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【完結】白紙の許婚  作者: プロト・シン
二章【夢見た刹那】
3/16

第2話〔ゆめみたせつな〕②

 初めて彼女と出合ったのは、初めて痛みを感じた日だった。






 誕生した時既に、彼女には大切なものが欠けていた。周りの人からは、良くドジと馬鹿にされ。小学校に入学すると、同学年の悪戯の的に選ばれた。


 暴力・盗難・無視、彼女の六年はそれで大半を終える。






 中学に進学すると、悪戯は本格的な〈虐〉となって飽きることなく続けられた。


 しかし、彼女に傷みは無かった。


 時々階段で足が上がらないこと、青印を人目から隠すことが億劫だったが、一度も心に傷みを感じることはなかった。


 どちらかと言えば快楽に似た歓喜があった。群がる友人達が、箒を持ってはしゃぐ姿は、猿芝居を見ているように喜劇的だった。


 そして二年が経った或る日、彼女の机は校舎から一望出来る校庭のど真ん中に放置され、椅子は男子トイレの隅に捨てられていた。


 人の生を通して感じたことのなかった〈情〉は、防水バケツの赤底に沈む片方の靴と、赤面に浮かぶもう片方の靴を、放課後が過ぎても眺め続けることで彼女は忘却しようとした。


