル様。どうか、私と」
ルドルフはそこで一旦言葉を切り、また少し迷うように少しためらってから、しかし告げた。
「・・・どうか、私と将来を共に。一生、あなただけを見つめると誓います。私を、選んでほしい。・・・っ、弟との婚約を解消し、どうか、私と・・・!」
手を取られていたユフィエルは、ルドルフの手が震えているのに気が付いた。
本当に、私を、生涯大切にしてくださいますか?
ユフィエルは尋ねたかった。
同時に、思っていた。
この人なら、私を、生涯大切にしてくださる。
声が出せたらいいのに。返事をしたい。きっと喜んでもらえるのに。
ユフィエルも震える気持ちのままに、もう片方の手を、ルドルフの手に重ねた。
ルドルフがハッとしてユフィエルの表情を確認してきた。
声が出せないので、ユフィエルは表情で語ろうとした。努めて、受け入れようと笑みを浮かべる。
「・・・受け入れてくださいますか?」
ユフィエルは、コクリ、と頷いた。
本当はたくさんの言葉を告げたかったのに、言葉が詰まったように言えなかったから。
***
数日後の事だ。
窓の外を見て、ユフィエルは思った。
「なんて良い天気でしょう」
出てきた声に、驚いた。
驚いた屋敷の中、その知らせは駆け巡った。
その翌々日に、ルドルフが大きな花束を抱えてやってきた。
顔が見えないぐらい大きな花束だったので、思わず「まぁ」と声を上げると、ピタっと動きが止まる。
それから、ドサっと持つには大きすぎるその花束が手渡された。
まぁどうしましょう、と思った花束の向こうから、ルドルフの顔が現れて、訪問は知らされていたのにユフィエルは新鮮な喜びを感じた。
「ユフィエル様、お声が」
と嬉し気にそのまま話し出すルドルフを、ユフィエルも笑顔で迎えながら、途中で制した。
二人でかかえている花束が大きすぎて、話すのに支障があるほどだったからだ。
とても嬉しい。とても嬉しい。心が温かくなる。明るい光が差すように感じる時さえある。
どうしてだか少し恰好がつかない人だと、少し苦笑する思いにもなるけれど。
あなたがいて下さるだけで、あたたかくて、くすぐったい。