第1話〔ひけんみらい〕①
眠れなくて空を見上げた。左目の包帯が痒い。
両親が入っているとは思えない、左目の軽さ。
僕は包帯の上から二人を撫でる。思い出すは。
――あの子への献身心。
*
神友恵――生れ付き心底が広く。人格多重において同時に主を出すことにより、二対一体の白を一対に留める。力の源は、主人格の願望。霊体同時消滅により、除霊済。
藤堂暖――睡眠障害による夢遊病者。妹を失った刺激により。依頼主池田正弘の娘、池田美音の魂を抜き取り夢の世界を建造。力の源は、現実不認識。一魂除葬後、移魂し死亡。
「以上を以って報告を完とする。っと、これでいいか。いつものところに持って行ってくれ」
肩に止まる郵送番に、書き終えたばかりの報告書を銜えさせ窓を開け放つ。慣れ親しむ埃っぽい空気と、寒気が顔を打ち。晴天へと飛び立った白き郵送を見送る。
「ちょ、ちょっと寒い! 早く閉めてよ!」
尤もなご意見が、窓から一番遠いソファーで毛布に包まう居候から、がなられた。
気持ち察するだけに、素直に窓を閉め座り直す。
「そんなに寒いなら上に居ていいんだが」
「う、煩いわね。私はここに居たいのよ」
ガタガタと震う肩。一切の暖房器具が置かれていないこの部屋では道理適う光景だ。
「大体、なんで十二月になってストーブの一つも、出さないのよ。上にある温風器を持ってきてよ」
「出来る訳ないだろ。それに、そんなことをしたら上が寒くなる」
「だったらなにか出してよ」
「出せと言われて出すのは、どっかの人気アニメキャラくらいだ。そもそも暖房器具は上に一つしかない。出ていないのを普通に考えれば解かるだろう」
ないの!?、必要以上に甲高い講義。椅子に背を埋めて鼓膜を打つ声量の波が収まるのを待つ。
しかし彼女の講義は、尤もだ。
「解かったよ。なら買いに行こうか。今から」
震う肩がピタっと止まった。徐々に驚きを表していく顔に、次の言葉は――。
「〝ほんと!? なら早く出発!〟」
――思った通りに続く。
「それは構わないが……服を着替えたらマシだと思うんだけど」
寒い寒いと、うわ言を繰り返す彼女の服装は被害を自業にしていると言ってもいい。
さらに付け加えれば女という生き物はどこか莫迦しいのだろう。見た目に拘る気持ちは解らないでもない。しかし、自らを脅かしてまで着飾る徳は、理解し難い。
「仕方ないでしょ、これしか服がないんだから」
さっきまでの震えはどこに逝ったのか。制服を着こなす女学生が立ち上がる――どうやら。素肌となっている膝下に、震えは逃げていたようだ。
「もう一つあると、前に言っていた記憶があるけど」
「あれはお気に入りなの。これを含めて二着しか持ってないんだから、これ着るしかないじゃない」
「お気に入りは結構だが。気に入られても服は嬉しくないだろう。服は着に要られて、初めて意味を持つ」
何故か彼女の視線がこっちの服を敵視している。
「人にはそれぞれ気に入り方があるの」
「ふむ」――確かに、その通りだ。
街はどこを見てもクリスマスの文字で飾り付けられている。通り過ぎて行く人々は待ちきれなさそうな顔で二日後の光景を魅て口開く。その中でも多く口走られる白銀の聖誕祭という言葉。口ずさむ者は皆それに期待しているようだ。
寒さを知らぬ者達の愚かな期待。自らが作り上げた暖気によって降らぬものが降るという喜び。
――ま、誰が喜ぼうと、毎年自分には関係ない話題だ。
「ねえ洸」
「ん、どうかした?」
鼻を赤らせ、桃色のマフラーを前に擦り合わせる手。
「洸っていつからこの仕事してるの」
寒そうな足は歩行に隠し、白き靄の吐息に視線は前方を見たままでの淡い問い。