 いつしか影は広がり、夜の世界を伸ばし始め。気づくと、昼間でも滅多に人の寄り付かない物置き教室で、彼女は肩を抱いて震えていた。


 時を刻まない時計。処分されない三脚の机。欠陥品でもないのに必要にされない黒板。その全てが同類に思えた。


 冷風に乗って入ってきた音が、彼女を恐怖で満たしていく。


 恐怖(その)全てに耐え切れなくなった彼女の〈情〉は、逃げだした。


 只管、ただ只管に走り続けた足は、尖形したゴミで切れ、過ぎし場に黒ずんだ血線を残していた。


 噴き消えぬ感情が心の痛みなのだとは、彼女は分からない。


 ガラス細工が裂けるような歪な音を立てて、足は割れ尽きた。


 アスファルトに頭からツンのめって倒れ、伏して四肢は彼女の物ではなくなった。


 視界に入った自分の胴体と繋がる誰かの手を彼女は眺める。


 そして彼女に、彼女が初めて語りかける。


「『友恵(ともえ)、そんなに痛いの?』」


 本人よりも近い傍で、誰かが彼女に語りかける声は、彼女の脳内で響いた。


「痛くない、私は痛くなんかない!」


「『私は痛い。いつまで私を、無視をするの』」


「誰よ、誰なの!」


「『私は友恵。貴方が私よ。そして、私が貴方』」


 四肢ない友恵に、付近を見渡すことは出来ない。それでも彼女はそれが誰でもない、自分の口から発声された声だと理解した。


「『願いなさい。貴方が願えば、私は貴方の為にいくらでも力を貸してあげるわ。その代わり、私を望みなさい』」


 生まれつき人だった。十四年間、人で過ごしてきた彼女は、その時本人ですら分からない間に、人間になった。


「なら、最初の願いを叶えて。最初で、最後の、願いを」


 視界に在る筈のない何かを求め、捜索しない焦点。


 熱を持った息を吐き、口内に入ると直ぐに温風になる冷風を吸い込む。


 誰かの体が、自分の体と、微妙に重なっているような、浮き上がる肌に、目尻から零れる何かの液体が這う。


「『言ってごらんなさい。なんでも、叶えてあげるから』」


 彼女は願った。――痛みを感じさせないで、と。




  *




 空には街の輝きに負け、疎外された光沢の満月が浮かぶ。


 夜行性の人間達は、空など知らぬとばかりに限りなく前方に近い低地を見て歩く。


 遠くで響くサレイン音や、足音は、終わることない幻想曲。


 そう、この街は静止しない凍土。例え誰がどこで死のうと、ここに蔓延る人間は止まることはない。留まることはあっても。


 だから見繕った花壇を囲むレンガの上に、一人の乙女が座っていたとしても、誰一人として注視すらしない。


 十字路の交差点。信号が青になると人の群れが白線を歩いて向こう岸に渡って行く。


 ここは十字路を上から見て、南西の位置。対象する三箇所の方角には、色違いの花が同じ壇に植えられている。


 北と南にはチカチカと輝くネオン街。眼も開けてられない強烈な光に、下向きの視線は路面ブロックの形をなぞって数時間。


 全く、不愉快だ。私の夜は怖いくらい静かで、野犬の遠吠え一つでどんな音も掻き消えてしまう、理想の夜だったのに。


 直ぐに十一時。針が一周すれば、今日が昨日の出来事になってしまう。


 時間なんて気にしない奴らばかりの癖に、どこに行っても時刻を知ることが出来る、不可思議な街。


「ね、さっきからそこに居るけど、彼氏にでも振られたの?」


 地をなぞっていた視界上部に、突如足が現れる。が直ぐに引っ張られるように鼠色パーカーを着た金髪の男を、視線が捉え直す。


 見た感じ幼く、年下にしか見えない。


「なんかようなの? 返答次第では抜くわよ」


 何もない空間に手の平を押し当て、なにかを宥めるように。


「怖いなー、的を射たなら謝ります。悪気なかったんです」


 後頭を撫でながら、ごめんごめんと頭を二度下げる男。


「謝らなくていいわよ。さっさと用件を教えて、さもないと洒落にならないわよ。それとも、希望ならいつでも抜いてあげるけど」


「そんなに怒んないでくださいよ。ちょっと手伝って欲しいことがあって……えっと、素養有るでしょ? そっち関係なんだよね」


 どうみても素養の気配すらない。そんな奴が、素養を持っている人間を分かるなんて奇怪しい。


 ナンパにしては色がないし、勧誘にしては初対面の人を前にして言う台詞とも思えない。これがこの街の流行だとしたら別だけど。


「お誘いにしては詳しい説明がないじゃない。怪しすぎよ、他をあたるべきね」


「まあまあ、そう言わず。詳しい話しなら今からしますから」


 そう言って私の横の壇に腰を座り、勝手に話しを始めた。


「最近、ニュースで通り魔事件が話題になってるよね?」


 ――通り魔。なんともお誘いには不釣合いな単語で話は始まる。


 男のいう通り魔とは、最近報道を賑わせている、深夜の轢き逃げ通り魔のことだろう。


 一ヶ月程前、中年の男が轢き逃げされた。当時は轢き逃げ事件として、解説者が紙を見ないで言えるような放送量だったが、一週間としない内に、それは一変する。


 轢き逃げのあった翌日、同じ車道で、今度は二十代の主婦が轢き逃げされた。ここまでなら轢き逃げ多発か、常習犯で済むが、その翌日、その又翌日と続けば、警察の目の色も変わってくる。


 内容は殺害方法と同じで至って簡単。時間になると、必ず誰かが轢かれる。轢いた方は全員が全くの他人、さらに記憶がないと全員が主張。死を逃れた被害者全員が、気づけば車道に飛び出していたと証言したことから、都市伝説と報道記者は馬鹿みたいに盛り上げていた。


 それが、この男の話す通り魔事件なのかは知らないけど、恐らくは合っている。


「先週の土曜、久しぶりに親しかった友達と遊んでて、馬鹿みたいに浮かれて二人で通り魔を捕まえようと……なんでもっとちゃんと危ないからと、止めなかったんだよって……後悔してる」


 低い視線を保つ男の話しは続く。


 先週の土曜、通り魔を捕まえようとした彼と友人は、出没する時間まで路地に身を隠していたが、なかなか現れない通り魔に嫌気がさし、諦めて帰ろうとした路地を出た直後、友人は車道に飛び出し帰らぬ命に。


