『チャート・エクウェスロード』
序盤鬱注意。
――ゲームみたいだ。
これが、ボクが初めて思い描いた言葉だと記憶している。
『スキル:癒し手を取得しました』
唐突に頭の中に響いた声を反芻し、あたしはゲームみたいだと思った。ゲームという単語は聞いたことが無いはずなのに、不思議なことだ。それと同時に見知らぬ記憶が大量に流れ込んで来るのが分かった。いや、今思い返せば流れ込んできたのではなく思い出したのだ。
けれど、この時のあたしはついに自分が狂ってしまったのかとぼんやりと思っただけだった。
「ふんっ。死んだかと思ったが、意外と使えるではないか」
「……」
あたしは目の前の男をぼんやりと見上げた。白髪が混じり始めている渋い中年の親父で、容姿端麗な姿は魅力的に見える。だがそれは彼の中身を知らなければの話だ。
「癒し手のスキルか。そこそこ珍しいだけだが……。これで多少無理をしても問題ないな」
そう言い捨てて、彼は部屋を去った。
あたしはその後、虚ろな目で部屋を見回した。それまで『部屋』と呼んでいた物が『ただの部屋』ではないと『先ほど思い出した記憶』は言っていた。代わりにこの部屋の事を『牢屋』あるいは『拷問部屋』と言っていた。
思い出した記憶には所々ノイズがかかったように鮮明にではない部分があった。それでもこの牢獄の中しか知らず、世間のことを知らない『あたし』という人格の大半を塗りつぶしてしまうだけの情報量はあった。
「あたしは……『ボク』は……」
頭痛がした。突然思い出された大量の情報に吐き気がした。人格がこれまでとは全く別のモノに書き換えられる不快感に眩暈がした。それでも、時間が経てば不快感が無くなって行き、ものの数分で『あたし』は『ボク』になった。
蘇った記憶は前世の記憶らしいと、この『僕』の記憶自身が教えてくれた。そして、今の自分の状況を『わたし』だった時に比べて正確に教えてくれた。
ボクは牢屋に繋がれ、服を一枚も着ていない。唯一身に着けているのは無骨な首輪のみ。その首輪には鎖が繋がれ、ボクを決して離そうとはしなかった。そして先ほどの中年は『あたし』の飼い主であり、正確な歳は分からないが、おそらく十にも持たないこの体を抱くほどの幼女趣味であった。もっと最悪なのは、度を越したサディストであり、先ほど発現した癒し手のスキルが無くては確実に死んでいたであろう傷を躊躇なく与えて来た事だ。
そして、これからもソレが続いていくと簡単に予想が出来た。
「くふ……っ! あはっ、あははははっ!」
ボクは思わず笑ってしまった。笑いが止まらない。笑い死んでしまいそうだ。だがそうなった方が幸せだったのかもしれない。先の事を考えると涙が溢れてきた。そして、ここから先の事はノイズがかかったように正確に思い出せない。
それから記憶はしばらく曖昧になる。
『スキル:麻痺耐性を取得しました』『スキル:睡眠耐性を取得しました』『スキル:毒耐性を取得しました』『スキル:打撃耐性を取得しました』『スキル:斬撃耐性を取得しました』『スキル:刺突耐性を取得しました』『スキル:火属性耐性を取得しました』『スキル:水属性耐性を取得しました』『スキル:風属性耐性を取得しました』『スキル:土属性耐性を取得しました』『スキル:光属性耐性を取得しました』『スキル:闇属性耐性を取得しました』『スキル:痛覚遮断を取得しました』『スキル:呪い耐性を取得しました』『スキル:病気耐性を取得しました』『スキル:汚染耐性を取得しました』『スキル:精神汚染耐性を取得しました』……。
耐性スキルをいくつ取得したのかは正確には覚えていなかったが、十や二十ではきかないであろう。その間にボクの他にも何人か、この場所に連れてこられて死んでいったようだが、正確なことは覚えていない。
記憶がはっきりとしだしたのは『精神汚染耐性』を取得してからだ。気が付くと体は十四歳ほどに成長していたので、正気を取り戻すのに数年を要したことが分かった。
今でも『精神汚染耐性』を取得したのは幸福なことだったのか、不幸なことだったのか判断がつかない。それからは記憶がはっきりしたまま彼の相手をする事になったからだ。彼の趣味の拷問は大量の耐性スキルによってそれほど苦痛を感じることは無かったが、抱かれる事に対する嫌悪感はいつまでたっても消えなかった。もっとつらかったのはボクが泣き叫ばない事をつまらなく思った彼が、どこからか攫って来た女性をボクの目の前で拷問の末に殺す事だった。ボクの怯えた表情が楽しいらしい。
そんな日々は唐突に終わった。
「あっ、目が覚めたのね。大丈夫?」
目を覚ますとボクは薄紫色の髪の少女に抱きかかえられていた。視界にはこの世界に生を受けて初めて見る青空が映っていた。自分の体を見回すと、この世界で着た初めての服が映っている。ボクは思わず彼女の胸に顔を埋めて泣き腫らした。
「怖かったんだね……。もう大丈夫だよ……」
少女はボクを優しく宥めてくれた。ボクがこの世界で初めて受けた心遣いだったが、ボクの心中にあったのは『怖かった』でも『ありがとう』でも『助かった』でも無かった。いきなり外の世界に放り出されて、これからの人生に恐怖していたのだ。
この時、ボクを助け出したのは冒険者パーティ『エクウェスロード』であった。メンバーであるレナード、ジェイド、ジリナは、不正が見つかった商人の取り調べのための連行補佐を依頼されて屋敷に入り込んだところ、幽閉されていたボクを見つけたそうだ。名前の知らないボクの飼い主は処刑されたらしい。
ボクにはこれから行く当てが無かった。物心ついたころには屋敷の牢屋で暮しており、身元も分からない。この世界での知識と常識は皆無と言ってよく、身に着けている技術と言えば癒し手の回復能力と大量の耐性、夜の技術だけだった。
エクウェスロードのメンバーはボクをどこかの孤児院に預けるつもりだったようだが、ボクがそれを嫌がった事と、パーティに回復要因が欲しかった事からボクのパーティ加入が決まった。ボクも蘇った記憶の影響か、冒険というものに憧れを感じていたのだ。
それからは楽しかった。
レナードはよく遊んでくれたし、ジェイドはボクの望む訓練をしてくれた。ジリナはボクに常識や女の子としての生き方を教えてくれた。どうやらボクの前世は男性だったらしく、そういった知識は皆無だった。
ボクは栄養状態が悪かったためか発育が悪く、年齢よりもずいぶんと年下にみられる事が多かった。ジェイドはボクを子供扱いして飴玉をくれたりするけれど、戦場ではボクを癒し手として重宝してくれた。
度重なる薬物の投与の為に色素が抜け落ちた白髪が嫌いだったが、ジリナはそんなボクの髪を可愛く整えてくれた。それがとても嬉しかった。たまに所構わず抱き付かれてうっとおしい事もあったけれど。
レナードはボクの憧れだった。たびたび厄介ごとを持ち込んで来るけれど、困っている人を見かけると迷いなく助け、どんな理不尽も知力と勇気で斬り伏せる英雄の体現だった。
ボクに名前をくれたのもこの三人だった。名は自分の道を進むようにと『チャート』とつけてくれた。性はパーティ名をそのまま使い、フルネームで『チャート・エクウェスロード』
ボクはこの世界でようやく人間らしくなった。
けれども幸せは、ボクたちのパーティが有名になるまでだった。