「十三の時に権利を全て譲り受けた。それからだけど、急になぜ」
「なら、それからはずっと一人なのね……」
そして先月辺りから見せ始めた他意。全てに、彼女には似合わない静的を感じる。
「どうも君は気乗りがおかしい。最近そんな目をして、なにを考えてるんだ」
目?と、向いた顔は鼻だけではなく目下の頬に薄い赤らみを引いていた。手は相変らず震えている。
「ああ、君は最近なにか悩みごとがあるように静かになることがある。今は居ないが、卓真君もそれに気づいていた」
「なにそれ。まるで私が普段必要ない時に喚く、限度の知らない暴れん坊みたいな言い方ね」
鮮明且つ的確な描写力。うっかり感嘆の声を上げそうになる。
「ま、それは置いておこう。先に本題だ。俺の視かた、間違ってたならいいんだけど」
「洸にしては鈍いのね。こういうの、得意じゃなかったの」
「いつカウンセリングを開いたと言ったかな。本業は霊師だ」
「そういうところだって、洸。言ってたわよ」
恐らく最初に覗いたことを根拠に言っている。短慮を翳している割りに洞察が鋭いのは感服してしまう素質だ。
「顔色見れば誰だって解る。特に特化したものでもないよ」
「嘘付いてるわね」なぜ?と聞く「女の勘」と、それこそ自分には絶対に真似出来ない特別なものを源する発言。
しかし、その勘も見事に効果を発揮している。
「簡単に言えば読心だ。相手の思っていることが解る」
ここまで観察しての驚嘆の顔。直ぐにそれは後ろめたい顔を表しながら思い巡らせ、過去を探っているように思えた。
「心配しなくてもそれほど特化していない。極端に相手を知ろうと思うか、相手の心底が乱れていなければ覗けない程度の力だ。普段は全くみえないよ」
「な、なにも心配なんてしてないわよ」
解り易いくらいほっと溜め息を吐いた後では、説得なのか何をしたいのか。
「え――と、洸のお母さんって霊師なんだっけ……?」
意味ありげな隠しきれていない他意の問い。本人はさり気無くしてやったと思っているのが丸わかりだ。
「いや、今の親は義理だ。本当の両親は別のところにいるらしい」
「え……生きてるの?」
確信を揉み消されたかのような凝固した声。しかし、それはこっちも同じだった。まるで思いもしなかった反応に思考は巡る。
……まさか感づいた。ありえないことじゃない。いつかは気付く真意を知る術は少ないも幾つかはある。
「どうし――」旨い具合に入った情報に発した言葉を止める。
気付いていない。だが、気付きかけている。何に気付こうとしてるかまでは解らなかったが。今の凝固にこっちの思い巡りは含まれていない。
なら心配は一つしかない。
「どうし……ってなに?」
「ふむ。どうして君はそんなに強情なんだ。とね」
はいと、擦り合わせる手の間に突き刺すカイロ。
「手袋くらいは買いなさい。お金、あるだろ」
突き刺さったカイロは直に両手の中に納まり。大事そうに握られたカイロを胸に引き寄せられた。
「ありがとう……」
与げたのはカイロ一つだというのに。彼女の頬は熱く赤らんで見えた。
*
当の昔に消灯時間は過ぎた。上から見ると所々に灯っている光が行ってはいけない場所を明らかにしてくれている。
弾む胸。何度目になってもこれだけは変わらない。
「どこ……だったかな。確か父さんは下に来たら駄目だって行ってたけど」
五階から三階、行けるところは全て回った。残っているのは、今降り立った二階と一階。そして僕には行けない、どこか。
「めんどくさいや。気付かれるかもしれないけど、視つけちゃお」
降り立ったばかりの階段を背に、朝礼では絶対にしない背筋の伸びと直立。腕を下で交差させ、目を閉じる。