 そして、話しの終わりに、――友人の仇を取りたいと呟いた。


「言いたいことは分かったけど、私にどういう関係があるっていうのよ。通り魔を相手に、私に殺し合いでもしろって言うの?」


「あれは……通り魔なんかじゃない。幸浩(ゆきひろ)が飛び出した時、操られているように見えたんです。きっと悪霊の仕業、だから仇を取るには、素養が必要なんです」


 固めた拳を、もう一つの拳で覆う男の手は僅かに震えている。


「よく私が素養を持ってるなんて分かったわね。分かる人には分かるっていうけど、アンタにはそんな才能ないと思うけど」


「なんでって、それ」私を指差す。正確には着ている服を。


「その制服って霊学科が在るので有名な学校ですよね。声をかけた理由としてはそれと、勘です」


 確かにそういう線では私の学校は、他より一本抜け出た銘があるのは入る前から知っていた。しかし、それでも除霊が出来る生徒なんて、両手の指で足りる。


 私が数に含まれていたこと事態、奇跡。それだけ男の直感が、助けを求めていたのかもしれない。だけど――。


「アンタね、常識で考えてみた? 面識のない、しかも除霊を頼んで、はいはいお任せを、なんて返事が返ってくると思う? 私だったら他の手段を考えるわ」


 何の報酬もなしに除霊が行なわれることは先ずない。まして面識のない赤の他人。常識で考えても、どれだけ無謀なことか。


 第一、除霊とは生半可な気持ちや経験で行なえる安直業とは程遠い、命がけの偉業。


 それ故、高額での依頼取引を基本としている。ボランティアをする霊師(れいし)なんて、滅多にいない。


「……分かってますよ。だけど僕には素養がないんだ、頼るしかないんですよ。僕だって霊能力者が金さえ積めばなんでも遣るってことぐらい、知ってます」


 そう、霊能力者と呼ばれる人間は、生ある者に嫌われ、死を宿す者には忌み嫌われるのが、当たり前。


「どっちみち、良い返事がくるとは思ってなかったから。言われて諦めが付きました。捜すのは今日で止めます」


 立ち上がろうとした男の膝が伸び終える前に「二つだけ、質問に答えて」と、静止させる。くの字に折り曲がった膝を折り畳みながらどうぞと男は座り直す。


「私に声をかけた本当の理由を聞かして」


 男は服を見て選んだと言っていたが、それは虚実だ。本意は別、でなければ、人込みの中、心ここに非ずだった私を見つけても、声をかけようとは思わなかったはず。


 実際、三時間ここに座り呆けて殻になっていたのだから。


「……本当は、誰でもよかったんです。一人になりたくなかったから。そんな僕と、同じオーラが出てたから、かな」


「哀れんだって訳ね。善い度胸じゃない」


「そんなのじゃないです。寂しかったのは僕だから、哀れられたのは僕の方」


 本の一瞬、とても言い表せそうにない悲願な眼を見た。


 恐らく男の〈助〉は、何日も〈救〉のないまま、自我を侵す時を過ごしていたんだろう。


「二つ目よ、今の私を見てどう思う」


「え……っと正直信じられない。どうしてこんな強気が、陰気になれたんだろうって……それで、質問は終わりですか?」


「ええ、答えてくれてありがとう」


 ではと、男は立ち上がり確りとした足取りで去っていく。


 全く、今日は厄日だ。こいつといい、あいつといい、私のことなんてちっとも分かっていない。


「そっちでいいのね、アンタの心気が望む場所は」


 間抜けな声を出して、立ち止まり振り向く男の横を通り過ぎる。


「早くしてよね。アンタなにしにやって来たのよ」


 間が抜け切って追いかけて来た男が横に並んで歩く。


「でもどうして、常識で考えろって言ってましたよね」


「さっきから聞いてるとアンタ、間違いだらけでほっておけないだけよ。行動には根拠がなくて救い難い。哀れんだことは許し難い。付け加えて勘違い」


「それは哀れんだ訳じゃ……えっ……かんちがい?」


「そう、勘違い。アンタさっきから自分が寂しい人間だと思ってるみたいだけど、自分だけが寂しいなんて思わないことね」


 いちお、下手に勘違いされると困るので、釘として――。


「勿論、報酬はそれなりに貰うから」


 ――と言っておいた。






 卓真(たくま)に付いて行けば行くほど、人の気配はみるからに減っていった。目眩を起しそうな街から数分歩いた場所とは思えない寂れは、夜の公園を歩いているような曖昧な自我。


「本当にこんな場所に人なんか来るの? どうも怪しいじゃない。変なこと考えてんじゃないでしょうね」


「仕方ないですよ。通り魔の騒動でこの辺に住んでる人間以外は、滅多に人が通らなくなったんです。ここを通るのは、ここを通った方が目的の車道に行くのが早いからです。ここを出れば大分人通りは多いし、住宅街へ帰宅して来る人だっています。そういう人が、狙われるんですけどね。あと刹那さんを襲えるほど、命の数は持ってません」