閉じて見えてくるのは粒がチカチカと輝いたり形を成したりする暗と闇。頭の先から出る意識は全身をゆったりと包み、目を重点に置いて留まる。
ここからが霊視の分け目。霊視とは、あらゆる労力を要し霊を視る力。そこに決まった洞察業はない。単純に目を使う人が多いだけで、優れる者ほど目は、それこそ眼中外。父さん譲りの知識で自分を戒め、肌は院内の例外を捜す。
「居た――」地下――ぇ?、階段――廊下。
踵から発射した無言の怨嗟が後頭部を発射台にした。
震えて竦め続ける足は内股から腰を落とし逃げる意をなくした。残った両手はガタガタ煩い肩を押さえ込みながら必死に平らな廊下の床を掴んでは前に、前に、前に進む。
――一階。ついに涙は壊れた蛇口から無意識に流れ始めた。
――廊下。床に移る窓からの影を一つ超える度に消えぬ逃走。
――階段。絶え間ぬ怨嗟は上り終えた。
「洸――!」
目を覆う液体が誰かを隠す。見えないそれは、零れることのない聴覚が拾い上げた。
「と――さぁ」
伸ばした手を握る温もりが次いで前に倒れようとした体を受け止めた。
「あれほど我慢しなさいと言っただろ」
自分でも聞き取れない声で、確かに僕はごめんなさいと言った。
「ああ、後でいくらでも謝ってもらうからな」
体が二本の支えによって宙に浮く。直ぐに支えは固く冷たい大きな板の様な感触に変わり、温もりは離れた。
「そこに居なさい。父さんは、母さんを見てくる」
声が聞こえ終わったと同時に、跳んできた何かが足元まで転がって丸みのある部位を向けた。
「ぁ――洸」聞き覚えある声。それは紛れない、母さんの声。
「菜……麻……」
誰かが母さんに近寄り抱き上げる。
「ごめんなさい……冠さん」
父さんは母さんの顔を撫でている。齧られたように一部欠けた顔を、優しく。
「こ……ぉ――」
伸びてきた手を握り返すことの出来ない落ちた手に、濡れた手は遥か届かぬ場所で落ちた。声を出そうとして、喉は必死に縮小拡大を繰り返すが鳴る音は耳にも届かない。
「遊んでよ」
滝の弱まる膜は、次第に傷みを思い出して目尻を腫らす。そしてどうにか見定めた世界は、真っ先に患者衣を纏う女の子を映した。
「洸。今直ぐ、立って逃げなさい」
立とうと思えば立てた。震えて止まらなかった足は何故かピタリと止んだ。なのに、逃げようとしない。今まで一度だって視たことない父さんの、極限が集まった圧を片手で制した女の子を眺めたまま、何もかもが動こうとしない。
「みな同じなら、一緒に遊べるね」
破壊しいらしい。視れば、側に居るだけで死にそうな嵐を巻き上げ父さんを巻き込む圧を眺めているのに。ちっとも感染しない。
横に向けられた掌から真っ直ぐに巻き起こった圧の嵐は、目標物以外を傷付けぬ、慈悲巻くもの。父さんと母さんはそれに飲み込まれ、女の子の〈掌〉に吸い込まれていった。
*
「はい! それでは二日後の二十五日、お届けさせてもらいます」
赤い法被を羽織り大セールの鉢巻。営業スマイルを武器に、人目に苦労を物語る商売人が頭を下げる姿を見ずに、場を後に。
次々と発せられる商いに、頭部に逃げていた手をやっと下ろせる外界の気が気持ちい。
「わざわざクリスマスの日に発送なんて、よっぽど暇な片切れ男がいるのね」
「それを承諾した方も、十分暇な人間だ」
吐息は互いに入る前よりも濃い。山のように設備されている暖房器具は、或る意味用なし客へ対する笑顔の報復なのかもしれない。
「だ、だったら。洸がどっかに連れてってよね」
えらぶった腕組みの要求と背く顔。手に確りと握られたカイロが壺に入りそうだ。
「どこかって、どこ? こんな寒いのに今からどこに行くんだ」
「今じゃない! ク・リ・ス・マ・スに、決まってるでしょ!」
一声で集まる客観。逃げたくても、場に固定されて動かない脚。幸いなのは、他人との関わりを好まない人間が多かったということだ。それでも僅かに余韻は残る。
「ご、ごめんなさい……」
言った後で気付く自分の恥じらい。せめてそれくらい感じて貰わないと、普段から怪しい性別判定が難しくなる。
「次からは気を付けて。ここは事務所とは違うからね」
敢て優しい口調で羞恥を和らげようとした試みが、さらに彼女は下を向いてしまう。次の試みは、出来るだけ早くこの場を去る事。
「行こうか。いつまでも立ち止まっていたら目的が果たせない」
「目的?」と、動き始める揃い足は「そ、君の――」三歩で足並み揃って停止する。
「やはり水緒さん。急に大きな御声が聞こえたので、何処の大猿かと思いましたわ」
覗かずとも、彼女からチッと声に鳴らぬ舌打ちが聞こえた。それは人込みを擦り抜ける華。踊りのように舞い、地を踏みしめ現れた金髪美女に対し、聞こえぬように鳴った。
「神子堂――さん……」
どうやら互いに見知りあいのようだ。しかし、仲が好い関係ではなさそうだ。今まで一度も視たことがない。
禍々しい執念が……視える。
「あら、いつものようにローズで御構いなくてよ」
目の前で始まる視と視の火花。互いに譲らぬ無言の激闘。
黒衣を纏い絹のような髪は後部に括られ。対す相手は、触ることすら戸惑う黄金の束を腰まで垂れ流し。瓜二つ、全く一緒の黒衣を羽織って舞い下りた美女。中心には迸る戦火。
――いつまでやっている気だ。
「済まないが。いつまでも目の前で茶番をやってられると困る」
「あら、こちらの方は? まさか水緒さん。学校に御出でにないと思えばこのような怪しい御仕事をしてらして?」
彼女とは全くの反する印象を持たせる、手腰付け。顎に甲を添え笑う美女。
「人に鑑賞ですかローズさん。随分御暇な。いつまでも御変わりない様子で微笑ましい」
腹部が縮こまった。いつか、場を弁えると言った彼女の言葉が今では恐ろしい。
「それはお互い様よ。それよりも――」
美女の視線がこっちに向けられる。
「人目、お似合いのカップルですこと。この方は水緒さんの婿様なのでしょうか?」
「許婚だが」
反する美女二人の、重なる驚愕の声。
「ちょ、ちょっと洸なに言ってんのよ!」
再び集まる客観。そして高らかな大笑が更なる注視を生む。
恐らく次に視を集めた時、彼女には悪いが、脚が勝手に事務所を目指し走り出すことだろう。
「これは御目出度いことですわ。成績優秀、人当たり抜群のわたくしに優るとも劣らぬ御友人が、戯言夫人と御結婚をなさるのね」
と、腹を抱えて声を殺す金髪美女の側に、息を切らせ走りよってくる勇敢な男。
「ローズちゃん、やっと……はぁ。居たよ。急に走り出すから、探したんだよ」
「あら、遅すぎる出迎えですわよ。何をなさってたのかしら」
金髪サングラス。茶色の革ジャンパーに、ジャラジャラと提げられたアクセサリ。最近コンビニに立ち寄った時、雑誌の表紙などで見かけたことがある服装だ。
しかし、貴族を振り撒く美女と立像するには場違いな格好だと思える。これが、最近の最先端流行着なのだろうか。
「ローズちゃんを探してたんだって。それよりも誰よ。この可愛い子と、オッサンは」
明らかにオッサンとはこっちのことだろう。ま、歳を間違えられることは多々あることだ。彼に講義する必要もない。
「おほほ、そのような謂われは内に秘めなさらなくてはいけませんわよ。明弘さんは御言葉に注意しませんと」