「そ、私は暇だから面倒はいいけど、あんまり面白そうになかったら帰るからね」


「心変わり激しいなー、見た目より好奇心旺盛なんですね」


「あんまりくだらないこと言ってると……」


「……抜かれるのは簡便です。違う方なら、歓迎ですけどね」


「そう。で、どこから抜こうか?」


「じょ、冗談です。ほ、ほら、この先が人通りの多い通りです」


 空を押す手と不振な指先が安心と慣れ親しんだ灯りを示す。


「なら、さっさと行ってよね。一々立ち止まんなくていいから」


 謝罪後の進行が再開して直ぐ、寂れた街は明け、人の気配。


 疎らな民家列に挟まれた直線の車道は、木々が中央分離帯の役割を果たす。


 民家には所々灯りが点り、コンビニの看板が更けた民家から飛び出て、四角い宣伝を一際アピール。


 そんな人の気が、どこかしら胸の奥で燻っていた不安を呼吸に乗せ、浄化させた。


 肩先がふーと落ちる。


「目的地は、この道を真っ直ぐに行ったところにある、大通り手前の信号です」


 残念。卓真の指した方角はコンビニとは逆方向だった。


「なんか、そんなー、って感じのノリしてます?」


 知らず知らず落胆していた瞬時を見逃さなかった観察力に、褒章を挙げても良いかもしれない、が――。


「黙って案内しなさい。また足が止まってるわよ」


 ――肯定してしまうのは自尊心が許さない。


 しかし、要求心がそれに買ってしまい、視線はいつしか要望に。


「ジュース……買ってきましょうか?」


「な、なによ急に、なにも要らないわよ。アンタが欲しいんじゃないの……?」


 喉が鳴る。食料よりも飲料が欲しいのは、当たり。


「そ、そうです。喉が渇いてたんですよ。ちょっと買ってきます。待っててください。直ぐ戻ってきますから」


「ちょ」――呼び止める間なく、全力で走り去ってしまった。



 歩けば十五分は掛かりそうな距離を、なんの挑戦なのか七分弱で往復してきた息切れ男が、有名どころのスポーツ飲料水を差し出してくる。


「ど、ど、どうぞ――、これを飲んで、ぁ――潤してください」


「アンタが潤した方がいいんじゃないの……」


 そう、ですね、と、自分用に買ってきたもう一本のスポーツ飲料を喉に流し込む息切れ男。


 ゴクゴクとラベルの裏にボトルの中身が隠れていく。


 そして、乾きと一揆した勝利の声明が、プハァーと足元に向けて発せられた。


「いきかえったー。日頃から体を動かしてないと、この距離で死にそうになりました」


「別に走らなくても……、急く必要ないでしょ」


「でも、女性を待たせるのは、女性保護条約に違反なんで」


 いつそんな条約が出来たのだろうか……。そもそも、そんな条約があれば真っ先に保護されたい状況下にいるというのに。


「馬鹿言ってないでさっさと行くわよ」


 受け取ったばかりのボトルを投げ渡す。


「え、飲まないんですか?」


 あんな水分補給を見た後では、飲む気が一気に薄れた。一言でいうと、見てるこっちが補給してる気分になれるくらい、気持ち良い飲みっぷりだったってこと。


「仕事が終わってからよ。そう、勝利に乾杯ってところね」


「あ……なるほど」


 ボトルにやる視線、声は語尾につれて力が抜けていく。


「どうかしたの、急に元気なくして、もしかして失敗した時のこと考えてた?」


「そ、そんなの考えてませんよ。それに刹那さん強いですよね?」


「そうね。どこかの陰気霊能力者よりはマシだと思うわよ」


 実際は向こうの方が経験の差で上だろうけど、皮肉は常に言っておいて損なし。


「誰ですかそれ、刹那さんの知り合い?」


 許婚……とは言えない。それに、あんな奴なんでもない。


「そんなところよ。それより、もう少し詳しい話しを聞かせてよ。どんな相手に対しても、情報は有利な武器の一つよ。あって損はないわ」


 頼みを意気揚々と承諾したとはいえ、情報は大切。


 どんな報告が報復を避ける行動に繋がるか分からない世界。些細な末梢が、知らずの肝要。


 歩きながら話してと促し、進行が開始。


「情報らしい情報なんてさっきの話で……というかさっきのだって情報としてはどうかと思う」


 ――さっきの話し、そういえばなんか覚えがある。あやふやだけど、少し思い出してみ

よう。


 目の前を先導、時折こっちを振り返る男の名は卓真。って、こんなところから始めてたら馬鹿だ。思い出さなければいけない内容はもっと先。そう、点滅する赤と青で忙しない白線の上で始まった。