そろそろ限界だろう。こっちにしてみれば突然現れ用事の妨げをされている。その上、嫌味合戦も手持ちない側が敗戦寸前。これで癇癪を起こさぬならば日頃の心配はしなくて済む――。
「悪いが。こっちも用を持ちえた外出だ。あまり付き合いは出来ない。これで失礼させてもらいたいのだが」
――出来ぬならば、耐える彼女をこの場から遠ざけるしかない。
「用を持つ? なに用を御持ちで」
「それは君に話す謂われなきものだ。あまり他人に関わるのは躾け届かぬところで、ないかな」
「姿似合わず勝ち気な御口を叩かれるのですね。水緒さんが御惹かれになったのを、共感してしまいますわ」
「どうかな。それは自分が意気付くことではないのでね。では、これで失礼するよ」
「御待ちを。わたくしも大分無粋が過ぎましたわ。このような人目買う場所で大事点てになってしまいました。良ければ場所を変えて一つ、和みを持ちたいのですが。こちらも、このまま御別れで水緒さんとの気持ち怪しきは困ります。婿とあらば御友人関係もお気になさると思いますが」
「ふむ。しかし、本人優先が僕のやり方でね。彼女に聞いてみないことには返事は出来かねる」
「いえ、行きましょう。場所を変えるからにはそれなりの持て成しがあるのでしょ?」
長い間無口を保ち、出方を伺う敗戦寸前の沈黙猛将が動き出す。
「御言葉どおり。きっと素晴らしい喜劇ですことよ」
木の葉すら飛ばぬ枯れ果てた土地。近くに民家やビルなどの建物は建っていない。柵に囲まれた古惚けた屋敷。それは半年前に廃墟として取り壊しが始まったはずの土地に、半年経った今も当時と同じ姿で、同じ場所に建っている。
「ここは確か取り壊しが決まっていたはずだが」
「仰るとおりですわ。それが現在も残っているということは、取り壊し出来ぬ訳があると言うことです」
「俺とローズちゃんはここの異常を視に来たんだよーん」
屋敷の門前。左に金髪同士、右に黒髪同士が立って屋敷全体を見渡す。
「それが持て成しと、どういった関係にあるのかしら」
「御急ぎは場を壊しますわ。持て成しの順序を御説明するところですことよ」
「出し惜しみは不躾ね。こちらも都合がありますから」
「御口が過ぎますわ。今から、今回の喜劇を御説明します。わたくし達は屋敷に取り憑く霊を祓いに参りました。ですから、御早い方が勝ちというのはどうでしょうか? 勝者には、真冬を暖かく過ごす、ハワイ旅行をプレゼントして差し上げましょう」
「望むところね」
どこか世界に入ってしまっている金髪美女の高笑いを他所に、耳打ちを近づける。
「この子はいつもこんな感じなのか」
「まぁね。入学してから時折りこうやって突っ掛かって勝負を挑んでくるのよ」
勝敗は、という問いに。全勝、と鼻高い答えが返る。
「一つ聞きたいんだが」ピタリと止む笑い「ええなんでしょうか」
「負ければ、こちらはなにを出せば?」
「この果し合いはこちらの言い付け。貴方がたに代償はなくてよ」
「しかしそれでは、敗戦の時と割りが合わないと思うが」
「御結構と言いましたわ。わたくしにとってこれは、御遊び。遊戯の代価はいつも理不尽なもの」
「早く行こうぜローズちゃん。寒くてかなわないや」
「そうですね。それでは参りましょうか」
先頭を切って門を開け放ち、奇妙な空気を空けて待つ屋敷へと踏み入る金髪同士。
「ところで洸。なんで許婚だなんて言うのよ」
「なんでって、嘘は付いていないが。表向きはそうしなければ意味がないだろう」
「だからって――相手を」
「納得したのは君だ。これくらいで嫌がるなら、最初から縦に振るう首を用えないことだな。それに」
――時期に終わることだ。
そんな事実は、どこか虚しく胸を過ぎ去った。
入るに鍵を用いる金髪女の後姿はもたつきで急き。挿して回すだけの作業に五分を掛けた開門。作りは古臭いものがあるが、外見よりも大きく思える玄関広場には、凡人を釘付けにする力があった。
ただ一人、金髪貴族は鼻で笑うだけで感心すら表さない。
「さ、始めましょう。少し舞台は手狭ですが」
広場の中心。二階へと続く大階段に足を掛け、広げる両平は狭さを表しているのだろうか。
「こっちは自分が資持ちだが。手を出さないでおくべきかな」
「あら、それなら手間が省けましたわ。こちらも明弘さんが資持ちですの」
「そういうこった。精々手加減してやりましょう」
「明弘さん言い過ぎですわ。ほほ」
階段で沸き立つ喜劇を他所に。再度耳打ちを近づけ――。
「先に言っておくが。我を忘れるだけはしないでくれ」
――耐え忍ぶ怒りに静止を促がす。
「分かってるわよ。けど、洸は悔しくないの? あれだけ馬鹿にされるのよ」
「された気がなければ悔しくはない。君は言行に左右され過ぎだ」
「分かってる、けど……」
「作戦会議はその辺で良いかしら。そろそろ始めましょう。敵方は準備が宜しいようですわ」
と、掛けた足をそのままに貴族が口元にあざけを浮かべ。
――顳を撃つ異物の存在。
「くるぞ、身構えておくんだ」
「え、どこ?」
「上『ですわ』『だ』」
年代を刻み崩れ落ちた箇所は所々穴で、見上げれば崩れ落ちそうに脆い天から、撒き降りてくる白き圧。
それは入り口と階段の真ん中、広場の中心に急速で球体を作る。
「〝葬儀七番・光と断絶〟!」
球体に奔る光沢の切れ目。
切れ目に侵食されて行く球体――そして、鳴らぬ声は弾け飛ぶ音に交じって広場に掻き消える。
「イエイ! いいとこ貰い!」
平和を二本の指で向き合う敵味方に見せ、球体の在った広場で踊り浮かれ回る男。
紛れもなく、目の前で起こったのは法術の光だ。それを放ったのは目の前で踊り騒ぐ男。しかも、法術の中でも式の高い光の法術。
「お察し出来たのかしら。明弘さんの法術。彼は最高難易度の光を操る法術師ですのよ」
「ローズちゃんそんなに褒めないで、ほんとのことなんだから」
未だにイエイイエイと立つ二本の指。
さすが貴族娘だ。レア所を傍に置く趣味を持つか……それだけではない。彼女自身大した力だ。
それだけに、負けを確信して顔を苦めている気持ちは察する。
「ふむ。咄嗟の判断力、式の位。それなりに腕を積んでいる技だ」
「俺は男に褒められても嬉しくないんだけど。そういってもらえると男が上がるねい」
「そっちの君も大した探知力だ。感知をする霊師は久しい」
終始を掛けていた足が、初めて地に下がり。まるで情趣を見るような視線が、細目から向けられる。
「よく一目で御分かりになりましたね。私の力を見抜いたのは、水緒さんと貴方で二人目ですわ」
「だが、全てが荒い」
笑おうとした貴族。浮かれ回る男。互いに動作を止める。
「な、なんですって」続く「負けた奴は犬なんだぜ」
「負けは認める。先に祓ったのはそっちだ。約束は守る」
ただ――、階段へ駆け走る。
「な、なんですの!」
驚きから後じさる金髪貴族の横を抜けたと同時。大階段を上がった、左右に階段を這わせる壁から突き抜けて球体が、手の平へと予想通りの場所に収まって止まる。
「ルールー外なら祓っても構わないな」
手に収まる球体が弾け飛ぶ。大きさは先程の半分。しかし、それを背から喰らえばどうなったかは霊師ならば看破できる。
「霊視の中でも肌で感じる感知は高度だ。だが、感知後は疲労で気が逸れる。法術に関しては光が分散しやすい点を無視した式で点てられていた。それでは除葬漏れが出る。気を付けた方がいい」