 話は数日前に遡る。


 小中と学友を共にした友と、連休前日の喜びに担がれ宴会をしていた二人は、たまたま報道されていたニュースを見てしまったことから、悲劇の勘定は動き出す。






 次のニュースに変わって直ぐ、卓真は半分ほど残っていた果汁酒を少量、胃の中に無理矢理流し込んだ。随分と空けてしまった缶の山、中身は全て二人の胃。それでも余った分を処分するには、無理にでも胃に流し込むしかない。


 今日の内に飲まなければいけない理由は、これっぽっちもなかったが、沸騰した血管を通って送られる脳への補給物資が、深くという命令を悉く有耶無耶にしていたからだ。


 そして幸浩が口を開く。


「近いよな結構、俺達でこいつ捕まえたら市とか警察から賞状貰えまくりじゃん? そしたら俺等、人気者だぜ」


「なに言ってんのさ、そんな無理だって。どうやって通り魔を取り押さえるの? いつ現れるかだって分からない」


「そんなことだから、卓はいつまで経っても男になれないんだぜ」


 何かある毎に、男がどうとかと言う幸弘に進められ、髪を染めた今一流行に乗り切れない男、卓真。


 アクセサリーなどの装飾品は一切着けておらず。藍染のジーパンに、灰色のパーカーが普段の着衣。


 相反して、高校に入ってからはガラっと外見を変え、同級生でも普段から会っていないと、パッと見では分からない変貌を遂げた、ダンサーみたいな格好をしている男、幸浩。


 黒のベレット帽を被り。ポリと綿の合成パンツには、チェーンや携帯のストラップがぶら下がっていて、チャラチャラしてるように見えるが、無地のカッターシャツが全体を丸め、着衣者の魅力を引き立てる。