駆け寄ることすら出来なかった男から、「はぃ……」と気の抜けた返事が漏れる。
「さて用は終わった。今回はこっちの負けだ。今度はこっちの用を達しに行きたい。これで失礼するよ」
ギシギシと軋む段の揺れ。悪辣とはいえ、需要を亡くした建造は直に崩壊の命を全うする。長居は出来ない。
「彼方、資持ちと仰いましたが……等級は」
「こんな奴、俺の方が上だよローズちゃん。Cランクだぜ俺」
「等級自慢は趣味じゃない。出来れば聞かないで欲しいんだが」
「それくらいなら御話してあげたら? 私も聞きたいです」
不気味な笑みに寒気のする発音。これ以上この集団に居ては脳が可笑しくなりそうだ。
「……等級Sだ。調べたければ工藤で調べればいい」
心臓が止まったのではないかと思う沈黙で静止する三人。
「エ、エスー? なんだよそれ、俺聞いたことないぞ」
反応予想はなんとなく想像できた。とにかく、早くこの場を後にしたい。
「君も固まってないで行くよ。時間は待っちゃくれない」
ええ……。そんな焦点の覚束ない口調が返る。
「工藤様、後日必ず御目に」
「いや、別に目に掛かるような理由はないのでは」と、突然引かれた腕に絡まりそうになる足取り。
「いいから行くわよ」
しがみ付いてくる男を払いのける不気味な笑顔。腕を余る力が絶え間なく締め付けて食い込み。屋敷は遠ざかる。
「そういえば、どうやって彼女の力に気付いたんだ」
告げられた時からの疑問。自分のように探知網が発達していない彼女に、どうやって感知を知りえることが出来たのか。
「だってアイツ。自分で言ったのよ。わたくしの感知は無敵ですことよ、おほほってね」
……つまりは。
「嘘が付けない性格か。君が惹かれている理由、解かる気がする」
「惹かれてないわよ!」
「だけど仲が好いじゃないか」
「あれは勝手に突っ掛かってくるの。私はああいうタイプ苦手。人の話し聞かないし、変に調子ものだし」
「そうやって、相手のことが解かるのは。十分に惹かれているんだよ。で、いつまで腕を引くんだ」
勢い殺しもせずにパっと放される腕。残った余力にグラつく体。
「――っと。放すならゆっくりにしてくれるかな」
「ご、ごめん……」
顔を赤らめて俯く顔。それで思い出した用の記憶。
「あー買い物の途中だった。続きだな」
「続きって暖房機は買ったじゃない?」
「君の服を買おう。そんな寒そうな格好で側に居られたら。俺まで寒くなる。買ってあげるから、服屋に行こう」
「え……わ、私?」
「当たり前だろ。君以外誰の服を買う必要がある。その代わりお気に入りは買わないでくれ。着て貰わないと意味がない」
街から本の少し離れた葉無き並木道。遮断なき風は革ジャンを通しても肌寒い。赤らめて忍び込まされた腕は、そんな寒さを凌ごうと力を増して腕を掴んでくる。
「寒いから。服買うまでいいでしょ」
構わないと返した返事に増す接触部分。肩上から出るシャンプーの香りは、そんな些細なものに安らぎを感じる自分が居た。
*
日は上がったばかりだった。いつもはもう二時間は寝ているはずの明朝に、五年前の違和感を感じた体は和室へと入って行く。
「来たのか。ワシはどうやら命を全うしたらしい。後のことは全部おまえに譲ろう。遺書にも書いてある。遺書は、棚の中だ」
枯れた手が掛け布団を土に伸びる。膝を付き掴んだ枝は思うよりも細く、皺が這っていた。
「ワシのような天寿を全うしたにしては、幸せだよ。あの日、救われたのはワシかもしれんな」
安らぎは次第と瞳を閉じて、脆く枯れ果てていた。
日が昇り。開けた日差しを枯れた亡き顔に当てる。
それが死を受け入れぬ、最初で最後の行為だと知らずに。