 そんな姿を見て、卓真はどこかで帽子を押さえながら踊っていそうなダンサーだなと、何度か思った。


「飲み過ぎだぞ、酔っ払ってるからそんなこと思うんだ。止めた方がいいよ」


「ばーか、そんなこと言ってチャンスを見逃す奴は偉大な男に成れないんだ。卓は素材がいいんだから、この機に一丁ヒーローになろうぜ」


「止めた方がいいって、そんなことで怪我したらどうするんだよ」


「大丈夫大丈夫、これを見てみろよ」


 出した十センチ強の長方形は、八割が握り手で、残り二割は正方形の中身を刳り貫いて、半分を長方の先端に付けた――電圧銃。


 それはガッシリとドデカイ皮むき機を想像させる、スタンガンと呼ばれる代物だった。


「そ、それ……なに」


 つい間抜けなことを言ってしまったが、卓真は一発でそれが何かが分かった。しかし、酔いと急展開で頭は付いていけず、唖然とする顔に幸浩はハハと微笑した。


「見たことないと思ってたけどさ。さすがに、なにって聞かれるなんて思わなかった。ククク……卓、ボケ効き過ぎ」


「煩いな、急にそんなの出されたから、頭が回らなかっただけじゃないか。笑わなくたっていいだろ」


「わりい、わりい、ナイスボケだったぜ。とにかく、これがあるから大丈夫だって」


「なにが大丈夫なんだよ。下手してこっちが致傷罪で捕まったらどうするんだよ」


「致傷行為? なんだよそれ、正当防衛なら問題ないんだろ?」


「それも度が過ぎると犯罪になるってこと」


「ふーん、なら過ぎなきゃいいんだろ?」


 そうだけど……、そんな空返事が幸浩の行動を早立てた。


「ほら行くぞ、早く行かないと通り魔、帰っちゃうかもしれないからな」


「本気? 絶対止めた方がいいって、なんかあったらどうするの」


「いいから、いいから、なんかあったら卓と俺でなんとかしたらいいんだからさ」


「なんとかできなかったらどうするのさ」


「逃げればいいだろ。さっさ行こうぜ、卓の心配は切がないから、心配するだけ無駄無駄」


 玄関へ立つ幸浩。仕方なくそれに従って自分も立ち上がり。部屋を一望して、……帰ったら片付けか、と、卓真は部屋を後にした。


 玄関で靴を履き終えて待っていた幸弘が言う。


「な。上手くいったら、俺等。ずっと友達だぞ」


 意味は理解できなかったが、卓真は適当に返事を返し、先に出た幸弘に続いて、家を出た。






 歩きながら腕を組み、なんとなく思い出してみたが友人の話しか記憶に残っていなかった。


 何故なら、話しの大半がそれで埋められていた記憶しかなかったからだ。


「アンタね、肝心なところが抜けてるわよ。その……なんだっけ、友達を大切にしたい気持ちは、分からないことないけどね。ちゃんと除霊に関わりのある要点を話してくれないと、意味ないわよ」


「急に黙ったと思ったら、さっき話し、思い出してました? それだったら、ちゃんと話そうとしましたよ」


 えっ、うっかり間抜けな声を出してしまった。


「僕の前置きが長かったのが悪いんですけど、刹那さん、肝心の話しをしようとしたら、アンタの話し聞いてたら眠たくなる。もういいって、言ったじゃないですか」


 そういえば、そんな記憶が忌々しくも残っている。


「アンタ、方便って知ってる? それはそれ、いまはいまよ。女の心は季節のように変わり易いもんなんだからね」


「無茶苦茶ですね……」


 取り合えず背を睨む。ビクっと揺れる卓真は、振り返ってもいないのに怯えた声で。


「そ、それ、それで、ですね、幸浩と路地に隠れて通り魔を張ってたんですよ」


「それは最初に聞いたわよ。聞きたいのは、とり憑かれたっていう友達のことよ。どんな風に見えたのか、どうしてそう思ったのか、それが重要なのよ」


「よく分からないんです……けど、幸浩の背になにか居るような気がしたんです」


「そう、それだけなのね」


「はい。他には特に、その後は行き成り訳の分からないことを叫んだかと思うと、そのまま車に……」


 ――震えていた。それは恐れからか、それとも虞からか。


 この通りに出てから、卓真は私に不審を気づかれないよう、何度も妙な仕種を見せている。


 ……私は、回りくどいのが嫌いだ。


「そろそろ本題に入りましょうか」


 立ち止まった私に見習って、卓真も立ち止まる。


「え? 入るって、まだ目的地は先ですよ」


「それは後、先ずはこっちの問題。アンタ、私になんか隠し事してるわね。手馴れてるようだけど、私は騙せないわよ」


 明らかに、分かり易い音を立てて場に亀裂が走った。


「なに言ってるんですか、なにも隠してませんよ。急に、おかしなこと言わないでくださいよ。そういうのに、弱いんですから」


「私は騙せない、って、言ったはずよ。素養を持ってると、霊視ができるのは知ってるわよね。人によって視える幅は違うけど、最低でも霊波を視ることぐらいはできる。素養を持たない人でも僅かながら霊的エネルギーを帯びている。アンタがなにかを隠そうとする度、それが微妙に揺れるのよ。霊力は精神の力、動揺は影響を起こしやすい要素の一つ。これで分かった、私を騙せない理由が」


「……そうですね。これ以上、騙せそうにないです。正直に隠していることを話します」


 感情、顔色、口調に不審や挙動はない。それは相手が決定的な非で動いていた訳じゃないことを告げている。


 分かっていたことだ。勿論、女の勘。


「本当は、何度も、何度も、話そうと思いました。けど、振り向こうとすると、もしかしたら刹那さんならって、希望に縋って、どうしても言えかったんです」


 今にも縋りつきそうな目。


 こんな触れただけで泣きそうな奴が、あいつと同種だってことが信じられない。


「いいから、隠してること言いなさいよ。ここまできて帰るなんて言わないから」


 不満があると、右手を腰に当てる癖を正すのも嫌なので、そのままの左手で、ほらと話しの続きを促す。


「刹那さんみたいな人を連れて来いって、言われて……、じゃないと幸弘に、会えなくなるって……」


 私みたいなというのは、素養を持つ人間、或いはその才能が有る人間のこと。連れて来いってことは、誰かに命令された。


 勘が嘘は付いていないと言っている。


 命令した奴の見当も大体付く。


「そう、やっぱり脅されてたんだ。情けない男よね」


 卓真の顔が悔悟で曇る。


「とは、今回は言わないでおくわ。相手が相手だけに、泰然で対応したって、どうしようもないことよ。それに動機はどうあれ、現状を作ったアンタの行動は評価してあげる。よく頑張ったわ。だからそれに、私が答えてあげる」


 貶され、謗られると思っていた男は、少しの間場に回れず。放心から解けた後、顔をうつ伏せ。


「あり……がとう、ございます」


「礼はそれなりに貰うって言ったでしょ。喜ぶのは、終わってからよ。分かったらさっさと行きなさい。ジュース、温くなるでしょ」


 うつ伏せた顔を袖で拭い、笑って先導を始めた男が一歩で――。


 ――静止。


 いや、静止というより禁止に近かった。それは拘束を強いる声。


「もっと早く妥協すると思ったのよ。結局、予想通りだったけど。上出来。褒めてあげるくらい」


 一目で、それは人と似て似つかぬものだと認識した。


 隣街する光街にすれば、灯りなど亡に扱われる境地すら、及ばない某を魅せる、少女。


 髪は腰辺りまで垂れ下がってはいるが、毛先は扇子を中開きしたような位置で止まっている。


 顔は人形。笑いに感情を忘れてしまったような空笑い。


「随分な挨拶ね。アンタ、礼儀って言葉知ってる? 他人を褒める前に、誰かを褒めれる努力をするべきね」


「気に障ったのね。けど、私は許してあげる、とっても気持ちが楽だから、今日は。謝罪が好ましいなら、それもしてあげる。今しないと、二度としてあげられないものね」


 おまけしても外見は高校生、十六ぐらい。


 夜より深い黒色のワンピースは、美を引き立たせる装飾。尚且つ首筋が軋む霊圧。常人はあまりの悪寒に立っているのがやっと。


 そして――、久しぶりに癇に障る相手。


「上等よ。アンタが生意気ってことが、善く分かったわ。さっそく終わらせましょう」


 クスクスと空笑い、胸に視線を送ってきた豊満な少女は――。


「生意気って態度かな? それとも私と貴方の量の違いなのかな」


 ――と、完全にブチ切れさしてくれた。


「怖かったら隅っこで隠れてなさい。ちょっと、そこに居られると命の保障が持てないから」


 後ろで震える卓真は返事をしない。出来なかったのか、したくなかったのか、注意をした私に小刻みに首を降った後、足を引き摺って路地に身を隠す。


 口元がピクピクとツリ上がって痙攣している。雲間程の理性を保ち、人命を救った私の忍耐力を誉めてあげたい。


「貴方は隠れなくていいの? こうみえて私、隠れん某は得意なのよ」


「隠れたければご勝手に、そういう立ち回りがあるとすれば、きっと貴方の役割じゃないかしら」


 怒りで喋り方が学校の風習になってしまうほど、言語機能が追いつかない。


「怒りで我を忘れっちゃってる。可哀相、ここまでにしてあげる。さあ、望みの遊戯を、始めましょう」


 今にも宙に浮かびそうな軽やかな少女の両手が、末広に広がっていく。


 瞬――、感想は現実となる。


 少女の体は地から放れ、後方三歩分のところに着地した。


 しかし、それはあくまで客観。実際は、自力ではなく他力。


 私の圧に中てられた彼女の〈軽〉は、〈重〉に耐え切れず。已むなく後退。


 不幸なことに今日は制服、普段愛用している衣服は宅配が持っていったダンボールの中。校則が作った黒色に、汚れや傷の心配はしなくていい。


 つまり好きなだけ暴れられる。


 驚愕する少女の圧は凄い。それは如何なる圧の力を持っていようと、身構えた時点で全身を覆う圧の動作。


 少女との差異を見いだせば、私が二回り優っている。


「言い訳は今更だと覚悟しなさい、私の怒りを、買ったんならね」


 ――圧の優る黒色が深夜へと疾走する。

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